2008年12月23日
延命措置について。
現在、闘病中の母が
将来的に快復して自宅に戻った時、
母が参列できなかった
父の葬儀の様子を
形として残しておくために
記録写真を撮っていたのですが
なかなか写真館に足を運ぶ機会がなく
先日、ようやく現像できました。
写真を見ていると、
父が亡くなる前後の出来事が
少しずつ思い出されます。
勿論、冷静に、淡々と
自分の心の中で
様々な出来事の咀嚼(そしゃく)を
しているだけなので
相変わらず
涙は一切、流れてこないのですが
「色々なことがあったな・・・。」と
しみじみ実感。
そう言えば、
父が亡くなる数日前、
担当師から呼ばれて
延命措置について
「YESか、NOか・・・。」と
丁寧な説明を受けた上で
同意書にサインを求められた
ことがありました。
その頃、父の状態は
悪いながらも安定していて
まさか、急に亡くなるなんて
思ってもいなかったのですが
医師からは
「万が一の出来事も想定して・・・」という
前置きがあった上での
説明でした。
延命措置とは、
読んで字のごとく、
患者が生命を維持していく上で
自力で体の機能を
維持できなくなった時、
昔は、自然と寿命を迎えたのに対し、
現代の医学の進歩によって
人工呼吸器の装着や
血液循環の維持、人工透析、
心肺蘇生など
様々な機器を使って
回復が絶望的な患者に対して
機械や薬で延命治療を行うものです。
たとえば、
末期のがん患者などが
本当に人生の最期を迎える瞬間、
延命のための装置がなければ
その時点で天寿を全うするはずが、
家族の意向で
「1分、1秒でも長く「生きた状態」に
しておきたい・・・。」という願いから
機械によって
人工的に「生きている状態」を作る
措置でもあります。
勿論、その措置を行うことによって
患者には
肉体的苦痛や大きなダメージが伴い
ボロボロの状態になっていく
リスクが発生します。
逆に、延命を希望すれば
ほんの少しの時間だったとしても
「生きている状態」が
長くなるので
愛する家族の最期を
しっかり見届けたい・・・という
遺族の悲しい気持ちを和らげる意味で
有効な場合もあるようです。
この延命措置については
賛否両論あるようですので、
どちらが正しい・・・という
断定の仕方はしたくありませんが
霊的世界の通訳として
スピリチュアルな観点から
この延命措置が
どのように解釈されているのか
正直に、ご紹介したいと思います。
父の場合、
とりあえず、姉弟4人で話し合って
決めることにしたのですが
説明を受けた次女と僕は
その場で、延命措置については
「NO!」、つまり、
「行なわなくていい」と
2人の意見が一致。
家に戻り、長女と弟に聞いてみると、
2人は、
「少しでも長く生きることができるのなら・・・。」
という
家族としては当然の感情で
「延命措置を行いたい。」とのこと。
これが最初の姉弟4人の見解。
その後、何度か
意見を交わし合い
その日のうちに、4人全員が
「延命措置を行わない。」
という結果になり、
同意書にサインしました。
その数日後、
父は延命措置をする間もなく、
容態が激変して
そのまま亡くなってしまったのですが、
あの時、延命措置の同意書に
「行わない」とサインした決断は
僕たち家族としては
間違っていなかったと思うのです。
やはり、人の生死は
大自然の流れに
全てお任せするしかありません。
たとえ現代医学が進歩したとは言え、
人の命に関わる、
しかも、寿命という
この世の終わりを迎える瞬間を
人間側の都合で
人工的に
無理やり伸ばすのは
大自然の流れに逆らうことになります。
勿論、延命措置を
行なったことによって
大切に想う家族の死に目に
間に合った・・・と
唯一の慰めを見出すことは
できるでしょう。
だけど、その分、
延命措置を行われる側の患者は
肉体的ダメージも相当なもので
機械が止まれば、
すぐに亡くなってしまうだけの
人工的に「生きた状態」を
作らされているだけ。
回復の見込みがあるのなら
懸命な治療は必要ですし、
病院側も
ありとあらゆる治療方法に
最善を尽くしているのですから、
それでも
回復が絶望的だ・・・となった時、
その結果は、結果として
素直に
受け止めなければいけません。
延命措置に頼っている時、
患者の状態が
