2007年10月09日
お酒と飲み会と憑依。
久しぶりに伊勢時代の仲間と再会しました。
神職資格を取得するために
一緒に苦楽を共にした仲間たちなので
積もり積もった話で盛り上がり
時間が経つのも忘れてしまうほど・・・

こういった楽しいお酒の席や集まりだったら、
たとえお酒が飲めない僕だとしても
いつでも参加したいなぁ~と思えます。
でも、実際は、こういった楽しい飲み会って
社会人になると、なかなかないものです。
何かしらの組織に所属する以上、
社内のスタッフ同士の親睦を図るために行われる飲み会には
新人の頃は、気が進まなくても参加しなくてはいけないし、
そこで、先輩や上司から良いアドバイスを頂けることもあります。
でも・・・。
僕は、基本的に、無理してお付き合いする
飲み会が大嫌いなので
どんなに周囲の評判が悪くなろうとも、
仕事上、どうしても必要な集まりや
「この人たちの集まりだったら大丈夫」と思える飲み会以外は
一切、そういったものには参加しません。
このブログでも何度も書いてきましたが、
おおよそ会社の飲み会って、
結局、誰かの噂話や仕事の愚痴で終わってしまう場合が多いからです。
噂話は、きっと誰でも興味はあります。
でも、そんな噂話や仕事の愚痴などは、
本当に親しい信頼できる間柄で、やれば良いだけのこと。
よく社内にも、各部署の人たちの
事細かな(くだらない、どうでもいいようなことも・・・)ことを知っている
「情報通」のような人がいますが、
僕は、こういった部類の人たちが大のニガテ。
「自分は、これだけ社内の噂、秘密、情報を知っているんだ・・・」というような
一種、独特の自慢&卑屈オーラが出ていて
本当に愚の骨頂。
僕だったら、
「だから、何???」の一言で一蹴するでしょうね。
よく、女性が噂話が好きだ・・・と世の男性諸氏は言いますが、
そういった「情報通」を気取っている幼稚な魂の持ち主に
いい歳をした男性が多いのも事実。
本当に情けないというか、女々しい・・・。
こういった言動を正当化して、
「社内の情報を知っておくのも、社員として当然だ」・・・と
ごもっともな言い訳をする(または正しいと信じ込んでいる)
幼稚な人も多いのですが、
そんなことしなくても、
会社の組織というのは、まがりなりにもちゃんと回るものだし、
そんなくだらない「情報収集」とやらは、
独り相撲をとっている虚しい行為に過ぎません・・・。
早く、そういった間違いに気付いて
自分なりの仕事やお役目に邁進する
オトナな魂の人が増えることを願ってなりません。
さて・・・。
ここまでは、僕が思っていることを書きましたが
では、スピリチュアルな観点から見た場合、
そういった、我慢や愚痴や噂話などの
くだらない飲み会や集まりが、
どういった風に見えているのかご紹介しましょう。
僕が、あまり興味のない会社の飲み会に参加しないのは、
単なるワガママだけでは、ないんですよ。
実は、そういった
お互い我慢や愚痴や噂話などの飲み会には、
同じような波長で呼び寄せられた未浄化の霊たちも
一緒になって、酒盛りをしている場合がほとんどなんです。
特に生前、お酒に溺れて体を壊して亡くなって
お酒などに強い執着を残している霊は、
亡くなったあとも、酒場をたむろして
「お酒が飲みたい」「お酒はどこだ」と彷徨っています。
生きている側の人間が、
同じように何かの依存からお酒を欲する場合、
または、延々、愚痴や噂話だけのお酒を飲む場合、
同じ低い波長を呼び寄せてしまい、
「酒を飲みたい・・・」と彷徨っている霊が、
「あっ、こいつは仲間だ・・・」と思ってスッと憑依してしまいます。
その集まりに一緒に居合わせた人の中でも
その時たまたま心の状態が良くなくて
落ち込んでいたり、悲しんでいたりしていた場合、
酒乱でなくとも憑依の影響を受けてしまいます。
その飲み会が終わった後、
