RBCアナウンサー山野本竜規の「ナカトリモチ日記」

神社の神職は神と人との間を取り持つ「ナカトリモチ」。 神職資格を持つRBCアナウンサー山野本竜規が、仕事の 裏側からプライベートまで日々の出来事を皆さんにお届けします。
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2008年02月01日

捨てても罰(バチ)は当たらない。

捨てても罰(バチ)は当たらない。1月もあっと言う間に終わり、今日から2月。
時間の流れというのは、本当に早いですね~びっくり!パー

1月は、初詣などで
神社仏閣に行かれた方も多いと思いますが
この時期に特に集中する質問が
「古いお札や、御守り、縁起物を処分したいけど、
 罰が当たりそうで、その方法が分からない・・・」
というもの。

確かに、去年お世話になった
神聖な御守りや護符、縁起物などを
そのままゴミ箱に捨ててしまうのは、
どことなく気が引ける・・・というか
何か罰(バチ)が当たりそうで恐れ多い・・・という方も
いらっしゃるかも知れませんね。

でも、その「恐れ多い」という
見えないものに対する
純粋な畏敬の念さえ、しっかり持っていれば
たとえ、物を処分したとしても、大丈夫です。

方法としては、
神社・仏閣には、「古札入れ」というものが設置されているので
そこに古くなったお札や御守り、護符などを入れて
お焚き上げしてもらうものがあります。

神社の場合、神職たちが
心を込めてお焚き上げさせて頂くので
安心なのは、安心ですが、
これは何も、神職でなくとも、誰でも出来ることなんですよピース

白い紙を用意して
お世話になったお札や御守りを包み、
それと一緒に浄化作用のある天然塩をふりかけながら
「今まで、お世話になりました。」と
感謝の気持ちを込めて、
ゴミ箱なり、焼却炉なりに入れて処分するだけ、
本当に、これだけで大丈夫なんです。

本当は、天然塩すら必要ないのかも知れません。

何よりも、感謝の気持ち、見えない何かに対する畏敬の念が
大切なのですから・・・。

節分が近づいてきましたが、
「鰯の頭も信心から・・・」という諺がありますよね。

これにも、色々な説があるのですが
もとはトゲのある柊(ひいらぎ)の木と悪臭を放つ鰯の頭を
玄関先につるして、
その臭いを嫌う悪霊や鬼を追い払う・・・という風習から来ていて
たとえ、鰯の頭だとしても、
人の想い次第、気持ち次第で、
とても強力な魔よけになってしまうものなんです。

それだけ、人の想い、気持ちというのは強力で、
人は皆、それだけの力を持っているんです。

僕の霊視や個人セッションの相談に来られる方の中には
以前、信仰していた宗教団体の経典や祝詞集、
ご本尊、木像、銅像などを捨てられずに
どうして良いのか分からない・・・という方がいらっしゃいます。

それらは、毎日拝めば、または、利用すれば
それだけで、家の中を、人を守ってくれるもの・・・と信じ込まされ、
ぞんざいに扱えば、何か悪い災いを起こしてしまうもの・・・と
妄信してきた、いや、させられて
高額なお金を払って購入させられたものが、ほとんどです。

僕の笑い話の1つになるのですが、
神社で頂いた祝詞を奏上すれば、赤ちゃんの夜泣きに効く・・・と
教えられた人がいるそうです。

勿論、その人は、
しっかりとした自分の信念を持っているので、
「そんな馬鹿げたことあるはずない」と
一切、それを受け入れず、実行しなかったそうですが、
これを素直に受け止めて、実践している人がいるかと思うと
本当に、笑うしかありませんよね。

夜泣きをしている赤ちゃんの側で
ボソボソと、たどたどしい祝詞を奏上している
親の姿を想像すると、
不気味というより滑稽ですよね。

そんな余裕があったら、赤ちゃんをあやすとか、
抱きしめてあげるとか、
理解しづらい赤ちゃんとの意思疎通を
分からないなりにも、懸命に努力するほうが大切でしょう。

馬の耳に念仏ならず、赤ちゃんの耳に祝詞・・・。

なんで、祝詞が夜泣きに効くのか、
僕も「アホかっ・・・」と呟いてしまったほどですダウン

ましてや、祝詞は、一般の人が
むやみやたらに、意味も分からずに奏上するものではありません。
お経についても然り。

ハッキリ言います。
祝詞集にしても、経典にしても、ご本尊、木像、銅像・・・。
それらは、所詮、「ただの物質」に過ぎません。

それを捨てることによって、
災いが起きることも、不幸になることも、一切ありません。

むしろ、そんな物質だけに心の救いを求めていた
他力本願で、依存心だらけの弱い心から
ようやく自立できた喜びと開放感、
何よりも、あなたを守り導いて下さる
霊的世界の人たちが大喜びで
次の輝かしい人生のステップへの応援エネルギーを
送って下さることでしょう。

