RBCアナウンサー山野本竜規の「ナカトリモチ日記」

神社の神職は神と人との間を取り持つ「ナカトリモチ」。 神職資格を持つRBCアナウンサー山野本竜規が、仕事の 裏側からプライベートまで日々の出来事を皆さんにお届けします。
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2008年07月01日

霊能者から見た人の死について。

霊能者から見た人の死について。この写真は、海外から日本に帰ってくる飛行機で
その景色に、とても感動して撮影したものです。

上空から夜と朝の交代の時間が
しっかりと見て分かる貴重な瞬間だったので
周囲の人が静かに眠っている中、
飽きることなく、ただ1人、
ずっとこの光景を眺めていました。

人の人生も、命も、こうやって
明るく輝く新しい命へとバトンタッチされていきます。

僕は、飛行機に乗ると、国内だろうが海外だろうが、
満席でリクエストが出来ない場合を除いて
必ず景色が見える窓側の席を予約します。

だって、窓側に座ると
こんなに素晴らしい、非日常的な風景を
しっかり眺めることができる
チャンスがあるんですよ。

どんなに旅慣れしている僕でも、
やっぱり、通路側より窓側のほうが好きですね。

この風景を飛行機の中から眺めていた時
ふと思ったのが、
大自然が、毎日繰り返す、朝と昼と夜、
その夜の闇の世界から、また明るい朝の世界へ
バトンタッチされる、このサイクルって
人の人生と、人の命と同じなんだな・・・ということ。

別に何の前触れもなく、考え込んでいた訳でもなく、
行き詰まりを感じていた訳でもなく、
ただ、ボ~っと、この風景を眺めていたら
自然と、そう思えてきました。

広い広い、この世界、
今日、亡くなる人もいれば、
その逆で新しく生まれてくる人もいる・・・。

当たり前のことですが、その当たり前のことを
本当に、ごく普通に受け入れられる
心の余裕があったからこそ、
そのように思えたのでしょう。

この飛行機の風景を見てからというもの
霊視をする場合も、
かなり冷静に、客観的に物事を見つめて、
霊的世界の通訳に徹するようになりました。

人は、いつかは必ず、
この世とお別れするものです。

だから、僕の周囲でも、「○○さんが、亡くなった。」と
色々なところから聞いたり、直接、相談を持ちかけられたりしますが、
僕は、亡くなった直後の人の霊視は、
例外を除いて、ほとんど行いません。

それが、たとえ、
どんなに親しい間柄の人からの依頼だったとしても・・・です。

死後の世界のことについては、
このブログで紹介済みなので詳しくは触れませんが、
人は亡くなると、すぐに、あの世と呼ばれる
霊的世界に戻るのではなく、
少しずつ、少しずつ、魂の浄化を重ねながら
時間をかけて、霊的世界の住人になっていきます。

よく49日と呼ばれる、1つの節目は、
ちょうどこの世とあの世の間の世界で、
どちらかというと、
まだ、こちら側の世界に限りなく近い
幽現界という階層で
亡くなった直後の人たちは、
霊的世界からしたら、新人のような魂たちなので、
生前と全く同じ考え方、生き方、性格なのは当たり前。

この世に未練を残している人たちは、
49日を過ぎても、ずっと、この階層に留まって
「財産を誰にも渡したくない。」だの、
「お酒が飲みたい。」だの、
「誰それが、憎い」だの、ずっとこの世に執着し続けます。

それが、所謂、未浄化霊と呼ばれる魂たち。

多くの人は、亡くなると、この49日の間に、
自分が肉体が亡くなった魂だけの存在になったんだ・・・。
肉体がないのに、しっかり生きている・・・何故・・・!?と、
戸惑いながらも、自分の「肉体の死」を自覚します。

*ただし、自殺の場合は、別です。

そして、死を自覚して、自分のいるべき世界とも
お別れしなければいけないのかな・・・と
腹をくくった時、(この世への執着が薄れた時)、
生きている間、守護してくれていた霊的世界の住人たちが
次に行くべき魂の階層へ、道案内してくれます。

こういった知識は、ないより、あったほうが絶対に得ですが、
別に、霊的世界のことを知らなかった人だとしても
亡くなって、魂だけの存在になれば
自然と、昔、自分がいた霊的世界のことを
思い出す人が多いようですので、
そこまで心配は要りません。

身内や、親しい友人や知人が亡くなると、
本当に寂しくて、悲しいものです。

動揺するのも、故人が何か云い残したことはないか・・・と
心配になるのも、痛いほど、十分、理解できます。

僕の親しい人たちが亡くなったら、
きっと、同じように感じることでしょう。

だけど、僕は、決して、
それ以上の詮索はしないと思います。

無理して霊能者に、今の状態を聞いたり、
メッセージを聞いたり、どんな様子なのか知りたがったり・・・ということを
安易にしないでしょう。

だって、人は、誰でも、そうやって
辛く悲しい経験を乗り越えて
亡くなった人へ想いを馳せ、
残された人生を、精一杯生きているからです。

スピリチュアルブームで
霊的世界からのメッセージや
故人の遺志を安易に求める
情けない人が増えていますが
僕は、そういった「ズル」は、絶対に認めません。

だって、周囲の知り合いに
霊能者がいなかった人の場合は、
どうやって、その苦しみ、悲しみを乗り越えていくのでしょう?

