RBCアナウンサー山野本竜規の「ナカトリモチ日記」

神社の神職は神と人との間を取り持つ「ナカトリモチ」。 神職資格を持つRBCアナウンサー山野本竜規が、仕事の 裏側からプライベートまで日々の出来事を皆さんにお届けします。
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2007年12月05日

死後の世界。

昨日、いつもブログを読んで下さっている男性の方から
丁寧な、だけど少し急を要するメールが届いていました。

昨夜、その男性の甥っ子さんが交通事故で亡くなって、
どう見送って良いのか分からない・・・とのこと。

確かに、親族が突然死した場合、
身内の方の心の動揺や、心痛は計り知れないものがあります。

この男性の場合、
このブログを参考にして、なるべく故人の浄化を願う心を持ちながらも
やっぱり、色々な感情が溢れ出してきて
この先、どのような供養の仕方をして良いのか迷ってしまったそうです。

その甥っ子さんが亡くなって、まだ24時間も経たないうちの
メールだったので、その男性が、
いかに動揺されているか、そして心を痛めているのか
手に取るように、その状態が伝わってくるようでした。

ここで、ある程度、アカデミックに解明されている
死後の世界というものを、
ほんの少しだけご紹介しておきましょう。

霊的世界の認知、研究の先進国で、
スピリチュアリズムを科学的に検証、実証を重ねている、
世界的にも有名なイギリスの
SAGB(英国スピリチュアリスト協会)を始め、
おおよそ世界共通の認識として定着している事実ですから
皆さんも、参考程度にご覧下さい。

先ずは、次のような図をイメージなさって下さい。

   (魂の浄化の過程)

     神 界(魂が最終的に辿り着く境地)
       ↑
     霊 界(魂の故郷)*ここで、もう一度現世へ再生を決意する魂が多い
       ↑                               
     幽 界(天国~地獄のようなもの)30年~50年
       ↑
     幽幻界(幽霊・未浄化霊が存在する世界)50日前後 
       ↑
     現 世 (人間界)


僕たちが生きているのが、一番下の人間界です。
ここで、色々な喜怒哀楽を学びながら魂を磨いていきます。

そして、人は亡くなると、肉体を脱ぎ捨てて魂だけの状態になり、
先ず、幽幻界と呼ばれる、現世とあの世の間くらい、
どちらかというと、
まだこの世に近い状態の階層の世界に留まります。

この期間が、人にもよりますが、おおよそ50日前後。
所謂、49日の法要と呼ばれるものです。

この幽幻界は、
この世でお世話になった人への挨拶まわりや
この世で残した未練、執着などを捨てる心の準備、
または、自分自身の肉体が無くなって魂だけの存在になり、
現世から、次に行くべき階層に進まなければいけない・・・という
自覚を持つためのステージです。

人は、亡くなると、おおよその人が自分のお葬式やお通夜を通して
自分の肉体の「死」というものを自覚します。

ですから、お葬式やお通夜は、
亡くなった人自身が、自分の死を確認するために
行われている側面も大きいと思いますし、
遺族や参列している人たちの想いは、全て故人に通じています。

そして、時々、自分の肉体がなくなったことに気づかず、
いつまでも生きている・・・と勘違いしている魂や、
自ら命を絶ってしまい、死んだことに気づかずに
何度も何度も同じことを繰り返しているような魂、
また、ひとつのことに執着して
幽幻界を離れようとしない魂たちがいますが、
これが、僕がよく使う言葉、未浄化霊の正体です。

あと、「お墓で幽霊を見た!」という目撃談が多いのも
生前、「死んだらお墓に行くものだ」と思い込んでいた
霊的知識が足りなかった魂たちが、
お墓に行ったけれども、何もないし、どうしていいのかも分からない・・・
といった状態で彷徨っているだけなんですよ。

幽幻界とは、この世とほぼ同じようなステージ、階層にある
霊的世界への、ほんの入り口に過ぎません。

さて、その幽幻界で、ある程度の自覚をした魂たちが
次に進むのが、「幽界」と呼ばれる階層です。

よく、世間一般で言われている
「天国」や「地獄」のようなイメージでしょうか。

この幽界は、いくつもの層に分かれています。

この天国~地獄の階層の違いは、
そっくりそのまま、生前の思い癖、生き方、言動などが
魂の記憶として刻み込まれているので
はっきりとした階層の世界に分かれている魂の世界では
良い心持ち、行いで生きてきた人は、
天国のような住み心地の良い階層へ、
そして、いつも心が暗く、猜疑心に満ちていたり、
人に対して迷惑ばかりかけているような人たちは
同じように暗くて、ジメジメした神界の光が届かないような世界に
移行するような形です。