特定の宗教にハマる人も、中途半端な精神世界マニアの人も、
教祖様や、霊能者、ユタ、または
それらに付随する物質を崇めてしまうのは、
「どうしても誰かに、物にすがりたい・・・」という
強い依存心が見え隠れしていて
自分の信念というものを持っていない人がほとんどです。

なんで、自分を、
愛すべき、自分自身を信じることができないんでしょうか・・・。

だからこそ、
「こっちの宗教は良い」「あの霊能者は、ユタは・・・」と
あちこちの教祖様、霊能者、ユタまわりをした挙句、
無駄なお金をどんどん使ってしまい、
自分自身が何がしたいのか分からなくなって
また、新たな救世主を求めてしまう
悪循環に陥ってしまう人が多いようです。

あとは、ネズミ講のようなマルチ商法や、
怪しい自己啓発セミナーにハマるような人も全く同じです。

心は純粋なのですが、自分に確固たる信念がないために
何でも素直に受け止めて、疑うことを知りません。
言われるがまま・・・。

こういった人たちには、
霊的世界からも
「今は、何を伝えても無駄だから、本人が気づくまで見守ってあげて下さい」と
伝えられるメッセージも、ほとんどありません。

だから、本人が色々な体験を通して
失敗なり、挫折なり、とにかく辛い経験をして、
「間違いだった」ということに気づくまで
こちらは、何も出来ませんし、
そんな堂々巡りに付き合っている暇は、僕にはないので
翻弄されたいのなら、一生やってて下さい。

僕が霊視や個人セッションで
新たな人生の一歩を踏み出すお手伝いをさせて頂きたい・・・と
素直に思う人というのは、
自分自身を信じ、自分の考えで行動し、
全ての人生に責任と覚悟を持って日々の生活を送っている
自立した人たちです。

そして、何より心が優しく、思い遣りのある人たちです。

自分自身の中に、確固たる信念や生き方があれば、
特定の教祖や霊能者やユタを崇めることも、
ご本尊や銅像、仏像、縁起物だけを頼りにすることも
ないはずです。

僕の実家は神社ですが、僕が今住んでいる部屋には
神棚は一切置いていません。

それは、自分自身の心の中に、
「清く正しく生きる物差し」を持っているからです。

勿論、日々の生活の中で
怒ったり、理不尽に感じたり、
嫌だと思う人とは出来るだけ接したくない・・・と思いますが、
それは、やっぱり、
「正しいものは、正しい」「間違っていることは、間違っている」という
自分なりの判断基準、
「心の物差し」が、しっかりとしている証拠なんです。

そして、見えないものに対する畏敬の念、
大自然に対する感謝の気持ち、
僕を支えて下さっている周囲の大好きな人たちへの
感謝の気持ちを、
自分の心の中で、しっかり持つ努力をしているから、
敢えて、物質である神棚は僕には、必要ありません。

これは、以前もご紹介しましたが
仏壇や位牌についても全く同じです。

もし、色々な事情で仏壇や位牌を
守ることができなくなったとしても、
ご先祖様に対する感謝の気持ちさえあれば
それだけで、十分。

これまた、先祖の祟りや災いが起こる・・・なんてことも
全くありません。

あなたが亡くなって、ご先祖様という立場になったら、
物質である仏壇や位牌を守れなくなった
子孫の悲しい気持ちや申し訳ない気持ちに接して
それに対し、
逆ギレするような真似をしますか?

常識で物事を考えれば、すぐに分かることです。

物を捨てたから・・・と言って、
たとえ、それが神聖なものと言われるお札や御守りや
仏像や木像、銅像、人形など、
それらを処分したから・・・と言って
僕たちには、悪いことなんて、
不幸なことなんて、災いなんて、絶対に起こりません。

むしろ、常に「何か起こるのではないか・・・」と考えてしまう
卑屈な心こそ、不幸や災いの原因だと
僕は思うのですが・・・。

物は、捨てても、罰は当たりません。

そこに感謝の気持ちと、
見えないものに対する畏敬の念がある限り、
そして、自分自身の心の中に
自分を愛する、自分を信じる心をしっかり持っている限り、
人は幸せなんです。

そろそろ、物を捨てる勇気を持ってみませんか?




*注*
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Posted by 山野本 竜規 at 06:09 │スピリチュアル&神社