誰だって、故人へ色々な想いを馳せながら
沢山の涙を流しながらも
時間が経って、少しずつ、強く、たくましく、
また自分の人生を歩んでいくものです。

沖縄には、亡くなった直後の故人のメッセージを伝える
専門のユタがいるようですが、
僕だったら、知り合いに、そのような人がいたとしても
敢えて、お世話にはならないと思います。

結局は、亡くなった直後の故人の遺志を知りたい・・・というのは、
この世に残された側の人間の
気休めだったり、エゴだったり、悲しみを紛らわせるための
方便に過ぎないからです。

そのことで、本当に楽になった・・・という方も
いらっしゃるかも知れません。

だけど、僕は、霊能者として
そういう依頼が、あまりにも多いからこそ、
敢えて、自分だったら、そんなズルはしたくないな・・・と思うのです。

霊能者と言えども、他人のことは分かっても
自分に関わることは分かりづらいもので
きっと、僕の親しい間柄の人が同じような状況になった場合、
いくら霊視をしたところで、メッセージを受け取れなかったり、
霊的世界と通信しづらくなったりするのは、
目に見えています。

正々堂々と、真正面から、
その悲しみや寂しさを受け止め、
故人へ想いを馳せ、沢山の涙を流して、
時間が経って、少し元気が出てきたら、
また自分の人生を精一杯生きるために
次の一歩を踏み出す・・・。

これが、多くの人たちが歩んできた
真っ当な、故人とのお別れの方法なのではないでしょうか。

だから、僕は、亡くなった直後の故人の霊視の依頼は
例外を除いて、ほぼ、お断りしています。

どんなに親しい人に依頼されても
そして、どんなに早くても、
49日を過ぎて
ある程度、向こうの世界に行く心の準備ができた魂でないと
対等に、落ち着いて話を聞くことができないからです。

それに、故人の一方的な遺志を
遺族に伝えるのが、すべて、良い・・・という訳ではありません。

だって、まだまだ、
この世に色々な執着を残している人たちです。

「遺産は、誰それに渡せ」とか「物置に残してある形見を誰に渡せ」なんて
想い遣りかも知れませんが、
それこそ、物質に執着している証です。

メッセージを伝えられた遺族からしてみれば
そりゃ、嬉しい限りでしょうけど、
やっぱり、それは、残された人たちへの甘やかしや、
霊的世界の依存につながる恐れがあるので
僕は、誰にでもお勧めする方法ではありませんし、
僕自身も、そういったメッセージは、
あまり伝えることはありません。

お互い、すっきりお別れできる状態なんて、
人生を達観した人でないと、なかなかできないでしょうし、
未練を残しつつ、少しずつ、
故人と遺族が、それぞれ進むべき方向へ
歩いていくのが、本来の形です。

霊能者が霊的世界からのメッセンジャーとして
お手伝い出来るのは、
そうやって故人、遺族のお互いが
自立した、それぞれの道を歩み始めた後のことです。

だから、いくら周囲で亡くなった人がいたとして、
すぐに僕のところに霊視の依頼をされたとしても
僕は、お断りしていますし、
これからも、ずっと同じスタンスを貫くでしょう。

何度も言うように、悲しみを和らげるための、
現実逃避をするための「ズル」は、
絶対にいけません。

悲しい別れは、
誰もが、平等に、通る道なんです。

だったら、それを真正面から受け止める努力をしましょう。

それが出来ないのであれば、
都合の良いことを言ってくれる
ユタや霊能者に頼って
伝えられるメッセージに一喜一憂していればいいだけのこと。

だけど、そのズルは、
「人との悲しい別れを、しっかり受け止めなかった」という
マイナスのエネルギーとなって
必ず本人に返ってきます。

見えないものが「視える」「聞こえる」、
そのメッセージを霊能者から聞いた・・・と
一喜一憂する精神世界マニアの方々には、
特に気を付けて頂きたいことです。

そう考えると、人生って、意外に
シンプルに、普通に、誰もが通る道を歩んで生きていれば
それだけで、いいのではないでしょうか・・・。

もし、あなたが同じような状況に陥ったら
どう行動するでしょうか。

そこで、本当のあなたの人間力が
問われると思いますよ。

霊能者が言うのも可笑しな話ですが、
どうぞ、霊能者に依存し過ぎない
生き方をされて下さいね。




*注*
 このブログのメッセージ欄を通して、または会社の電話を通しての
 霊視や個人セッション、勉強会の申し込み等は
 一切受け付けておりませんので、どうぞ、ご了承下さい。




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Posted by 山野本 竜規 at 07:46 │スピリチュアル&神社