2006年08月16日
ヤマノモトノコワイハナシ・1。
人気シリーズ「オキナワノコワイハナシ2006・夏」。
やっぱり、じんわり暑い夏のこの時期は、
こういったちょっとヒヤッとするようなお話が
涼を届けてくれるものなので、「これぞ日本の夏だなぁ~」と、
ほのぼの実感している次第です

沖縄の旧盆も、そして本土のお盆も
昨日で終わったことですし、
ここいらでちょっと僕の知っているコワイ!?ハナシでもご紹介しましょうね

3話あるので、一日ごとに
ご紹介していこうと思っています。
あっ、最初にお断りしておきますが、
所詮、「いつも何を考えているのか分からない」と言われることが多い
僕がご紹介するお話なので、
全てを鵜呑みにすることなく半信半疑で読んで頂いたほうが
僕のほうも気持ちが楽です♪
そんでもって、最初に言ってしまえば、全く怖くありません


「まっ、世の中、そんなこともあるのかなぁ~」って程度で
テキト~に流して読んで下さいなっ

其の一 「わら人形」
僕の実家は神社で、
僕は今年3月まで神職資格を取得するために
伊勢神宮のお膝元・三重県伊勢市で生活していました。
慌しい年末年始は、伊勢神宮で奉職していて、
神社に奉職する僕が言うのも何なんですけど、
年末年始に伊勢に来るだなんて、僕の感覚からしてあり得ません
まっ、神職がこのようなことを言うなんて、
本来なら、あるまじき発言ですし、(これ見ている関係者から怒られそう。。。)
僕自身も本当は、大勢の方にお参りに来て頂きたいのですが・・・。
とにかく日本の神社の中心である伊勢神宮は、
全国各地からの参拝者が大集合するので、
この時期になると神宮に続く道路が常に大渋滞で、
近所の食堂も「正月特別価格」になって普段より3割ほど高いし、
お参りするにしても何時間も並ばなければいけません。
きっと、色々な人が色々な夢や希望を持って、
そして「新しい一年が良い年でありますように・・・」との想いを込めて
神社参拝に来られるのでしょう。
神社界という
ある種、人の心の部分を受け止める世界に身を置く以上、
(注:実家が神社というだけで、本職はRBCのアナウンサーですよ!)
僕はこれからも様々な人間模様や
心のあり方を目の当たりにしていくことだと思いますが、
それでも、それが神社の家に生まれた僕のお役目の一部。
それだけ、人には複雑で、それぞれの想いがあります。
何が言いたいのかって・・・。
ある時、実家の神社で奉職している父のところに
近所の人から
「近くの公園の木に、わら人形が打ってあって、気味悪いから
お祓いをして除去して欲しい」との連絡があったそうです。
父がその現場に行くと
それはそれは無残に切り刻まれた本物のわら人形が、
実名(女性の名前)が書かれた紙と一緒に
胸に釘を打たれて木に突き刺されてあり、
近くにはロウソクの跡が残っていたそうです。
明らかに誰かを恨んで苦しめたいときに行う呪術、
俗に言う「丑の刻参り」を行った現場を目の当たりにして
父も少しビックリしたそうです。
都会で、しかもこれだけ科学が発達した世の中ですら
そのような呪術を信じて、人を憎む気持ちというのは、
いかほどのものなのでしょうね・・・。
ちなみにこのような
わら人形除去依頼のケースの場合、実家の神社では、
丁重にお祓いをして、現場をお清めしたあと、人形を取り除き、
お焚き上げするようにしています。
まあ、神職も人の子なので、中には
「人形に触ると自分に、この呪いの力が影響して
悪いことが起きるのではないだろうか・・・」と心配になる人もいるでしょうし、
逆に、「見えない心の世界だなんて信じない」と思う人もいるでしょうけど、
それが人それぞれが持っている当たり前の心情なのかなぁ・・・と思っています。
実は僕自身、
何度かそのようなケースに立ち会ったことがあるのですが、
鈍感というか、何も考えていないというか、
わら人形を触ること自体には全く抵抗がありません。
だって、所詮は、僕と同じ人間が作った人形なんですから・・・