なんとなく生きる気力がなくなったり、訳もなく悲しい気持ちが続いたり
二日酔いとは違った、頭や体の重さを感じたら
それは間違いなく、その場の悪い影響を受けていることになります。
だから、僕は繁華街の盛り場がニガテ。
きっと、何も見えない人でも、
怪しい繁華街や酒場一帯を歩くと
一種、異様な雰囲気が漂っていて
「なんとなく居心地悪いな~」と感じる人が多いのは
そういった未浄化霊たちが跋扈(ばっこ)しているのを
無意識に感じ取っているからなんですよ。
それを何とも感じないのは、
既に心の波長がそこに同化しているのでしょう。
よくお酒を飲むと、
ガラッと性格が変わる人がいますよね。
もちろん、寡黙な人が饒舌になって明るくなれば、
それはとても微笑ましいことなんですけど
その逆で、乱暴になったり、暴言を吐いたり・・・と
凶暴になる人の場合は
おおよそ8~9割は、何かしらの
憑依の影響を受けているといっても間違いありません。
憑依については、何度もこのブログでご紹介してきた通り、
特に怖がるものでも、忌み嫌うものでもないのですが
こういった酒乱のような憑依は、
ちょっと気をつけなければいけません。
僕たちが気をつけなければいけないのは、
その心のあり方です。
別にお祓いをしたり、祝詞やお経をあげたり、先祖供養をしたり・・・など
そんなことしなくても、
自分の心さえしっかりしていれば問題ありません。
本来、お酒というものは、楽しく頂くもの。
お酒に何の罪もないし、
繁華街や盛り場が悪いわけではありません。
お酒に依存する人というのは、
とても心が繊細で傷つきやすい人の場合が多い。
本来は素直な心の持ち主なんでしょうけど、
色々な原因で、その素直な心を表現することができず
お酒に頼ることで、
そのストレスを晴らすような場合が多々あります。
他の第三者が協力できるのは、
そういった依存症の人からお酒を断つための方法を
色々考えてあげることだと思います。
どんな理由があれ、決して、助長行為は禁物です。
そういった酒乱の人に飲みに誘われたら、
毅然とした態度で、または、上手く断り続けるのが真の優しさです。
・・・というのも、酒乱の人がお酒を飲むと
体に悪いのは勿論、
同じように酒に未練を残して亡くなった未浄化霊が
立ち代り、入れ替わり憑依してくることになるので
その人自身の魂も汚れて
傷付けてしまうことになるんです。
魂が傷付いた状態とは、人それぞれですが、
鬱病だったり、生きる気力が起こらなかったり、
逆に人に対して攻撃的だったり・・・と
形は違えども、心の孤独感や寂しさが
常に付きまとっている辛い状態です。
そうなると、人や社会、組織に常に批判的な、
どことなく近寄り難い雰囲気が出てくるもので
結果的に益々、他の人との心の距離は離れていき
また、お酒に走る・・・という悪循環。
結局は、本人自身が反省して努力して
お酒の依存をなくすか、楽しいお酒の飲み方を覚えるかの
どちらかしか方法がないのですが
もし、これが出来なければ、こういった人が亡くなった場合、
同じように酒場を彷徨うことになるでしょう。
そんなことで命を削るくらいなら、
もっと楽しいことで、そして、誰かの役に立つことで
心身を削ったほうが、よっぽど幸せなはずなのに・・・。
飲み会というのは、
お互いの親睦を図るために、時には楽しく、
時には真面目な話で盛り上がり有意義な時間を
みんなで共有するもの。
それ以外の飲み会や集まりは
ハッキリ言って、
本当の意味で仕事ができない人たちや
魂が幼稚園児並み同士の
ただの傷の舐め合いに過ぎません。
そんな集団の中にいて居心地の良さを感じるのであれば
いつまでもいればいいだけのことだし、
いたくなければ、
さっさと、そこから卒業する勇気を持って努力することです。
そういった心の強さを身に付けるのも、身に付けないのも
