RBCアナウンサー山野本竜規の「ナカトリモチ日記」

神社の神職は神と人との間を取り持つ「ナカトリモチ」。 神職資格を持つRBCアナウンサー山野本竜規が、仕事の 裏側からプライベートまで日々の出来事を皆さんにお届けします。
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2008年12月04日

恋文。

恋文。写真は、今から約41年ほど前、
切手が15円だった時代の
両親の恋文の一部です。

昨日、神社の荷物整理を
お手伝いして下さっているスタッフが
母が大切に保管していたと
思われる場所で発見し、
僕たち家族に手渡して下さいました。

当時、父が27歳、母が23歳ですから
今の子供たちよりも
歳が若い頃の、結婚前の恋文で
現代風の言葉でいうと
遠距離恋愛、「遠恋」の時に
やりとりしていたものです。

実は、この恋文、
僕が中学生の頃
父が心筋梗塞で倒れた時、
1人、家庭の家計を支えようと頑張っていた母と
一緒に読んだことがあって
その時は、
「お父さんは、自分のこと中心、
 お母さんは、お父さんを気遣う言葉中心に
 書いているな・・・。」と
子供心に感じていたのを覚えています。

そして、今回、その恋文を
子供たちでワイワイ騒ぎながら
読んでみると
(悪趣味な子供たちだ・・・汗
やっぱり、
母は、父を気遣う言葉が全面に出ている文章で
父は、一方的に自分のことを書いているような
対照的な文章でした。

父の場合は、
「赴任先の近所の食堂のご飯がまずい」、
「水不足で風呂に入れないから嫌だ」・・・など
ネガティブな愚痴のオンパレードに
加えて
母に対しての労いの言葉や
あいさつが一切なく、(情けない…。)
逆に母の場合は、
自分の近況報告は、ほどほどに
父の愚痴に対して
「大変でしたね。」「お疲れ様でした。」といった
気遣いや慰めの言葉が中心。

言葉や表現に関する仕事に携わっている
僕から見ても
「これ、どこまで自分本位の内容なんだろう・・・。」と
頭の中が???マークになってしまうほど
父の手紙の内容は
「自分が、自分が・・・」を全面に押し出し、
母が、それを全て受け止めて
惜しみない愛情を注ぐような
ダダをこねる子供が
母親に甘える関係だったようです。

この関係、
結婚して40年経った今も、
全く変わっていません・・・タラ~

病気で倒れる直前の
最近の母は、
目と足が悪い糖尿病の父の為に
専用の料理レシピに
毎日挑戦したり
お風呂の世話、透析のための送迎、
付添いなど
全て自分の時間を削って
介護を続けていました。

そして、それに甘えて
子供返りし始めた父を
厳しく突き放したり、諌めたりしながら
「これで良かったのだろうか・・・。」と
悩んで
僕や、姉たちに電話をしてくることも
よくあったので、
母の苦労、心労は相当なものだったのでしょう。

いくら、心優しい女性が
母性を発揮して
全ての人格を受け入れる
度量の大きさ、愛情を持っていたとしても
やっぱり、1人の女性であり、
1人の人間です。

与え続けるだけでは、
いつかは、愛の電池の量が
減ってしまいます。

見返りを求める訳ではなく、
程度の差こそあれ、
お互いが、お互いに
心遣いできる
適度な距離感、心の交流は
たとえ、恋人、夫婦、家族であろうが、
その他の人間関係であろうが
絶対に必要なことです。

どちらが一方的に
「もっと!」「もっと!」と
愛情を要求し続けて
それに応えようとするのは
やっぱり無理がありますし
過保護になるのは、よくありません。

父は、年齢は立派な大人ですが
魂は、ガキ大将のような
子供のまま。

今回、僕たち姉弟が
それぞれの生活を犠牲にしてまで
再び実家に集結した理由も、
両親の看病は勿論のこと、
実家の神社を、健全な状態から
お金やプライドといった
自分の心の弱さのために
多くの人を巻き込んで
いびつな組織にしてしまった
子供のような父の後始末を
するためです。

