RBCアナウンサー山野本竜規の「ナカトリモチ日記」

神社の神職は神と人との間を取り持つ「ナカトリモチ」。 神職資格を持つRBCアナウンサー山野本竜規が、仕事の 裏側からプライベートまで日々の出来事を皆さんにお届けします。
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2008年06月24日

戦没者の魂は・・・。

戦没者の魂は・・・。戦没者の魂は・・・。

昨日は、63回目の慰霊の日。

太平洋戦争末期、唯一、地上戦が繰り広げられた
沖縄戦が、事実上、終結した日とされていて
この日は、県内の企業や学校もお休みのところが多く、
最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園で
沖縄全戦没者追悼式が行われました。

僕もテレビ、ラジオの中継のために現地へ行って
その様子を、しっかり見届けてきました。

平和祈念公園内にある、戦没者の名前が刻まれた
「平和の礎(いしじ)」には約24万人の名前があります。

今でも、毎年追加刻銘の申請があり
今年度は128人の名前が追加されました。

この平和の礎の刻銘では、
犠牲になった地元・沖縄県の人たちや
軍人のような日本人だけでなく、
敵国だったアメリカ人や
強制労働などで無理やり連れてこられたアジアの人たちなど
沖縄戦、全ての犠牲者を対象にしています。

今でも宅地開発で、土地を整備する際には
色々な場所から、
沖縄戦で亡くなった人たちの遺骨が出てきます。

きっと、本土の人の場合だったら、
「なんとなく嫌だな。」「なんとなく、そのような土地には住みたくないな。」と
敬遠してしまう人が多いかも知れませんが、
沖縄の土地の場合、
那覇を中心に、おおよそ人が集まるような場所は
かつての激戦地だったところが
ほとんどなので
そんなこと気にしていたら住めないところだらけです。

僕が住んでいるマンションの近くにも
火炎放射機で焼かれた跡がしっかり残っている
人工的に作られた長い豪があって、
近所の人に話を聞くと
そこで多くの人が亡くなったそうです。

だけど、普通の人以上に
霊的エネルギーに敏感な霊能者でもある僕が、
そういった土地に住んでいるからと言って
何か禍があったり
体調を崩すことがあるか、どうかと言えば、
全く、何の影響もありません。

勿論、糸満市の平和祈念公園や、ひめゆりの塔など
かつての戦跡に足を運んだとしても
全く、何の影響もありません。

どういうことかというと、
霊視してみても、
当時、沖縄戦で犠牲になった方の多くの魂は、
ほとんどと言っていいほど浄化されているからです。

(魂の浄化の過程は、こちらを参考にされて下さい。)

これだけ、毎年、生き残った人たち、
または、その命を受け継いで生きている
多くの人たちの心優しい想いや、平和への想いを
向けられているのですから、
たとえ、どんなに悲惨な亡くなり方だったとしても
犠牲になった人たちも
「あぁ、しっかり分かってもらえているんだな・・・。」と
安心して、霊的世界に戻ることができます。

何度も、何度も、
試しに、そういった戦跡で霊視してみても、
全く、同じ結果です。

戦没者の未浄化霊を見かけたことは、
ほとんどありません。

それだけ、沖縄から世界へ向けて
平和への想いを発信し続けている
心優しい人が多い・・・ということです。

逆に中途半端に霊的エネルギーに敏感な人や
自分が「霊感が強い」と思いこみたい人、
所謂、精神世界マニアによくいるようなタイプの人は、
ちょっと、こういった場所に足を踏み入れただけで
「何かが視える!」だの、「気分が悪い!」だの「寒気がする!」だの
周囲を怖がらせるような発言をする人が多いような気がします。

前にも、このブログで書きましたが、
ハッキリ言って、
それらのほとんどは、「気のせい」「思いこみ」です。

きっと、「自分は普通の人とは違うんだ!」ということを
無意識のうちに自慢したいのでしょうけど、
人はもともと、誰でもエネルギーを察知する能力を
持ち合わせているのですから、
敢えて騒ぎ立てるようなことでもありません。