類は友を呼ぶ・・・と僕が口を酸っぱくして何度も言っているのは、
死後、はっきりとした階層の世界である霊的世界で
出来るだけ上の階層で魂の研鑽ができるほうが
より良い魂の浄化に繋がるからなんですよ。

さて、この天国から地獄のような階層社会の「幽界」では
おおよその魂の場合、約30年~50年留まり
それぞれの魂に合った生活をするようになります。

その中で、人間界で学んだような魂の研鑽を
更に追求して、反省したり、気づいたりしながら
日々の生活を送っている魂が多いようです。

そして、そういった、それぞれの階層の中で
天国に似たような、とても居心地の良い世界ですら
「何か物足りない・・・」と
更なる向上を目指す魂たちは、
その幽体(生前の姿)を脱ぎ捨てて、本当の魂だけの姿になります。

その次のステージが、僕たちの心の故郷である
「霊界」と呼ばれる階層です。

幽界で、自らの幽体を脱ぎ捨てた魂たちは(これを「第二の死」とも呼ぶ)
いよいよ、自分達の性質に合った
本当の魂の家族に出会え、大きな1つの塊となり、
人間界で学んできた全ての経験を、その光に融合させて
次に学び足りなかったことを学ぶために
再び人間界に再生を決意する魂がほとんどです。

ここでは、「私」、「あなた」という個は存在せず、
すべて1つのまとまり、塊になっています。

ちょっと、せっかち気味の塊(集団)や、
気は優しいけど、ちょっと短気の塊(集団)など
それぞれの魂の性質に合った似たもの同士、
いや、1つの光の集団のようなものです。

ちなみに、この霊界には
それぞれの類塊(大きな魂の集団のようなもの)があって
その類魂の中で、霊的叡智に優れた一部、
人格化したものが、守護霊様でもあるんです。

この守護霊様は、
過去に人間界で生活したことがある経験を持つ場合がほとんど。

だから、実は、守護霊様って、元を辿れば
類塊の一部だと考えれば、
自分自身の魂の一部でもあるんですよ。

守護霊様も、自分自身の魂の一部が
人間界に出て色々なことを学ぶために
更なる向上を目指すのですから、
再生を決意してから、この世に生まれ、
そして死後、肉体を捨てて霊界に戻って来るまで
ずっと見守りながら、応援するのも当然と言えば当然。

霊界から、再び「私」という「個」を持って
人間界に再生していく魂を
霊界の類塊たちは、涙を流すほど悲痛な心境で
見送るそうです。
その様子は、人間界のお葬式のようなもの。

魂が、人間界で再び何かを学ぼうとするのも
とても勇気の要ることなのですが、
霊界から人間界に再生する・・・というのは、
それだけ大変なことでもあるんです。

不思議なことに、
逆に人間界で、人が亡くなって
遺族が悲しみに暮れている時に、
霊界では、ようやく人間界での苦しい修業を終えて
霊的世界に戻ってくる魂たちを、
喜んで迎え入れているんですよ。

だから、この世とあの世では、価値観が全く逆。
人間界での「死」は、決して悲しいことではなく、
むしろ、魂にとっては喜びそのものなんですね。

だからといって、人間界での修業が苦しいから・・・と
自ら命を絶ってしまうのは、一番やってはいけないこと。
霊的世界からしてみれば、
殺人や、その他の悪行よりも、最も愚かな行為にあたります。

自殺した魂たちは、どんな理由があれ
(*但し、昔の武士道の切腹や自決、戦争の特攻隊などは自殺には該当しません)
それこそ、未浄化霊が留まる幽幻界に
何十年も、何百年も苦しみを抱えて生き続けることになります。

それを乗り越えたとしても、次のステージである
幽界で、「自ら命を絶った」という負の行為を反省するべく
「地獄」のような下層の世界で
長い期間、反省しなければなりません。

そう考えると、自殺がいかに愚かな行為で、
しかも魂の向上を目指す過程で、マイナスになっているのか
「知らなかった」だけでは、済まされないことだということが
少しでもご理解頂けるかと思います。

人の魂は、
そうやって何度も何度も生まれ変わりを繰り返し、
やがて、霊界の類塊たちと一緒に
なかなか到達できない神界のステージへと進んで
やがては、大きな1つの光に融合するために
その営みを続けているのです。

ちょっと専門的で、分かりづらい事実も多かったかも知れませんが、
要するに、死後の世界というのは、
肉体が無くなっただけで、魂は生き続けている・・・ということだけ
ご理解頂ければ良いかと思います。

だから、人間側の勝手な都合で
「先祖供養が足りない」とか「お祈りが足りない」とか
「ご先祖様が怒っている」「故人が怒っている」などと
半ば、脅迫のようなことを言ってくる霊能者やユタ、
宗教団体の教義や言葉が
いかに可笑しくて、間違ったことなのか、
こういった死後の霊的知識があれば、すぐに判断できるものです。