類は友を呼ぶ・・・というように
その父の心の弱さに呼応するかのように
お金や名誉や出世、人を見下すような
心が弱い人たちが
組織を不健全にしていたのも事実ですが、
その逆で、
その体制をなんとか変えよう・・・と
努力していた母を慕って
母の為に神社再建の
お手伝いをして下さる
心優しい方々が大勢いらっしゃるのも
本当に有難いことです。

現在、両親の看病と
神社の業務に加えて、
色々な方面の方から
専門的なアドバイスを頂きながら
神社再建のための
法的手続きや事務、財務処理などに
奔走する毎日ですが、
だからと言って、
父を恨むとか、
憎いと感じることはありません。

やっぱり、これは、
いつかは必ず
家族がやらなければいけなかったことですし、
大勢の方に迷惑をかけたのであれば
その責任を身内で
とるしかないからです。

今、病室で眠っている父の人生は、
何か問題を起こして
周囲に迷惑をかけては、
他の身内が処理をしてきた・・・という
人生の繰り返し。

父なりに
心が寂しかったのでしょうけど、
もう、二度と、
同じ失敗を繰り返させないためにも、
そして、愛情深い母が望んでいた
健全で、明るい笑顔が溢れる
神社に戻すためにも、
今度は、子供たちが
しっかりと新しい組織作りを
しなければいけないな・・・と
強く思う毎日です。

きっと、これからの
新体制になる中で
父に何かしらの見返りや利害関係を
求めていたような
依存心などの負のエネルギーを
お持ちの方は、
自然と、神社から離れていかれるでしょう。

その逆で
まごころを以て、純粋な気持ちで
それぞれの自立した人生を歩まれるような
明るい心根の方の輪が
時間をかけて、
ゆっくり広がっていくのも
これまた、自然の流れ。

これからの展望は、
本当に明るいものなので
姉弟も、他の清らかな神社関係者も
未来の明るい神社に想いを馳せて
ワクワクしている心の状態です。

自分を
この世に送り出してくれた両親の
どちらかを悪く言うのは
子供として失格・・・と考えておられる方も
多々いらっしゃいます。

勿論、僕は、
人生を長く生き抜いてこられた
人生の先輩への尊敬の念や
感謝の気持ち、愛情というものは
しっかり感じています。

だからこそ、
今、僕たち子供が
両親にできる恩返しが
何なのか、しっかりと考え、
それを実行しなければいけません。

霊的世界の観点で
このような物事を捉えてみると、
何度も、このブログで書いているように
実際の肉体の年齢と、
魂の年齢が一致するとは
限らないのです。

年齢だけは、立派な大人なのに、
底意地が悪かったり、
だらしなかったりする人が
存在する一方で、
年齢は若いのに、
とても思慮深く、聡明で、
しっかりした人も
これまた、存在するものです。

父と母の場合は、
恋文の内容からも、
そして、これまでの人生からも
これと全く同じことが
当てはまりますよね。

夫婦の絆、魂のつながりというのは
本当に不思議なもので
今は、時を同じくして
同じような状態で入院して
闘病生活を送っています。

ここ最近の母は、
意識が戻る時間が増えて
食べ物を要求したり、
手や足を動かしたり・・・と
明るい兆しが見えてきました。

深い絆で結ばれている父も、
母と同じように
快方に向かって欲しいと
願っています。

昨日は、両親の恋文から、
色々な愛情について
深く考えさせられた1日でしたが
やっぱり、
家族であろうが、恋人であろうが、
友達であろうが、知人であろうが、
ご縁ある全ての人への
感謝の気持ち、心遣い、
心のキャッチボールは
大切にしていきたいもの。

今日も、その気持ちを大切に
両親の看病と
再建のための
様々な手続きや業務をこなして
いきたいと思います。

あなたは、
近くにいる大切な人に
どんな気持ちで接していますか?

少しでもいいんです。

「ありがとう。」「お疲れ様。」の
感謝や労いの気持ちを
声に出して、
伝えてみてはいかがでしょうか・・・。


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Posted by 山野本 竜規 at 09:45 │家族