霊的世界から
どのように映っているのか
ご紹介しましょう。
事故などの突然死の場合や
自殺などは
色々なケースがあるので
一概に「こうだ!」と断定できませんが
老衰や、病気で亡くなる場合は
ある程度、その様子が
共通しています。
人は、自殺以外で
亡くなる直前、
色々なことがあった人生を終えるために
魂が、霊的世界へ旅立つ準備を
始めています。
たとえ、病気で
苦しそうにしていたとしても
眠るように、静かに
息を引き取ったとしても
自殺以外の死の場合、
もとい、
霊的世界に旅立つ瞬間というのは、
この世の辛い人生の勉強を終えた
開放感と安らぎに満ちたものだ・・・と
霊的世界のエネルギーは
伝えてこられます。
僕たちの体には
肉体と魂(幽体)を繋ぐ
ロープのようなものが何箇所かあって
人間が死を迎えると、
おおよその場合、
数時間後に
そのロープが自然と切り離されて
肉体と魂は別々のものになります。
どんな亡くなり方をしたとしても
自殺以外の亡くなり方の場合は、
自然とロープが切れるのを
待つのみなので
その肉体的感覚も、
そう長く感じることがありません。
肉体と魂を繋いでいる
ロープが切れる時、
魂が感じていた
肉体的な痛みや感覚も
全て切り離されることになるので、
それで以って、
ようやく魂だけになり、
向うべき世界への
準備をするのですが、
自殺の場合に限って言えば、
無理矢理、肉体を痛めつけて
強引に魂だけの
存在になってしまう訳ですから
肉体と魂を繋いでいる
ロープのようなものは、
なかなか切り離すことができません。
この肉体と幽体(魂)を繋ぐ
ロープが外れない限り、
その肉体が感じている痛みは、
そのまま魂にも響いています。
・・・ということは、
普通の人なら
「死」というものを迎えれば、
数時間後に
肉体的感覚がなくなるのに対し、
自殺者の場合は、
お葬式が終わったあとの
火葬で荼毘に伏されるまで、
その肉体的苦痛が伴うわけです。
これを、延命措置を行なった患者に
当てはめると
どうなるでしょう・・・。
人は、自然に死を迎えた瞬間、
その直後というのは、
まだ肉体的感覚が
残っているのです。
魂自体は、
霊的世界に向かおうと
しているのに、
それを無理やり引き止めて
延命措置によって
「生きている状態」を作るために
色々な管を体中に刺したり
必要以上の
ショックを与えたりすると、
その肉体的苦痛は、
そのまま魂に響いてしまいます。
人は、亡くなったら、
何も無くなる・・・と考える
物質的価値観でしか
物事を捉えられない人に
とってみれば、
少しでも長く肉体を残し、
生命を維持したい、
または、維持してあげることが
患者の幸せのため・・・と
真剣に願うことでしょう。
だけど、
残された、生きている人間の
「悲しいから。」
「もう少しだけ、一緒にいたいから。」という
身勝手な理由だけで
霊的世界に旅立とうとしている魂を
肉体的苦痛を伴わせて
引き止めるような行為、
死後の世界が、
しっかりと存在している・・・
という
正しい知識を身に付けていれば
絶対にしないはずですし、
もし、僕が
逆の患者の立場だったら、
「もう、これ以上、苦痛を与えないで!」と
叫びたくなることでしょう。
このような霊的世界の
正しい知識があれば、
回復が絶望的な場合の
延命措置を行うことに対し、
「YES!」か「NO!」か
たとえ悲しい選択だったとしても
理性で判断できるはずです。
この問題については
まだ具体的な法律がないため、
生前、患者の
意思確認ができる場合は
本人の意思を、
そして、そのような状態でない場合は
患者の家族が
最終的に、
どちらかの決断を
しなければなりません。
霊的世界の通訳としての
見解は、
上記で述べた通りですが、
それでも
延命措置を行うことによって
残された側の遺族の
心の負担が減った・・・という
事実もあるので、
こればかりは、
本当に人それぞれです。
もしもの場合、
あなただったら、
どのような決断を下すのか、
一度、考えられてみるのも、
生命の尊さ、
生きることの大切さを
見つめなおす
良い機会になるのかも知れませんね。
*注*
このブログのメッセージ欄を通して、
または会社(RBC)の電話を通しての
霊視や個人セッション、勉強会の申し込み等は
