RBCアナウンサー山野本竜規の「ナカトリモチ日記」

神社の神職は神と人との間を取り持つ「ナカトリモチ」。 神職資格を持つRBCアナウンサー山野本竜規が、仕事の 裏側からプライベートまで日々の出来事を皆さんにお届けします。
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2008年06月17日

質より量。~緊張なんて当たり前~

質より量。~緊張なんて当たり前~昨日、大好きな友達が
僕に甚平をプレゼントしてくれたので記念にパシャリチョキ

もともと和装が大好きなので
夏の蒸し暑い時期の部屋着や
ちょっとした外出の時にも使えて
かなりお気に入りですアップ

これからの時期、甚平や浴衣が
大活躍なので楽しみで仕方ありません♪赤

僕は、和装が大好きなのに加えて
周囲の人たちからも
浴衣や甚平や白衣、白袴を身にまとっている時、
「全く違和感ないね~キョロキョロ」と、よく言われます。

和装が馴染んでいる・・・という表現のほうが正しいのですが、
これにも理由があります。

答えは簡単で、「神職をやっていた・・・」という経歴上、
普通の人よりも
和装を着こなす回数が多かっただけのことです。

新人のサラリーマンのスーツ姿が、
初々しくて、どことなくぎこちなく見えていたのが
数か月経って、仕事にも慣れてきた頃に
スーツ姿が馴染んでくるのと全く同じ現象です。

そう、誰だって回数をこなせば、
そのうち、そういう風格になってくるものなんですね。

ここ最近、ある人から
「仕事で緊張しないようになるには、どうすればいいんでしょうか?」という
質問を受けました。

でも、こういう質問をしてくる人の場合は、
僕は、おおよそ「大丈夫だな。」と思います。

何故なら、そういう風に感じること自体、
真面目に直向きに仕事に取り組んでいる証拠ですし、
何より、仕事をナメていないからです。

アナウンサーという職業上、
同じような質問を色々な方から受けることがあるのですが
答えから先に言うと、
緊張は、いつでもしています。

これでも、アナウンサー10年目。

所謂、若手から、そろそろ中堅のキャリアになる頃なのですが
僕は、テレビにしても、ラジオにしても、
普通に、無難に放送をしているように見えて、
番組を終える頃には、緊張のために
手のひらに汗をかいていることが、ほとんどです。

だけど、新人の頃と何が違ってきたのか・・・と考えれば、
緊張するのは変わらないけれど、
ギリギリの時間でスタジオに入った時など
何か臨時の対応をしなければならない状況でも
冷静に対処できる
心の余裕が出来てきたことでしょうか。

これは、本当に、
回数を重ねて、場数をこなすしかありません。

僕が新人の頃は、アナウンサーの「ア」の字も
堂々と名乗れないほどの
失敗ばかり、怒られてばかりの新人でした。

たかだか数分のテレビニュースですら
極度の緊張に襲われ、
OAを知らせるカメラの赤いターリーランプが点いた途端、
頭は真っ白になり、口の中が乾いて
冷汗は出るし、原稿の内容も読み間違えるし・・・で
本当に情けないくらいの、ド素人でした。

だから、本番恐怖症、放送恐怖症になって
子供の頃からの夢だったはずなのに
放送が、テレビが怖くて怖くて仕方ない時期があり
それが原因で体調を崩すほどの
脆い社会人1年生だったのを覚えています。

だけど、3年も経ってくると
それまで緊張で頭が真っ白だった頃に比べれば
「あれっ!?ちょっとだけ、まともになってきた。」
「失敗せずに、少しだけ冷静に原稿が読めるようになってきた。」という風に
「あれっ!?」「あれっ!?」を繰り返すうちに
いつの間にやら、
新人の頃のようなシドロモドロの状態は、なくなってきました。
(当然のことですが・・・汗