むしろ、どんな事情であれ、そこまで追い詰めさせた相手の人の心や、
わら人形を打った本人が、どれだけ苦しんだ末のものなのか、
同情はしても、決して同調はせずに、
「大変だったんだろうなぁ~」と受け止めた上で
お祓いをすることにしています。
すると、どういう訳か
なんとな~く、どういう想いでわら人形を打ったのか、
その人の気持ちが伝わってくるものなんですよね。
その、わら人形から伝わってくる気持ちが
仕事関係なのか、恋愛関係のもつれなのか、はたまたお金絡みなのか・・・。
これは別に特別な能力とかではなくて、
誰もが持ち合わせている
他人を思いやる気持ち、以心伝心とでも言いましょうか・・・
そういった、その時の感情や気持ちが切々と伝わってくるものなので、
人の心や想いって不思議ですよね。
ただ、僕の場合、日常生活では
他の人の気持ちを察するのが、とてもニガテで
いつも「もっと周囲の気持ちを察する努力をしましょうね!」と
口酸っぱく言われることもしばしば・・・。
人間って不思議なものです・・・。
それはさておき、
そういった、わら人形を通した人の気持ちが伝わってくると、
人に対して「憎い」とか、「悔しい」とか
誰でもそのような感情は多少なりとも持ち合わせているものですが、
それを超えて「人を不幸にしたい」と思う気持ちが
どれだけ切なく、苦しく、大変なものなのか
身を持って実感することになります。
僕が敢えて、このブログで
おどろおどろしい、わら人形の話をするのは、
別に皆さんを怖がらせようとか、興味本位で読んでもらおうとか
そういった気持ちからではありません。
人の気持ちって、それだけ複雑なんだろうな・・・ということが
少しでもお伝えできれば。。。と素直に思ったからです。
きっと人それぞれ悩みがあり、そのことで
「自分は世界一不幸な人間なんだ。」とか
「この集団の中で、自分が一番、悩んで苦しいんだ。」とか
自分の殻から出られないで、もがいている人は多くいると思います。
だけれども、それ以上に、
人を憎むことで自分自身が苦しみ、相手の人が苦しみ、
益々自分を追い詰める悪循環から抜け出せないでいる
可哀想な人たちがいるってことも
心のどこかに留めることができれば、
「辛い想いをしているのは、自分だけじゃないんだ。」と
少しは実感できるはずですよね。
人を恨み、呪術を使って相手を陥れれば、それは
必ず本人に何倍にもなって返ってくる・・・と昔からよく言われますが、
わら人形を打った本人は、そのことで相当苦しんでいるはずです。
ただでさえ苦しいはずなのに、自分でその苦しさを
何倍にもしてしまっている可哀想な人が
この世の中には、存在するものなんですよ。
これが、神社という環境で生活していた僕が見た
人の心の表と裏の世界の現実です。
僕自身、困った偏屈な人に腹を立てたり、「コンチキショ~!」と
思ったりすることは多々ありますが、
それでも、やっぱり人は愛おしいもので、
欠点だらけに見える人でも、
どこか必ず「あれっ、意外。。。」と思う良さがあるもの。
勿論、それを見つけ出せないで困ることもありますが、
それは、それで良しとして、
日々そのようなことは、あまり気にせず生活しています。
今、「自分が一番、この世の中で悩んでいる」と
ため息ついている皆さん、
広いこの世の中、
もっと深刻な問題で葛藤している方も大勢いらっしゃるものなんですよ。
ちょっとだけでも、自分の殻から出てきて
周囲を見渡すと、案外自分の悩んでいることなんて
ちっぽけなものだったりするものです。
僕が、わら人形から学んだこと。
それはやっぱり
「人の想いって複雑だけど、みんなそれなりに一生懸命生きているんだなぁ~」という
当たり前のことだったりします。
できることなら、
そういった、一生懸命な、それぞれの人の想いが
少しでも良い目的や、方角へ向くように生活できれば
それが、幸せに繋がるのかも知れませんね。 (了)
僕は今年3月まで神職資格を取得するために
伊勢神宮のお膝元・三重県伊勢市で生活していました。
慌しい年末年始は、伊勢神宮で奉職していて、
神社に奉職する僕が言うのも何なんですけど、
年末年始に伊勢に来るだなんて、僕の感覚からしてあり得ません

まっ、神職がこのようなことを言うなんて、
本来なら、あるまじき発言ですし、(これ見ている関係者から怒られそう。。。)
僕自身も本当は、大勢の方にお参りに来て頂きたいのですが・・・。
とにかく日本の神社の中心である伊勢神宮は、
全国各地からの参拝者が大集合するので、
この時期になると神宮に続く道路が常に大渋滞で、
近所の食堂も「正月特別価格」になって普段より3割ほど高いし、
お参りするにしても何時間も並ばなければいけません。
きっと、色々な人が色々な夢や希望を持って、
そして「新しい一年が良い年でありますように・・・」との想いを込めて
神社参拝に来られるのでしょう。
神社界という
ある種、人の心の部分を受け止める世界に身を置く以上、
(注:実家が神社というだけで、本職はRBCのアナウンサーですよ!)
僕はこれからも様々な人間模様や
心のあり方を目の当たりにしていくことだと思いますが、
それでも、それが神社の家に生まれた僕のお役目の一部。
それだけ、人には複雑で、それぞれの想いがあります。
何が言いたいのかって・・・。
ある時、実家の神社で奉職している父のところに
近所の人から
「近くの公園の木に、わら人形が打ってあって、気味悪いから
お祓いをして除去して欲しい」との連絡があったそうです。
父がその現場に行くと
それはそれは無残に切り刻まれた本物のわら人形が、
実名(女性の名前)が書かれた紙と一緒に
胸に釘を打たれて木に突き刺されてあり、
近くにはロウソクの跡が残っていたそうです。
明らかに誰かを恨んで苦しめたいときに行う呪術、
俗に言う「丑の刻参り」を行った現場を目の当たりにして
父も少しビックリしたそうです。
都会で、しかもこれだけ科学が発達した世の中ですら
そのような呪術を信じて、人を憎む気持ちというのは、
いかほどのものなのでしょうね・・・。
ちなみにこのような
わら人形除去依頼のケースの場合、実家の神社では、
丁重にお祓いをして、現場をお清めしたあと、人形を取り除き、
お焚き上げするようにしています。
まあ、神職も人の子なので、中には
「人形に触ると自分に、この呪いの力が影響して
悪いことが起きるのではないだろうか・・・」と心配になる人もいるでしょうし、
逆に、「見えない心の世界だなんて信じない」と思う人もいるでしょうけど、
それが人それぞれが持っている当たり前の心情なのかなぁ・・・と思っています。
実は僕自身、
何度かそのようなケースに立ち会ったことがあるのですが、
鈍感というか、何も考えていないというか、
わら人形を触ること自体には全く抵抗がありません。
だって、所詮は、僕と同じ人間が作った人形なんですから・・・