一切受け付けておりませんので、
どうぞ、ご了承下さい。
父が亡くなる前後の出来事が
少しずつ思い出されます。
勿論、冷静に、淡々と
自分の心の中で
様々な出来事の咀嚼(そしゃく)を
しているだけなので
相変わらず
涙は一切、流れてこないのですが
「色々なことがあったな・・・。」と
しみじみ実感。
そう言えば、
父が亡くなる数日前、
担当師から呼ばれて
延命措置について
「YESか、NOか・・・。」と
丁寧な説明を受けた上で
同意書にサインを求められた
ことがありました。
その頃、父の状態は
悪いながらも安定していて
まさか、急に亡くなるなんて
思ってもいなかったのですが
医師からは
「万が一の出来事も想定して・・・」という
前置きがあった上での
説明でした。
延命措置とは、
読んで字のごとく、
患者が生命を維持していく上で
自力で体の機能を
維持できなくなった時、
昔は、自然と寿命を迎えたのに対し、
現代の医学の進歩によって
人工呼吸器の装着や
血液循環の維持、人工透析、
心肺蘇生など
様々な機器を使って
回復が絶望的な患者に対して
機械や薬で延命治療を行うものです。
たとえば、
末期のがん患者などが
本当に人生の最期を迎える瞬間、
延命のための装置がなければ
その時点で天寿を全うするはずが、
家族の意向で
「1分、1秒でも長く「生きた状態」に
しておきたい・・・。」という願いから
機械によって
人工的に「生きている状態」を作る
措置でもあります。
勿論、その措置を行うことによって
患者には
肉体的苦痛や大きなダメージが伴い
ボロボロの状態になっていく
リスクが発生します。
逆に、延命を希望すれば
ほんの少しの時間だったとしても
「生きている状態」が
長くなるので
愛する家族の最期を
しっかり見届けたい・・・という
遺族の悲しい気持ちを和らげる意味で
有効な場合もあるようです。
この延命措置については
賛否両論あるようですので、
どちらが正しい・・・という
断定の仕方はしたくありませんが
霊的世界の通訳として
スピリチュアルな観点から
この延命措置が
どのように解釈されているのか
正直に、ご紹介したいと思います。
父の場合、
とりあえず、姉弟4人で話し合って
決めることにしたのですが
説明を受けた次女と僕は
その場で、延命措置については
「NO!」、つまり、
「行なわなくていい」と
2人の意見が一致。
家に戻り、長女と弟に聞いてみると、
2人は、
「少しでも長く生きることができるのなら・・・。」
という
家族としては当然の感情で
「延命措置を行いたい。」とのこと。
これが最初の姉弟4人の見解。
その後、何度か
意見を交わし合い
その日のうちに、4人全員が
「延命措置を行わない。」
という結果になり、
同意書にサインしました。
その数日後、
父は延命措置をする間もなく、
容態が激変して
そのまま亡くなってしまったのですが、
あの時、延命措置の同意書に
「行わない」とサインした決断は
僕たち家族としては
間違っていなかったと思うのです。
やはり、人の生死は
大自然の流れに
全てお任せするしかありません。
たとえ現代医学が進歩したとは言え、
人の命に関わる、
しかも、寿命という
この世の終わりを迎える瞬間を
人間側の都合で
人工的に
無理やり伸ばすのは
大自然の流れに逆らうことになります。
勿論、延命措置を
行なったことによって
大切に想う家族の死に目に
間に合った・・・と
唯一の慰めを見出すことは
できるでしょう。
だけど、その分、
延命措置を行われる側の患者は
肉体的ダメージも相当なもので
機械が止まれば、
すぐに亡くなってしまうだけの
人工的に「生きた状態」を
作らされているだけ。
回復の見込みがあるのなら
懸命な治療は必要ですし、
病院側も
ありとあらゆる治療方法に
最善を尽くしているのですから、
それでも
回復が絶望的だ・・・となった時、
その結果は、結果として
素直に
受け止めなければいけません。
延命措置に頼っている時、
患者の状態が
霊的世界から
どのように映っているのか
ご紹介しましょう。
事故などの突然死の場合や
自殺などは
色々なケースがあるので
一概に「こうだ!」と断定できませんが
老衰や、病気で亡くなる場合は
ある程度、その様子が