そして現在、10年目。

それでも、まだまだ発展途上なので、
アナウンサーに限らず、
自分自身の技術を生業とする方は、
皆、同じような経験を積んでいらっしゃるかと思います。

だから、僕の場合は、
自分の仕事のジャンルも「職人」だと
いつも自覚しながら、
アナウンス業務に取り組んでいます。

全ての物事において、
回数を重ねる、場数をこなすことは大切だと思います。

「質より量」とは、よく言ったもので、
これは特に、
仕事や人生の経験そのものに
当てはまることではないでしょうか。

どんな作業にしても、
「量」をこなしていると、
必ず、ある時点から「質」に変わってきます。

勿論、量をこなさなくても何でも出来てしまう天才肌の人も
中には存在しますが、それは、あくまで例外であって、
僕を含め、多くの人は、
地道にコツコツと「量」をこなしていかなければなりません。

時々、霊視相談に来られる方の中でも、
「僕は、普通のサラリーマンにはなりたくないんです。」とか
「芸術家、作家、芸能人になりたいんです。」と
大きな夢を語る方がいらっしゃいますが、
正直言って、夢を語るだけなら、誰でも出来ます。

社会に飛び出す前の血気盛んな学生さんなら
まだ許せる発言ですが
オトナと呼ばれている30代~50代の人でも
結構いるものなんですよ。

僕は、こういう世間知らずな人に出会うと
言葉は悪いのですが、
いつも心の中で、「バ~~~カっ。」と一蹴してしまいます汗

普通のサラリーマンが、どんなに地道に
コツコツ働いて努力をしているのか、
その苦労に想いを馳せることができないような
感性の乏しい人が、
普通の人以上になれるはずなんて、ありません。

芸能人になりたい・・・。

だったら、どんな努力をしているのでしょうか?

作家に、芸術家になりたい・・・。

だったら、どんな作品を日々、作り出しているのでしょうか?

それを生業とするのであれば、
毎日、毎日、淡々と
その作業を続けなければなりません。

「量」は、必ず、ある時から
「質」に変わってくる・・・と書きました。

理想を語る余裕があるのなら、
うんちくを述べる時間の余裕があるのなら、
毎日、コツコツ、
地道な作業をこなし続ける大切さを
身を以て体感していたほうが、
よっぽど人生にとって有意義な時間の使い方のはずです。

芸能人にしても、芸術家にしても、作家にしても、
デザイナーにしても、
表面に出ている部分、作品なんて、ほんの一部です。

その陰には、
膨大な量の努力や作品が隠れています。

第一線で活躍する各分野の人たちも
その努力を見せていないだけか、
膨大な量の作業を日々、
普通に淡々とこなしているだけかの、どちらかだと思います。

質より量。

もし、このブログをご覧になっている方の中で
「日々、失敗の連続で、自分には才能なんて、ないんじゃないか。」と
落ち込んだり、心苦しい日々を過ごされている方がいらっしゃいましたら、
どうぞ、ご安心下さい。

その感覚、想いは、正常です。

むしろ、そういう謙虚さを以て続けてきた努力は、
決して無駄にはなりません。

時には夢半ばで諦める潔さも必要ですが、
何かを続けてきた「量」は、
どこかで必ず「質」となって、
あなた自身を助けてくれるものです。

だから、仕事では、
緊張してもいいですし、真っ白になってもいいですし、
シドロモドロになっても、怒られても、
何をやっても、大丈夫です。

そのうち、その全てが糧となり、
あなたの魅力の一部となっていきます。

仕事の失敗も、人生の失敗も、
何度も何度も繰り返していくうちに
その失敗は、失敗でなくなってくるはずです。

だから、安心して失敗して下さい。

僕は、自分の人生や仕事の失敗談を語らせたら
何時間でも話していられますよピース

そして、僕は、そういった失敗談を、暗く、重い感じではなく、
軽やかに、爽やかに話してくれる人たちが大好きです。

何故なら、みんな、
イキイキと、今を輝いて生きている人が多いから。

どうぞ、あなたも、失敗談を
明るく、軽やかに語ることができる人になって下さい。

さて、今度は、あの人に、
どんな失敗談を聞こうかな・・・うひひひひあかんべー


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Posted by 山野本 竜規 at 06:15 │仕事