あとは本人次第。
僕は、やっぱり、楽しい集まりやお酒の席で、和みたいものです
社会人になると、なかなかないものです。
何かしらの組織に所属する以上、
社内のスタッフ同士の親睦を図るために行われる飲み会には
新人の頃は、気が進まなくても参加しなくてはいけないし、
そこで、先輩や上司から良いアドバイスを頂けることもあります。
でも・・・。
僕は、基本的に、無理してお付き合いする
飲み会が大嫌いなので
どんなに周囲の評判が悪くなろうとも、
仕事上、どうしても必要な集まりや
「この人たちの集まりだったら大丈夫」と思える飲み会以外は
一切、そういったものには参加しません。
このブログでも何度も書いてきましたが、
おおよそ会社の飲み会って、
結局、誰かの噂話や仕事の愚痴で終わってしまう場合が多いからです。
噂話は、きっと誰でも興味はあります。
でも、そんな噂話や仕事の愚痴などは、
本当に親しい信頼できる間柄で、やれば良いだけのこと。
よく社内にも、各部署の人たちの
事細かな(くだらない、どうでもいいようなことも・・・)ことを知っている
「情報通」のような人がいますが、
僕は、こういった部類の人たちが大のニガテ。
「自分は、これだけ社内の噂、秘密、情報を知っているんだ・・・」というような
一種、独特の自慢&卑屈オーラが出ていて
本当に愚の骨頂。
僕だったら、
「だから、何???」の一言で一蹴するでしょうね。
よく、女性が噂話が好きだ・・・と世の男性諸氏は言いますが、
そういった「情報通」を気取っている幼稚な魂の持ち主に
いい歳をした男性が多いのも事実。
本当に情けないというか、女々しい・・・。
こういった言動を正当化して、
「社内の情報を知っておくのも、社員として当然だ」・・・と
ごもっともな言い訳をする(または正しいと信じ込んでいる)
幼稚な人も多いのですが、
そんなことしなくても、
会社の組織というのは、まがりなりにもちゃんと回るものだし、
そんなくだらない「情報収集」とやらは、
独り相撲をとっている虚しい行為に過ぎません・・・。
早く、そういった間違いに気付いて
自分なりの仕事やお役目に邁進する
オトナな魂の人が増えることを願ってなりません。
さて・・・。
ここまでは、僕が思っていることを書きましたが
では、スピリチュアルな観点から見た場合、
そういった、我慢や愚痴や噂話などの
くだらない飲み会や集まりが、
どういった風に見えているのかご紹介しましょう。
僕が、あまり興味のない会社の飲み会に参加しないのは、
単なるワガママだけでは、ないんですよ。
実は、そういった
お互い我慢や愚痴や噂話などの飲み会には、
同じような波長で呼び寄せられた未浄化の霊たちも
一緒になって、酒盛りをしている場合がほとんどなんです。
特に生前、お酒に溺れて体を壊して亡くなって
お酒などに強い執着を残している霊は、
亡くなったあとも、酒場をたむろして
「お酒が飲みたい」「お酒はどこだ」と彷徨っています。
生きている側の人間が、
同じように何かの依存からお酒を欲する場合、
または、延々、愚痴や噂話だけのお酒を飲む場合、
同じ低い波長を呼び寄せてしまい、
「酒を飲みたい・・・」と彷徨っている霊が、
「あっ、こいつは仲間だ・・・」と思ってスッと憑依してしまいます。
その集まりに一緒に居合わせた人の中でも
その時たまたま心の状態が良くなくて
落ち込んでいたり、悲しんでいたりしていた場合、
酒乱でなくとも憑依の影響を受けてしまいます。
その飲み会が終わった後、
なんとなく生きる気力がなくなったり、訳もなく悲しい気持ちが続いたり
二日酔いとは違った、頭や体の重さを感じたら
それは間違いなく、その場の悪い影響を受けていることになります。
だから、僕は繁華街の盛り場がニガテ。
きっと、何も見えない人でも、
怪しい繁華街や酒場一帯を歩くと
