RBCアナウンサー山野本竜規の「ナカトリモチ日記」

神社の神職は神と人との間を取り持つ「ナカトリモチ」。 神職資格を持つRBCアナウンサー山野本竜規が、仕事の 裏側からプライベートまで日々の出来事を皆さんにお届けします。
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2008年08月15日

色情霊(しきじょうれい)。

色情霊(しきじょうれい)。写真は、伊勢神宮の領地にある
神宮専用の「御神田」(ごしんでん)。

大地の穏やかで優しいエネルギーを感じる
隠れたパワースポットでもあります。

現在、僕と同じく
伊勢で神職資格を取得するために頑張っている
親友がメールと一緒に送ってくれたのですが、
何も教えなくとも、自然とこの場所に足が向かうあたり、
さすが、似た者同士ですな・・・ピース

田んぼには、稲の苗から育てた生産者の
大きな大きな愛情が、いっぱい詰まっています。



この田んぼを見ていると、
僕は、昔、仕事で知り合った
とても明るい、二人三脚で頑張る
夫婦の鏡のような2人の姿を思い出します。

以前、勤めていた放送局で
色々な旬の農作物と、その農家を紹介する
農業番組のリポーターを
担当していたことがあるのですが
(まだ、続いているのかな・・・←遠い目。)
毎週、早朝に起きて
色々な野菜や果物を栽培している農家をまわるのは
本当に色々な勉強になりました。

その中で、稲の収穫作業の取材があって
そこで知り合ったのが、本当にユニークなご夫婦。

実際の放送では、真面目に喋っていましたが
ロケ自体は、ご夫婦の下ネタのオンパレードで
(以下、鳥取弁。)
夫「昨夜はなぁ、今朝、取材があるけぇ、
  テレビ映りも良くせんと、いかんがぁ~。
  カミサンの肌ツヤ良くするためになぁ、
  いつものAパターンに加えて、
  Cパターンまで頑張ったわいや~。


妻「なんだいやっ、あんた、あれ、Cパターンじゃなくて、
  Dパターンだがぁ!あんな元気、どこにあったぁ~?


・・・ってな感じで、僕らも、ただただ笑うだけ。
一体、何パターンまであるんでしょうかね・・・汗

山陰地方は、基本的に保守的な地域なので
内気で生真面目な人が多く、
ここまで、おおらかで明るい雰囲気を持つ人は、
あまり見かけたことがありません。

きっと、この地域では、
こういった明るい雰囲気を持っていると
かなり目立ちますし、
周囲の人たちの嫉妬や、やっかみを
向けられやすいはずなのに、
何事も、この明るさと、ジョークで
ど~んっと吹き飛ばすような豪快さは、
傍で接していて、本当にあっ晴れでしたね。

大変なことも色々あるはずなのに、
こうやって何事も笑いに変えて
過ごすことが出来る人たちというのは、
真の辛さ、大変さを味わった上で身に付けた
本当の強さと優しさがあります。

だからでしょうか・・・。

その年は、稲は不作と言われていて
周囲の農家は、あまり出来が良くなかったのに
この夫婦の田んぼだけは、
黄金色の稲が、力強く、
イキイキと風に揺られていました。

最後のインタビューで、
僕が「この、お米の豊作の要因は何なんでしょう?」と聞いたら、
奥さんが
バリエーション豊富な夜の営みがあるからハート」と答えて、
もう一度、テレビ放送用にやり直し汗

今度は、真面目に
夫婦仲良く、やっているから。
 喧嘩したときでも、田んぼにいれば、いつの間にか仲直りしています。
」と
テレビ向きな!?ナイスな答えを言ってくれたことを、
今でもしっかり覚えています。

実は、昔の日本人は、
みんな、このような、おおらかな感じだったようです。

性に関しても、とてもオープンで
日本最古の書物と言われている古事記には、
そういった性交に関する記述も多くあります。

神社神職の場合も然りで、
イメージ的に、セックスはしてはいけないのかな・・・と
厳しい戒律があるかのように
勘違いされている方も多いかと思いますが、
確か、古い神社の決まりごとを記した書物には、
「性交をしたら、しっかり潔斎(身を清めること)してから
 神社の奉職につくべし・・・。」という記述まで
きちんと公文書のように残っているほどです。

では、なぜ、そういった「性」に関することが
タブー視されたり、
必要以上に抑圧される風潮や
イメージに結びついてしまったのか・・・。

神社は、稲作や農耕を生活基盤とする
日本古来から信じられてきた
八百万(やおよろず)の神、
つまり大自然のすべてのものが感謝の対象になる
「神道」(しんとう)という考え方が基本で、
メイド・イン・ジャパン、日本の文化。