人間界を去った魂たちは、それぞれのステージで
一生懸命、その魂なりに生き続けています。

たとえ、幽界で天国に似たような場所で生活していようが、
地獄のような場所で、もがき苦しんで生活していようが、
結局は、本人が気づいて、努力して、
魂の質を上げるしか方法はありません。

そんな階層の違う人たち、生きている世界が違う人たちに
僕たち現世に住んでいる魂が
「供養」などと言って、何かをする・・・なんて、
はっきり言えば、自己満足か、ただの傲慢でしょう。

応援する気持ち、感謝する気持ちだけで十分です。

そういった純粋な気持ちは、
死後の世界で生き続ける魂たちに
応援のエネルギーとして、しっかり通じています。

それ以上、することなんて、何もありません。

僕たち現世に生きる人間は、
自分達の人生を、しっかり生きていればいいだけのこと。

さて、こういったことを踏まえて
昨日、甥っ子さんを突然の事故で亡くされた
冒頭の男性の話しに戻ります。

この男性が、今、出来るのは
お葬式やお通夜で、しっかりお別れの気持ちを伝え、
感謝の気持ちを伝え、
甥っ子さんが、これから行くべき世界が、しっかりあることを伝えて
その魂の浄化を願うことでしょう。

少しだけ霊視してみますと、
甥っ子さんは、まだ事故の衝撃から抜け出ていないようで(死に気づいていない)
何度も転倒するシーンが視えているので(バイク事故)
もう少し、時間が経って、
「これは、なんかオカシイ・・・」と気づいたとき、
初めて自分が「肉体」が無い「死」というものを迎えた・・・
という事実を知ることになるでしょう。

病死や自然死の場合と違って、
このような突発の事故死の場合
本人も時間が経たないと、その死に気づかない場合があるのですが
おおよその魂の場合、お葬式やお通夜などで
「あっ、自分は肉体が無くなったんだ・・・」と
改めて自覚することになります。

ですから、甥っ子さんの場合も
もう少し時間が経過すれば、きっと大丈夫です。

ちなみに、こういった
死後の世界の知識が全くない人たちの場合、
ちゃんと、行くべき世界に行けるのか・・・と
残された遺族は心配になるものですが
幽幻界を彷徨う未浄化霊のように、
よっぽどの執着や、未練がない限り、
霊的世界を道案内してくれるようなサポート役で
その故人と縁のある、ご先祖霊や守護霊様が
しっかり導いて下さるので、ご安心下さい。

僕の霊視や個人セッションの場合でも、
亡くなった直後の故人の霊視は、
なるべく50日前後経ってから、行うことがほとんどです。

遺族にとっては、一刻も早く
愛すべき故人とコンタクトを取りたいがために
すぐにセッションの依頼をしてくるものですが、
こういった霊的世界の知識を身につけておけば
悲しみや寂しさや、辛さは計り知れないほど
あるかも知れませんが、
時間が経って、お互いの心が落ち着くのを待って
セッションを受けるほうが、より実りのあるものになります。

もっと言えば、故人への想いは、
いつでも、どこでもしっかり届いているのですから、
それぞれが、それぞれの信じる人生を一生懸命歩いていれば、
故人も安心し、また、触発されて、
「自分も、自分がいるステージで頑張らなければ・・・」と
イキイキと魂を輝かせるものです。

・・・これまで、なるべく私情を入れずに
淡々と説明してきたつもりですが、
やっぱり、僕だって、この世を生きる人間である以上、
身近な人の死というものは寂しくて、悲しくて、
この先真っ暗になるような絶望感も味わうものですし、
他の人が同じような状況になってしまったら
同情はするものです。

だけど、必要以上に落ち込むのは、やっぱり間違い。

ある程度、涙が枯れるほど泣き尽くして
落ち込むところまで落ち込んだら、
あとは、しっかりと自分の足で立ち上がるしかありません。

悲しみを乗り越えて、また一歩踏み出す
心の明るさ、魂の輝きこそが、
別の世界で魂の浄化を目指す故人にとっての
何よりの励みであり、魂の浄化のお手伝いに繋がります。

どうぞ、そのことを心の片隅に
ほんの少しだけでも留めて頂ければ幸いです。

魂は、永遠に生き続けているのですから・・・。



*注*
 このブログのメッセージ欄を通して、または会社の電話を通しての
 霊視や個人セッション、勉強会の申し込み等は
 一切受け付けておりませんので、どうぞ、ご了承下さい。


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Posted by 山野本 竜規 at 06:33 │スピリチュアル&神社