一種、異様な雰囲気が漂っていて
「なんとなく居心地悪いな~」と感じる人が多いのは
そういった未浄化霊たちが跋扈(ばっこ)しているのを
無意識に感じ取っているからなんですよ。
それを何とも感じないのは、
既に心の波長がそこに同化しているのでしょう。
よくお酒を飲むと、
ガラッと性格が変わる人がいますよね。
もちろん、寡黙な人が饒舌になって明るくなれば、
それはとても微笑ましいことなんですけど
その逆で、乱暴になったり、暴言を吐いたり・・・と
凶暴になる人の場合は
おおよそ8~9割は、何かしらの
憑依の影響を受けているといっても間違いありません。
憑依については、何度もこのブログでご紹介してきた通り、
特に怖がるものでも、忌み嫌うものでもないのですが
こういった酒乱のような憑依は、
ちょっと気をつけなければいけません。
僕たちが気をつけなければいけないのは、
その心のあり方です。
別にお祓いをしたり、祝詞やお経をあげたり、先祖供養をしたり・・・など
そんなことしなくても、
自分の心さえしっかりしていれば問題ありません。
本来、お酒というものは、楽しく頂くもの。
お酒に何の罪もないし、
繁華街や盛り場が悪いわけではありません。
お酒に依存する人というのは、
とても心が繊細で傷つきやすい人の場合が多い。
本来は素直な心の持ち主なんでしょうけど、
色々な原因で、その素直な心を表現することができず
お酒に頼ることで、
そのストレスを晴らすような場合が多々あります。
他の第三者が協力できるのは、
そういった依存症の人からお酒を断つための方法を
色々考えてあげることだと思います。
どんな理由があれ、決して、助長行為は禁物です。
そういった酒乱の人に飲みに誘われたら、
毅然とした態度で、または、上手く断り続けるのが真の優しさです。
・・・というのも、酒乱の人がお酒を飲むと
体に悪いのは勿論、
同じように酒に未練を残して亡くなった未浄化霊が
立ち代り、入れ替わり憑依してくることになるので
その人自身の魂も汚れて
傷付けてしまうことになるんです。
魂が傷付いた状態とは、人それぞれですが、
鬱病だったり、生きる気力が起こらなかったり、
逆に人に対して攻撃的だったり・・・と
形は違えども、心の孤独感や寂しさが
常に付きまとっている辛い状態です。
そうなると、人や社会、組織に常に批判的な、
どことなく近寄り難い雰囲気が出てくるもので
結果的に益々、他の人との心の距離は離れていき
また、お酒に走る・・・という悪循環。
結局は、本人自身が反省して努力して
お酒の依存をなくすか、楽しいお酒の飲み方を覚えるかの
どちらかしか方法がないのですが
もし、これが出来なければ、こういった人が亡くなった場合、
同じように酒場を彷徨うことになるでしょう。
そんなことで命を削るくらいなら、
もっと楽しいことで、そして、誰かの役に立つことで
心身を削ったほうが、よっぽど幸せなはずなのに・・・。
飲み会というのは、
お互いの親睦を図るために、時には楽しく、
時には真面目な話で盛り上がり有意義な時間を
みんなで共有するもの。
それ以外の飲み会や集まりは
ハッキリ言って、
本当の意味で仕事ができない人たちや
魂が幼稚園児並み同士の
ただの傷の舐め合いに過ぎません。
そんな集団の中にいて居心地の良さを感じるのであれば
いつまでもいればいいだけのことだし、
いたくなければ、
さっさと、そこから卒業する勇気を持って努力することです。
そういった心の強さを身に付けるのも、身に付けないのも
あとは本人次第。
僕は、やっぱり、楽しい集まりやお酒の席で、和みたいものです

Posted by 山野本 竜規 at 08:09│Comments(0)
│スピリチュアル&神社
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