RBCアナウンサー山野本竜規の「ナカトリモチ日記」

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2007年12月07日

自殺した魂たち。

自殺した魂たち。自殺した魂たち。

「自殺した魂たち」・・・。
う~ん、タイトルが、とてもオドロオドロしい感じもしますが
他に適切な言葉が見当たらなかったので
ストレートに表現しました・・・汗

先日、このブログでご紹介した「死後の世界」について
色々な質問がメールで送られてきたのですが、
僕の霊視や個人セッションの依頼の中でも比較的多いのが
自殺された方の遺族からの依頼です。

「遺書も何も残さず自殺したので、何故、自ら命を絶ったのか知りたい・・・」と。

その前に・・・。

昨日は、天気も良くて長袖だと
ちょっと暑いくらいのお散歩日和だったので
久しぶりに首里城公園に行ってきました。

この公園内にある「西(いり)のアザナ」という展望台からは
那覇市内が一望できて
空港の飛行機の離着陸の様子や、海の向こうに見える慶良間諸島、
那覇市内を走るモノレールなど、
人や自然が、しっかり生きているエネルギーを感じることができる場所です。

こんな素敵な景色を眺めていたら、
自分たちが悩んでいることも、それぞれが抱えている問題も、
本当にちっぽけに思えてくるもので、
スピリチュアル的なエネルギーを感じ取っている僕にとっても
この場所は、元気をもらえて、
尚且つ体内の見えない空気の入れ替えができる
近場のエネルギーチャージの聖域でもありますキラキラ 

もし、自殺を考えてしまうほど思い悩んでいる人たちが
僕の目の前にいたとしたら、
一度でいいから、この場所からの景色を見せて差し上げたいと思うほど
心が洗われる素敵な景色です。

僕は、これまで色々な方からの霊視依頼を受けてきましたが
特に心が痛むのは、自殺した方の残された遺族からの相談です。

「家族には、何も伝えずに自殺したから、その真相が知りたい」

「今、自殺した○○の魂は、私たちに何か伝えたいことはありますか?」

「なんで、死んでしまったのか・・・。」

そのお気持ち、痛いほどよく理解できます。

僕の結論から先にお伝えすると、
自殺した魂たちは、自分のことで精一杯なので
「残された遺族に何かを伝えたい・・・」なんて余裕が全くありません。

どういうことかと言うと、
僕が自殺した故人を霊視すると、ほとんどの場合が
「苦しい」「辛い」「悔しい」「ゴメンなさい」・・・という
単調な感情しか表現できないほど
自分が命を絶った状態の時のままで訴えてきます。

首を吊った人なら、「首が苦しい」「息が出来ない」。
高いところから飛び降りた人なら、「怖い」「痛い」。
入水自殺なら、「胸が苦しい」「息が出来ない」。

・・・といった具合で、普通の霊視の場合と違って
故人から具体的なメッセージが伝えられることは
ほとんどなく、
肉体が無くなった今でも、自殺当時と同じ状態が続いているので
「自分自身が死にきれていない・・・」と
錯覚している場合が多いんです。

死後の世界のことについては、
先日ブログで、その概要をお伝えしましたが
自殺に関しては、人が亡くなって50日前後留まる
幽現界に、長く居座ることになります。
しかも、肉体的な痛みを伴ったままで・・・。

僕たちの体には
肉体と魂(幽体)を繋ぐロープのようなものが何箇所かあって
人間が死を迎えると、おおよその場合、
数時間後にそのロープが自然と切り離されて
肉体と魂は別々のものになります。

自然死にしても、病死にしても、事故死にしても
はたまた、人に殺められたとしても、
自殺以外の亡くなり方の場合は、
自然とロープが切れるのを待つのみなので
その肉体的感覚も、そう長くは感じることがありません。

肉体と魂を繋いでいるロープが切れる時、
魂が感じていた肉体的な痛みや感覚も
全て切り離されることになるので、それで以って、
ようやく魂だけになり、向うべき世界への準備をするのですが、
自殺の場合に限って言えば、
無理矢理、肉体を痛めつけて
強引に魂だけの存在になってしまう訳ですから
肉体と魂を繋いでいるロープのようなものは、
なかなか切り離すことができません。

この肉体と幽体(魂)を繋ぐロープが外れない限り、
その肉体が感じている痛みは、そのまま魂にも響いています。

・・・ということは、普通の人なら
「死」というものを迎えれば、数時間後に肉体的感覚がなくなるのに対し、
自殺者の場合は、お葬式が終わったあとの
火葬で荼毘に伏されるまで、その肉体的苦痛が伴うわけです。