一方、途中から入ってきた
「仏教」や「キリスト教」は、日本以外の文化。

この外国の文化である
仏教のお寺のお坊さんの修業の中に
性欲を禁止するものがあったり、
キリスト教についても
同じような戒律があったりするので、
メイド・イン・ジャパンの文化である
日本の「神社神職」も、
一緒くたにされてしまう傾向があるのです。

宗教の教義自体に物申す・・・とか、
そんな大それたことを言いたいのではなく、
きっと、もともとは、どの教義でも
自分を愛し、人を愛することを
しっかりと伝えているはずなんです。

ですが、その長い長い伝統の中で
「性」に関して、異常に執着してしまう
お弟子さんや、関係者がいたのでしょう。

自分が、あまりにも
性に関することに執着してしまうため
「神に仕える身なのに、セックスするなんて不潔だ。」とか
「エッチなことを考えるのも、ダメだ。」と
自分を戒める意味で、
その教義の中に、あたかも、
最初から決まりがあったかのように
書き加えてしまったと思うのです。

ある意味、これこそ、諸悪の根源であり、
後世の人たちを苦しめることになる
大罪ですよね。

でも、性欲があったり、
エッチなことを考えてしまうのは、
人間として生きている以上、
当たり前のことです。

暴走するほどの性欲に駆られてしまうのは、
やっぱり異常ですが、
必要以上に性欲を抑えてしまうと、
どうなることでしょうか・・・。

普通の、健全な人間であれば、
「私はエッチなことなんて、
 一度も考えたことがありません。」なんて
絶対に言えませんよね。

もし、若い人で、そこまでの
境地に至る人がいるのであれば
それは、
心の病気か、体が不健全な証拠でしょう。

また、セックスだけに頼って
心の寂しさを埋めようとするセックス依存症も
心の病気です。

実は、霊視相談で、たまに見かけるのが
いわゆる、セックス、エッチな考えなどを
必要以上に抑圧した結果、
心のバランスを崩してしまった人や
思春期で精神的に
不安定な男女に憑依してしまう
「色情霊」(しきじょうれい)という
未浄化霊の存在です。

生前、戒律を厳しく守ってきたけど、
満たされない性欲に異常に執着して
肉体が亡くなった今でも
生きている人の体を求めてしまう
心の弱い、だけど、厄介な霊の集団です。

お坊さんや、キリスト教の神父、修道士、修道女を始め、
自分の心の弱さから、
ずっと異性との性交に縁がなかった人など
比較的、生前は
「生真面目」だった霊が多いようです。

誤解のないようにお伝えしますが、
必ずしも、これらの職業の人たちの全てが
そうなる訳ではなく、
やっぱり、その人の人間力が足りなかったから
性に執着する色情霊となって彷徨っている訳で、
その点は、
他の未浄化霊と何ら変わりありません。

執着する対象が、「性」か「食」か「酒」、
または「人」か「お金、物質」かの違いだけです。

こう書くと、きっと、皆さん、
「ヤバイっ、もしかして、
 いつもエッチなことばかり考えているから
 色情霊の憑依を受けているかも知れない・・・。」と
冷や汗を流している方も多いかと思いますが、
ご安心下さい。

その感覚をお持ちの方は、健全な証拠ですので
大丈夫です。

色情霊は、必ずしも、
性欲があり過ぎたり、
エッチな人に憑依するという訳ではなく、
むしろ、色々な心の弱さを抱えているような
心に隙がある、精神的に不安定な人に
同調しやすい傾向にあります。

今回は、色情霊について
誤解のないように、詳しく
お伝えしたいと思いますので、
長くなりますから、
その具体的なお話については
何回かに分けてご紹介しますね。

ただ、1つ言えることは、
色情霊も、他の未浄化霊も
健全な心、体の持ち主には近寄れない、
波長も合わない・・・ということです。

どんな状況でも、
自分の心を強く持って、自分に優しく、人に優しく
生きていれば、
そのような影響を受けることもありませんし、
お守りや、お祓いや、供養も必要ありません。

そのことだけ、
しっかり心に刻み込んで下さいね!

それでは、この続きは、また明日。



*注*
 このブログのメッセージ欄を通して、または会社の電話を通しての
 霊視や個人セッション、勉強会の申し込み、質問、要望等は
 一切受け付けておりませんので、どうぞ、ご了承下さい。



*「未浄化霊」に関する、過去の参考記事。

集会が苦手な訳。

客にこそ、マナーが必要。

頑張る人へ。

お酒と、飲み会と、憑依。

霊能者である前に。



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Posted by 山野本 竜規 at 06:06 │スピリチュアル&神社