RBCアナウンサー山野本竜規の「ナカトリモチ日記」

神社の神職は神と人との間を取り持つ「ナカトリモチ」。 神職資格を持つRBCアナウンサー山野本竜規が、仕事の 裏側からプライベートまで日々の出来事を皆さんにお届けします。
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2008年03月18日

自分の葬式を考える。

自分の葬式を考える。先週と今週、懲りもせず、続けて
しゃぶしゃぶのお店に通っている@山野本です汗

先週は、月読会のメンバーと、
そして昨日は、何でも話せる「心友」3人と・・・。

那覇・新都心の「温野菜」という
全国チェーンのお店ですが、
ここ、サービスも値段も味も、全てグッドですピース


牛と豚しゃぶの食べ放題コースを注文したので、
野菜も、肉も、つみれも、ご飯も食べ放題・・・。

昨日は、僕も含めて
遠慮なしに喰いに走るメンバーばかりだったので
とにかく制限時間まで、がっつり食べ尽くしましたよ食事

あ~、順調だったはずの体重調整がぁ・・・ぐすん

でも、やっぱり美味しいものには、敵いません。

今週は、普段の仕事に加えて、
結婚披露宴の司会や、
就職フェアの講演も入っているので
しっかり食べて、英気を養って、本番に臨むつもりですピース

美味しいしゃぶしゃぶを食べながら、
幸せな気持ちになった心友たちと話題になったのが、
もし、自分の葬式をしてもらうなら、どのようにしてもらいたい?」ということ。

「縁起でもない・・・」と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、
これは、今の人生をしっかり生きるために必要なことでもあります。

みんな、それぞれ、勝手な妄想を膨らませて
「好きな音楽をかけて、楽しいお別れ会にしたい。」とか
「僕だったら、食事会を兼ねて、お別れに来た人に、美味しいものを食べてもらう。」など
最愛の人たちを残して、この世を去る時のシーンを語り合っていました。

僕の知人、友人、はたまた
ブログを通してメッセージを送って下さった方の中にも
「これから身内、知人の告別式に行ってきます。」というお知らせが、
ここ2週間のうちに7件ほどありました。

今まで生きていた人たちが、
そして、いつも、当たり前にそこにいた人たちが、
突然、いなくなってしまうのですから、
たとえ、このブログを読んで
霊的世界のことを理解されていたとしても
やはり、いざ、現実と直面すると
多少の動揺や、混乱はあるかと思います。

人が亡くなったあとの、魂の浄化の過程(死後の世界)については
このブログでは、何度もご紹介していますが、
僕は、亡くなった直後の魂と
残された現世の人たちとのナカトリモチは
あまり行わないようにしています。

少なくとも、50日を過ぎたあとからのほうが
お互いのためにとっても、良い場合が多いからです。
(その理由も、過去のブログに書いてあります。)

沖縄には、ユタの中でも、亡くなった直後の魂の意思を
遺族に伝える便利屋のような霊媒がいて、
それを頼る人が多いようですが、
それって、本当に、真っ当なお別れの仕方でしょうか・・・。

誰だって、この世にいなくなってしまった人が、
何を感じて、何を求めていて、どんな状態でいるのか、
そりゃ、知りたいと思います。

だけれども、そこでズルをしていいんでしょうか。

生きている人間同士でも、
お互いが分かり合えなかったり、理解不足で苦しみながらも
一歩、一歩、近づいて、心と心の距離を縮めていくものですし、
もしかしたら、一生、分かり合えない人だっているかも知れません。

でも、それこそが、人と人が共に生きるってことだと思います。

分かりあえる人、理解できない人。

色々な人がいてこそ、色々な人と関わってこそ、
この世を生きている意味があります。

そういった努力もせずに、相手が亡くなったら、急に
「何でも理解し合えるはずだよね?」「あなたの気持ちが知りたい!」なんて
一方的に霊能者に頼んでくるなんて、
本当に都合の良い話です。

だったら、生きている間に、
思いっきり、衝突してでも傷つき合いながらも、
相手の心を知るために努力して、
少しずつでも、心の距離を縮めていたほうが悔いはないはずです。

僕は、霊的世界からのメッセージを伝える、
または亡くなった魂からのメッセージを伝える霊能者です。

だけれども、
人間側の自分勝手な理由で、霊的世界との通信をするような
都合の良い、便利屋のような霊能者には、
絶対にならないつもりです。

だって、悩みながらも、分かり合えないながらも、
それでも、どうにか自分なりの答えを出して
自分で責任を持って決断し、
前に進むのが
真っ当な人としての生き方だと思うから。

人の気持ちが分からない、故人の気持ちが分からない・・・。

どちらも同じことです。

人の心が分からないからこそ、悩むし、努力するし、
諦めるし、反省するのであって
そういった過程にこそ、人の魂の成長があるものです。

いつも近くにいる人の存在、確かに当たり前かも知れません。

だけれども、いつ、この世でのお別れになるのか、
こればかりは、本当に分かりません。

そう考えると、自分自身が、
毎日、どんな生き方をしなければいけないのか、
周囲にいる人と、どのように接したらいいのか、
「悔いのない人生だった」と、
いつでも思えるような生き方をしているのか、
自分のお葬式の時、どんなお別れの演出があるのか、
やっぱり「死」について、忌み嫌うことなく、
今の人生をより良く輝かせるために、
ある程度、考えておく必要はあります。

自分の人生の最後の瞬間をイメージしてみると、
誰が必要な人で、どんなものを大切にしているのか、
どんな人に感謝の気持ちを伝えたいのか、
または、謝りたいのか・・・。何をもっとやりたかったのか・・・。

色々なものが見えてきます。

だからこそ、自由に動くことができる今、
悔いのないように
相手に想いを伝えたり、謝ったり、感謝の気持ちを伝えたり
やりたいことをやったりしなければいけません。

勿論、誰の責任にもせず、自分の意思で、
自分の責任で、やることが前提ですが・・・。

自分の葬式の瞬間を考えてみるのも、
たまには良いのかも知れません。

最後に
あなたに残った人は、ものは、想いは、何ですか?

きっと、それらが、あなたにとって
今、一番、必要な人であったり、想いであったり、
やらなければいけないことであったりするはずです。

僕だったら、人生の最後に、こう思いたいです。

「色々あったけれど、何はともあれ、良い人生だったふたば」と。





*注*
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Posted by 山野本 竜規 at 06:09 │スピリチュアル&神社