自殺の衝撃と肉体的苦痛に加え、
肉体を焼かれる耐え難い痛み、苦しみまで
リアルに体験することになります。

「死んだらラクになる・・・」と思って自殺したはずが、
自殺した衝撃があったあとも、
激痛が残っているし、苦しさはそのまま。
「なんて、苦しいんだろう。でも、意識はある・・・何故なんだろう・・・
 苦しい、苦しい、まだ死にきれていないのか・・・」

まず、自ら命を絶った場合、
どんな亡くなり方をしようとも
その肉体的な痛み、衝撃、苦しさ等、
全て魂だけになっても、その状態が続きます。

そんな、耐え難い痛みや辛さの絶頂にいる時に
「残された私たち(遺族)に何か伝えたいことはないか・・・」というような
一方的な質問をされたところで、
自殺した魂は、答えられるはずもありません。
自分の痛みや苦しみだけで精一杯なのですから・・・。

なので、僕が、この自殺した魂たちに
先ずお伝えするのは、
「今、苦しんでいる、そして痛んでいる首(首吊りの場合)、
 もう苦しくないんですよ。あなた、もう肉体がないんですから・・・」ということ。

ほとんどの魂が、肉体と魂を繋ぐロープが切れた後でも、
自らの思い込みで、同じ苦しさを自分で背負っているのですが
やがて、「あっ、本当に肉体がなくなったんだ・・・」ということに
気づき始めます。

次のステップで、僕がやることは・・・。

魂は想念の世界ですから
「体が回復した」と思えば、すぐに元通りになります。

生々しい表現かも知れませんが、
首吊りをして、息が出来なかった魂も、
飛び降りをして、顔や体がグチャグチャだった魂も、
足や腕が無くなっていた魂でも、
一瞬にして、元に戻ります。

だから、先ずは、自殺者の魂に
「もう肉体がなくて、肉体の苦しさは終わった」ということを
しっかり理解して頂くことが、僕の重大な役割。

それが出来たら
今度は、「苦しい」「辛い」しか表現できなかった
魂たちの本音を聞いて、次に行くべき世界のご案内をします。

僕が、自殺した魂に対する
浄化のお手伝いができるのは、ここまでです。

僕たち霊能者が
「魂の浄化」、「浄霊」という見えないことを行うとき、
実は、こういった地道で、コツコツとした
魂とのコミュニケーションを取りながら、
そのお手伝いをさせて頂いているんです。

だから、「えいっ!」とか「や~っ!」とか
目に見える形でのお祓いのような儀式は、
僕にとって、ほとんど意味のない行為なんです。

多分、あれは、人間にとって都合の良い
パフォーマンス的な側面も兼ね備えていると思います。

「浄霊」という作業は、オドロオドロしくも、荒々しくもなく
ただただ、淡々と心を込めて静かに
心の中だけで行うものなんです。
あくまで、僕の場合ですが・・・。

さて、自殺した魂たちは、それまで気づくことすら出来なかった
生前、ご縁があった先祖霊や守護霊様のような霊的存在が
自分にもいて下さった・・・ということに少しずつ気づいて、
あとは僕から、
この霊的世界の人たちにバトンタッチをお願いします。

だからと言って、普通の人が辿るような魂の浄化の過程、
ステップに進めるはずもありません。

幽現界から、幽界にステップアップしたとしても
今度は、同じように自殺した魂同士が集まるステージで
自分の行いが、いかに間違っていたのか、
長い期間、反省しなければいけないからです。

でも、未浄化の状態から、
ようやく幽界のステージに浄化されただけでも
本当に良かった・・・と感じるほど
自殺者の魂というのは未浄化の状態(幽現界に留まり続ける)で
苦しんでいることが多いんですよ。

さて、そんな過程を経て
ある程度、自分の遺志を伝えることができるようになった
自殺者の魂たち・・・。

でも、僕は、ほとんどの場合、
その本音を遺族にはお伝えしません。

何故なら、自殺した理由に関しても
「家族には言いたくない」「静かに見守って欲しい」と
願う魂がほとんどだから。

残された遺族としては、そんな答えでは
納得いきませんし、やるせない気持ちかも知れませんが、
その故人の遺志を一番に尊重するのであれば
「自殺するほどの辛い理由があった。ただそれだけのこと」
という事実を認めるだけでも、十分な供養になります。