むしろ、どんな事情であれ、そこまで追い詰めさせた相手の人の心や、
わら人形を打った本人が、どれだけ苦しんだ末のものなのか、
同情はしても、決して同調はせずに、
「大変だったんだろうなぁ~」と受け止めた上で
お祓いをすることにしています。
すると、どういう訳か
なんとな~く、どういう想いでわら人形を打ったのか、
その人の気持ちが伝わってくるものなんですよね。
その、わら人形から伝わってくる気持ちが
仕事関係なのか、恋愛関係のもつれなのか、はたまたお金絡みなのか・・・。
これは別に特別な能力とかではなくて、
誰もが持ち合わせている
他人を思いやる気持ち、以心伝心とでも言いましょうか・・・
そういった、その時の感情や気持ちが切々と伝わってくるものなので、
人の心や想いって不思議ですよね。
ただ、僕の場合、日常生活では
他の人の気持ちを察するのが、とてもニガテで
いつも「もっと周囲の気持ちを察する努力をしましょうね!」と
口酸っぱく言われることもしばしば・・・。
人間って不思議なものです・・・。
それはさておき、
そういった、わら人形を通した人の気持ちが伝わってくると、
人に対して「憎い」とか、「悔しい」とか
誰でもそのような感情は多少なりとも持ち合わせているものですが、
それを超えて「人を不幸にしたい」と思う気持ちが
どれだけ切なく、苦しく、大変なものなのか
身を持って実感することになります。
僕が敢えて、このブログで
おどろおどろしい、わら人形の話をするのは、
別に皆さんを怖がらせようとか、興味本位で読んでもらおうとか
そういった気持ちからではありません。
人の気持ちって、それだけ複雑なんだろうな・・・ということが
少しでもお伝えできれば。。。と素直に思ったからです。
きっと人それぞれ悩みがあり、そのことで
「自分は世界一不幸な人間なんだ。」とか
「この集団の中で、自分が一番、悩んで苦しいんだ。」とか
自分の殻から出られないで、もがいている人は多くいると思います。
だけれども、それ以上に、
人を憎むことで自分自身が苦しみ、相手の人が苦しみ、
益々自分を追い詰める悪循環から抜け出せないでいる
可哀想な人たちがいるってことも
心のどこかに留めることができれば、
「辛い想いをしているのは、自分だけじゃないんだ。」と
少しは実感できるはずですよね。
人を恨み、呪術を使って相手を陥れれば、それは
必ず本人に何倍にもなって返ってくる・・・と昔からよく言われますが、
わら人形を打った本人は、そのことで相当苦しんでいるはずです。
ただでさえ苦しいはずなのに、自分でその苦しさを
何倍にもしてしまっている可哀想な人が
この世の中には、存在するものなんですよ。
これが、神社という環境で生活していた僕が見た
人の心の表と裏の世界の現実です。
僕自身、困った偏屈な人に腹を立てたり、「コンチキショ~!」と
思ったりすることは多々ありますが、
それでも、やっぱり人は愛おしいもので、
欠点だらけに見える人でも、
どこか必ず「あれっ、意外。。。」と思う良さがあるもの。
勿論、それを見つけ出せないで困ることもありますが、
それは、それで良しとして、
日々そのようなことは、あまり気にせず生活しています。
今、「自分が一番、この世の中で悩んでいる」と
ため息ついている皆さん、
広いこの世の中、
もっと深刻な問題で葛藤している方も大勢いらっしゃるものなんですよ。
ちょっとだけでも、自分の殻から出てきて
周囲を見渡すと、案外自分の悩んでいることなんて
ちっぽけなものだったりするものです。
僕が、わら人形から学んだこと。
それはやっぱり
「人の想いって複雑だけど、みんなそれなりに一生懸命生きているんだなぁ~」という
当たり前のことだったりします。
できることなら、
そういった、一生懸命な、それぞれの人の想いが
少しでも良い目的や、方角へ向くように生活できれば
それが、幸せに繋がるのかも知れませんね。 (了)
Posted by 山野本 竜規 at 05:15
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