それに、そういった程度の低いエネルギーに感応しているのは、
同じように、
この世で生きている理解度の低い人たちが
発する想いを受け取っているだけです。

「なんて、かわいそうに!」「なんて、悲惨なんでしょう!」「なんて、むごい!」

所謂、激情型、感情移入型の厄介なタイプの人たちです。

戦争に対する理不尽さに怒りを覚えるのは
人として真っ当な感情だとは思いますが
それも程度の問題で、あまりに激し過ぎると
それは、本当の故人へ対する、ともらいにはなりません。

こういう時、どういう現象が起きているのかと言うと、
戦争で亡くなった人の多くは、すでに浄化されているので
何の反応もしないのですが、
周囲に彷徨っている、依存心たっぷりの
別の未浄化霊たちが
「そうそう、もっと、自分のことをかわいそうだと思って!」と
集まってくるんです。

戦跡などで気分が悪い・・・と霊媒体質だと信じ込んでいる
マニアな人たちは、
そういった未浄化霊たち、または、生きている人間の
負の想いと感応している・・・という
ちょっと情けない状態でもあるんです。

あなたの周囲にも、
むやみやたらに視える、聞こえる・・・という人いませんか?

そういう人の言うことは、
テキト~に聞き流すのが一番ですピース

一生、視える、聞こえる・・・と騒いでいれば、
そのうち精神世界マニアが集まるか、
普通の友達が逃げていくかのどちらかになりますから。

毎年、この時期になると
メッセージの中でも
「戦争で亡くなったご先祖様は、本当に大丈夫でしょうか?」と
質問されてくる方が増えてくるのですが、
ここで、ハッキリ、断言します。

ご安心ください。大丈夫です。

むしろ、そんなことを心配せずに、
ご自身の人生をしっかり歩まれることを
ご先祖様たちは、望んでいます。

僕は、霊能者でありながら、
普通の人以上に厳しい現実主義者でもあります。

見えない世界だけに依存して
見えない世界だけが全ての精神世界マニアのような人は
一番大嫌いですし、
この世に生れてきた以上、
霊的世界を理解した上で、現実の世界をしっかり生き抜く方法を
身に付けて頂くために、
このブログで、色々な情報発信をしています。

あなたが、逆の立場だったら、どうでしょう?

たとえ自らが無念の死を遂げたとしても、
愛する家族や、親友や、恋人たちが
いつまでも自分のことを嘆き悲しんでばかりいたら、
切なくなるでしょう。

それよりも、残された人たちが
今ある生活を大切にして、
楽しいことに目を向けて、嬉しいことに目を向けて、
悩みながらも、明るく元気に
1日、1日を生きている姿を見ていれば
「あぁ、ちょっと寂しいけれど、
 もう、自分がいなくても、大丈夫だな・・・」と思って
この世と、しっかりお別れできるものです。

これが、本当の故人に対する供養の方法です。

何も大金をつぎこんで豪華なお墓を建てたり、
立派な戒名を頂いたり、
ユタや霊能者や宗教団体に先祖供養なんて
お願いしなくても、
自分自身がしっかり生きていれば、
それこそが何よりの故人に対する供養になります。

どうぞ、そういった怪しい輩の「カモ」にならないように
自分の人生を謳歌することに自信を持って下さい。

慰霊の日は、
そういった悲惨な体験をされてきた先人に対し、
心から哀悼の意と、
今ある恵まれた環境への感謝の気持ちを自覚しつつ
自分自身の人生を、しっかり一歩一歩進むための
大切な日でもあります。

悲しい事実は忘れずに、
だけど、悲しみに暮れるだけでなく、
そこから一歩、踏み出して
明るい人生へ向ってまい進することが
多くの命を犠牲にしてきた先人たちに対する
一番の供養であり、恩返しでもあります。

さて、沖縄では、慰霊の日を境に
長い長い夏が始まります。

今年の夏は、どんな楽しい夏にしていこうかな・・・と
今から楽しみで仕方がありませんピース




*注*
 このブログのメッセージ欄を通して、または会社の電話を通しての
 霊視や個人セッション、勉強会の申し込み、質問、要望等は
 一切受け付けておりませんので、どうぞ、ご了承下さい。






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Posted by 山野本 竜規 at 10:41 │スピリチュアル&神社