RBCアナウンサー山野本竜規の「ナカトリモチ日記」

神社の神職は神と人との間を取り持つ「ナカトリモチ」。 神職資格を持つRBCアナウンサー山野本竜規が、仕事の 裏側からプライベートまで日々の出来事を皆さんにお届けします。
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2007年05月05日

愛しき想ひ。

愛しき想ひ。写真は、京都の某神社境内にある御神木で
古くからの言い伝えがある
いのり杉」と呼ばれる神聖な木。

その名の通り、祈りが通じて
人の願いを叶えてくれる木だそうですが
よ~~く、目を凝らしてみると、
木に穴が開いてませんか???

そう、実はこれ、
五寸釘を打った丑の刻参りの跡で、
この木の別名を
のろい杉」とも呼ぶそうですがーん

江戸時代に女性の間で流行した丑の刻参り。

まぁ~、「愛憎」とは本当によくできた言葉で
そのほとんどが、
想いを寄せる愛しい人への気持ちを抱き続け
ある時、その想いが通じなかったり、突然裏切られたりした、
負の気持ちが、
人形(ひとがた)をこしらえ五寸釘を打つまでになってしまった・・・という
何とも切ない心の想いが残っている木なんです。

もっと、アップで見てみましょうかキョロキョロ
こんな感じです雷

愛しき想ひ。

とても、リアルでしょ?

でも、これを怖がったり、気持ち悪がったりする必要は全くないんですよチョキ

実は、以前の日記で僕は、
ナカトリモチとしての役目のひとつである
わら人形駆除の仕事が苦にならない・・・ということ、
わら人形に五寸釘を打つ人の気持ちが、どれだけ切ないものなのか・・・
そのようなやるせない気持ちに心を重ねたら
「怖い」とか「不気味」という感覚はなくなる・・・というようなことを書きました。

今でも、その気持ちは変わっていません。

ここ最近のナカトリモチとしてのお役目の中で
沖縄のユタからの相談事が多いのですが
その中でも恋愛関連のものは、かなりのウェートを占めていますハート

普段、人から相談事を持ち込まれる立場のユタの女性たちも
ユタである前に一人の恋する女性であり、
その想いが届かぬもどかしさに悶々とした日々を送ったり
想う相手の些細な言動に一喜一憂したり・・・と
何ら他の人たちと変わりはありません。

でもね・・・、恋愛不器用で、意地っ張り、
そのうえ、人一倍、相手に想いを伝えるのがニガテな僕が
こんな相談事を受けていて成立つのか!?・・・と
僕をよく知っている親友たちからは
いつも突っ込まれるのですが
ナカトリモチとしての役目を果たしている時は
個人的な感情は一切入らず
受け取ったメッセージを
そのままお伝えするのみなので問題ないんですよチョキ

人を想う気持ちって、本当に素敵で崇高なものだと思います。

最初は一方的かも知れないし、勘違いかも知れないし、
裏を返せば自分可愛さゆえの
寂しさからくる愛情であったりするのかも知れません。

これが歪んだ方向へ行ってしまうと、
ストーカーのような行為になるのでしょうけど
おおよその人は、そうならないように
必死に自分の抑えきれない気持ちと葛藤しているはず・・・。

でも、奇跡的に芽生えた
「なんか、この人いいなぁ~キラキラ 」という気持ちや愛情は大切にしたいですよね。

さらに今度は、
「自分のことはどうでもいいから、想う相手が幸せであるように・・・」と
思えるところまで到達できれば
恋愛の結果なんて、もう、どうでもいいような気がします。

きっと、ここまでの心の葛藤を乗り越える・・・という
素晴らしい経験ができた人は
これから先、もっともっと良い恋愛や良い出会いが待ってるはずですチョキ

だから、今、同じような問題で立ち止まっている人も
そろそろ、次の輝かしい人生への道のりを見つめて
前に進んでいいのかなぁ~と思います。

実は、僕も一度見切りをつけると
アッサリと前へ進むタイプだったりします汗

今日みたいなブログは、
いつもの山野本じゃない!!!・・・・と
各方面から苦情が出てきそうですが、
たまにはこんな話もありじゃないっすかOK

みなさんも、そろそろ立ち止まるのは終わりにして
前に一歩、後を振り返らず、踏み出しましょうねサイコロ


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Posted by 山野本 竜規 at 20:08│Comments(0)スピリチュアル&神社
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