僕も、果たして
これだけで良いのかどうか迷うことがありますが、
おおよそ、自殺した魂を
しっかり見守っている守護霊様たちが
同じように「それだけで十分です」とおっしゃるので
僕も、そこまでに留めています。

厳しい言い方かも知れませんが
このようなケースで霊的世界から、僕に伝えられるのは、
真相を知りたい、本音を知りたい・・・というのは、
「自殺した本人の供養をしたい」と願う気持ちとは裏腹に
残された遺族自身の
自己満足、自分たちの慰めの理由探しにしか過ぎない・・・ということ。

「自殺するほど辛い理由があった、ただそれだけのこと。」

愛する家族が自殺してしまった場合、
ここまでの境地に至るには
普通じゃ、なかなか難しいことかも知れませんが
自殺者に対する何よりの供養は、
たとえ自殺した本人の霊を見ようと、
怪しい霊能者やユタや宗教団体から
「あなたの家族は浄化されていません」と言われようと、
「地獄を彷徨っています」と言われようと、
そんなことには一切動じず
「私には私の人生がある」と、しっかりと自立した強い心を持つことです。

別に自分以外の誰かに無関心になれ、冷たくしろ・・・と
言っているのではありません。

まずは、残された遺族がしっかり、自分の人生を歩くことが大切。

そして、そんな自立した家族たちの姿を見る余裕ができるまで
心の浄化が進んできた自殺した魂たち(幽現界から幽界に浄化された魂)は
必ず、自ら命を絶ったことを激しく後悔することになります。

だけれども、その激しい後悔を繰り返す中で
しっかり生きる家族たちの姿に励まされ、
「次は同じような失敗は二度と繰り返さない」と強く想い、
時間はかかるかも知れませんが、
また人間界に再生して、前世で果たせなかった
課題を同じように繰り返して乗り越えたい・・・と魂を輝かせていくものなんですよ。

自殺がいかに愚かな行為で
霊的世界から見れば殺人と同様、またはそれ以上の大罪なのか、
そして、死後も、肉体、魂共に
本当に苦しい想いをしなければいけないことになる・・・ということが
少しはご理解頂けたかと思います。

それでも、まだ、
「自殺したい」「死にたい」と思いますか?

ご遺族の方には、大変失礼な表現かも知れませんが
自殺した人に対する供養は、
「早く自分の過ちに気づいて、少しでも早く浄化できるように頑張ってね」と
心から願うのみです。

そして自殺した魂が、
いきなり霊界まで浄化することなんて、あり得ません。

あるとしても幽現界→幽界までです。

こういった霊的知識があれば、
「この祈祷や先祖供養を受ければ、魂が浄化される」と騙されずに
高い祈祷料や先祖供養料につぎ込むこともなくなりますし、
お経や祝詞で解決することが無駄だと分かりますし、
豪華な仏壇や仏像、お墓等・・・
全て必要ないということも理解できますよね。

何度も、何度でも、言いますが
全ては、生きている人間側の
「浄化を願う気持ち次第」です。

それ以上、僕たちが出来ることは何もありません。

いやっ、僕たちが
こういった自殺者の魂や、未浄化霊たちのために
やらなければいけないことは、
「自分の人生をしっかり生きている」という
輝かしい姿を見せることです。

それが何よりの供養。

メールや、電話等で
「供養の仕方が分からない」と
大量の質問が毎日のように来ますが、
何度も、何度も、何度も言った通り
自分の人生をしっかり生きることさえやっていれば、
それだけで、十分です。

もっと言えば、それ以外の余計なことは
一切やらなくてもいいほどです。

もし、「供養が足りない!」「私の苦しさを分かって!」と
訴えてくるような未浄化霊がいたとしたら、
どんな人でも
「人に頼らず、自分自身でしっかり浄化できる強さを身につけて下さい!」と
強く諫めることができるくらいの
自分作りをしておかなればいけません。

これで、少しはご理解頂けましたでしょうか。

自殺した魂であれ、他の未浄化霊の魂であれ、
はたまた、亡くなった家族やご先祖様の供養であれ、
全て「本人の気持ち次第」、そして、本人がしっかり生きることで
その浄化のお手伝いができているんです。

だからこそ、それぞれの人生を、どんなダメな人生だったとしても、
命ある限り、とにかく、最後まで生き抜いて下さいね。



*注*
 このブログのメッセージ欄を通して、または会社の電話を通しての
 霊視や個人セッション、勉強会の申し込み等は
 一切受け付けておりませんので、どうぞ、ご了承下さい。




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Posted by 山野本 竜規 at 06:39 │スピリチュアル&神社