共通しています。
人は、自殺以外で
亡くなる直前、
色々なことがあった人生を終えるために
魂が、霊的世界へ旅立つ準備を
始めています。
たとえ、病気で
苦しそうにしていたとしても
眠るように、静かに
息を引き取ったとしても
自殺以外の死の場合、
もとい、
霊的世界に旅立つ瞬間というのは、
この世の辛い人生の勉強を終えた
開放感と安らぎに満ちたものだ・・・と
霊的世界のエネルギーは
伝えてこられます。
僕たちの体には
肉体と魂(幽体)を繋ぐ
ロープのようなものが何箇所かあって
人間が死を迎えると、
おおよその場合、
数時間後に
そのロープが自然と切り離されて
肉体と魂は別々のものになります。
どんな亡くなり方をしたとしても
自殺以外の亡くなり方の場合は、
自然とロープが切れるのを
待つのみなので
その肉体的感覚も、
そう長く感じることがありません。
肉体と魂を繋いでいる
ロープが切れる時、
魂が感じていた
肉体的な痛みや感覚も
全て切り離されることになるので、
それで以って、
ようやく魂だけになり、
向うべき世界への
準備をするのですが、
自殺の場合に限って言えば、
無理矢理、肉体を痛めつけて
強引に魂だけの
存在になってしまう訳ですから
肉体と魂を繋いでいる
ロープのようなものは、
なかなか切り離すことができません。
この肉体と幽体(魂)を繋ぐ
ロープが外れない限り、
その肉体が感じている痛みは、
そのまま魂にも響いています。
・・・ということは、
普通の人なら
「死」というものを迎えれば、
数時間後に
肉体的感覚がなくなるのに対し、
自殺者の場合は、
お葬式が終わったあとの
火葬で荼毘に伏されるまで、
その肉体的苦痛が伴うわけです。
これを、延命措置を行なった患者に
当てはめると
どうなるでしょう・・・。
人は、自然に死を迎えた瞬間、
その直後というのは、
まだ肉体的感覚が
残っているのです。
魂自体は、
霊的世界に向かおうと
しているのに、
それを無理やり引き止めて
延命措置によって
「生きている状態」を作るために
色々な管を体中に刺したり
必要以上の
ショックを与えたりすると、
その肉体的苦痛は、
そのまま魂に響いてしまいます。
人は、亡くなったら、
何も無くなる・・・と考える
物質的価値観でしか
物事を捉えられない人に
とってみれば、
少しでも長く肉体を残し、
生命を維持したい、
または、維持してあげることが
患者の幸せのため・・・と
真剣に願うことでしょう。
だけど、
残された、生きている人間の
「悲しいから。」
「もう少しだけ、一緒にいたいから。」という
身勝手な理由だけで
霊的世界に旅立とうとしている魂を
肉体的苦痛を伴わせて
引き止めるような行為、
死後の世界が、
しっかりと存在している・・・
という
正しい知識を身に付けていれば
絶対にしないはずですし、
もし、僕が
逆の患者の立場だったら、
「もう、これ以上、苦痛を与えないで!」と
叫びたくなることでしょう。
このような霊的世界の
正しい知識があれば、
回復が絶望的な場合の
延命措置を行うことに対し、
「YES!」か「NO!」か
たとえ悲しい選択だったとしても
理性で判断できるはずです。
この問題については
まだ具体的な法律がないため、
生前、患者の
意思確認ができる場合は
本人の意思を、
そして、そのような状態でない場合は
患者の家族が
最終的に、
どちらかの決断を
しなければなりません。
霊的世界の通訳としての
見解は、
上記で述べた通りですが、
それでも
延命措置を行うことによって
残された側の遺族の
心の負担が減った・・・という
事実もあるので、
こればかりは、
本当に人それぞれです。
もしもの場合、
あなただったら、
どのような決断を下すのか、
一度、考えられてみるのも、
生命の尊さ、
生きることの大切さを
見つめなおす
良い機会になるのかも知れませんね。
*注*
このブログのメッセージ欄を通して、
または会社(RBC)の電話を通しての
霊視や個人セッション、勉強会の申し込み等は
一切受け付けておりませんので、
どうぞ、ご了承下さい。
Posted by 山野本 竜規 at 02:39
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