RBCアナウンサー山野本竜規の「ナカトリモチ日記」

神社の神職は神と人との間を取り持つ「ナカトリモチ」。 神職資格を持つRBCアナウンサー山野本竜規が、仕事の 裏側からプライベートまで日々の出来事を皆さんにお届けします。
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2007年12月10日

鎮魂の心構え。

先日、神戸出身の伊勢時代のクラスメートが
神戸のルミナリエのイルミネーション画像を
携帯メールで送ってきてくれましたキラキラ 

やっぱり、いつ見てもキレイですね♪赤

このルミナリエ会場には、どういう訳か
ほぼ毎年のように足を運んでいたのですが
今年は残念ながら仕事続きで連休がないので
行けそうにありません・・・タラ~

もともと阪神大震災の犠牲者の鎮魂の意味を込めて
始まったルミナリエ。
これだけキレイなイルミネーションと
全国各地の人たちの犠牲者への真摯で温かい気持ちがあれば
十分に鎮魂のエネルギーがあると思いますよピース


人は、どんな人の心の中にも
自然や景色や色々なものを「キレイ」「美しい」と感じる
「真・善・美」の感性が備わっているものです。

ただただ純粋に「キレイだな~」「美しいなぁ~」と
感じることができる心の状態は、
まさに霊的世界の光の部分と
一体化したような温かいエネルギーを持っています。

イルミネーションのような人工的なものであったとしても
絵画や彫刻のようなアートにしても、音楽にしても、写真や文章にしても、
そこに込められた想い、美しさ・・・
その一部分に少しでも感応することができれば
人は自然と笑顔になり、優しい気持ちになり、
自分以外の誰かに優しく接しよう・・・という
本来、誰もが持ち合わせている
ピュアな心の部分が表に出てくるものです。

何が言いたいのかというと、
こういったピュアな気持ちこそ、
この世で「悲惨」と思われるような亡くなり方をした魂たちへ
浄化の応援のエネルギーを送る
お手伝いができる方法なんです。

僕は沖縄本島に住んでいるので、
よく「自分は霊媒体質だ」と言われる人たちから
「あれだけ悲惨な戦争の犠牲者が出た土地に住んでいたら、
 憑依を受けたり、疲れたりしませんか?」と
尋ねられることがあります。

答えは、「NO!」です。 全く影響がありません。

もちろん、周囲にいる「ちょっと霊感がある」人たちの中には
「平和の礎や、ひめゆりの塔は、気分が悪くなるので行けない・・・」と
あたかも霊媒体質*ぐぁ~し~(*~のふりをする)する人もいますけど、
きっと、その気分の悪さは、
大半は思い込み、そして残りは
自らが引き寄せた戦没者以外の未浄化霊の影響を受けているのでしょう。

・・・というのも、僕が実際に
ひめゆりの塔に行って霊視してみると
ひめゆり学徒隊の未浄化霊なんて1人もいなかったからです。

全てとは言いませんが、
戦争で悲惨な亡くなり方をした人たちは、
霊的世界からの計らいもあってか
もともと魂の浄化が早く、いつまでも現世(幽現界)に留まるようなことは
よっぽどの執着や未練がない限りありません。
(死後の世界の詳細については、こちら。)

そして、戦争で犠牲になった先人たちの
やるせない、いたたまれない魂の記憶や想いを
僕たち後世の人間が、しっかり受け継いで
平和な世界を目指すために努力する気持ちを持つこと、
日々、目の前にある生活を
なるべく明るい心持ちで過ごすようにすることこそが
戦争の犠牲者に対する、魂の浄化のお手伝いです。

戦後、生き残った沖縄の人や
日本、はたまた世界に住む平和を願う人たちが
幾度も、犠牲者に対して、
そのようなピュアなエネルギーを送り続けてきた経緯があるので
沖縄戦で犠牲になった魂たちも、半世紀以上過ぎた今、
そのほとんどが浄化されて、
現世(幽現界)に留まっているようなことはないんですよ。

ごく稀に、戦争体験を引きずって
未浄化の状態でいる魂を見かけますが
こういった魂たちは、沖縄に限ったことではありませんし、
全国各地、もっと言えば、世界各地、似たようなもの。

誤解を招く表現かも知れませんが、
戦争体験を引きずって、未だに幽現界を彷徨っている魂は
生前、よっぽど頑固者だったのか
素直じゃなかったのか、
それとも霊的世界の存在をずっと否定し続けた
現実主義者だったのか・・・、
色々な原因と理由があるにしても
未浄化でいること自体が不自然なことなので
これは、戦争の犠牲者の魂であろうが
普通の亡くなり方をした未浄化の魂だろうが
程度は全く同じことです。

では、戦跡に行って
激しく気分が悪くなってしまうような憑依体質の人たちは
何に感応して、そうなっているのか・・・。

先ほどもお伝えしたように、大半は「思い込み」です。(キッパリ雷

あとは、同情しやすい、ちょっと優柔不断な心持ち、
心の弱さに感応した
戦没者以外の未浄化霊たちの影響を受けている場合、
そして、生きている人間自身の
「悲しい」「可哀想」「惨い・・・」といった
鎮魂する際に、必要以上の感情を抱いてしまう
負の想念の影響を受けている場合が多いんです。

鎮魂する人の中には
「こんな辛い想いをしたなんて、本当に可哀想、可哀想・・・」と
身も心も悲しい想念に包まれてしまっている
感情移入型の人がいますが、
これは、戦没者の鎮魂には、いやっ、全ての亡くなった魂の鎮魂には
不必要な感情です。

いつも、このブログを
心の底から理解されて読まれている方なら、
何故、そういった優しそうに見える鎮魂、供養の仕方が間違っているのか
すぐお分かりだと思います。

「そうそう、とっても可哀想なの。もっと、こんな悲惨な私たちを理解して!」

戦没者ではなくても、同じような波長で
どこからともなく引き寄せられた、依存心の強い、
もっと言えば、甘ったれな未浄化霊たちが
同調して集まってくるからなんですよ。

僕がよく使う、
「同情はするけれど、同調はできない」という言葉の意味は
ここにあります。

生きている人間に対しても、また肉体がない魂にしても
全く同じスタンスです。

別に、「他人に冷たくなれ!」とか「無関心になれ!」と言っているのではありません。

自分以外の人の心に寄り添うことは、何よりも大切ですし
特に僕たち霊能者は、それが出来ないと
苦しい想いを抱えている未浄化の魂たちや
現世を生きる人たちの悩みや問題解決の糸口を見つける
心の浄化のお手伝いなんて出来るはずもありません。

人が悲しい出来事に巻き込まれてしまった場合、
心が歪んだ人でない限り
「可哀想に」とか「辛かっただろうな」と心を痛めるのが
人として当然の心情です。

だけれども、それも程度の問題で
必要以上に感情移入したり、我を失うほどの同情心に駆られるのは
ちょっと危険というより、異常な心の状態です。

鎮魂は、あくまで
「辛かったでしょう」「大変でしたね」という労いの気持ちを抱きつつも、
「自分たちは、しっかりとその気持ちを忘れず生きていきますね。」という
明るい気持ちさえあれば十分なんです。

全国各地で行われている
鎮魂の意味を込めたイルミネーションや花火などは、
「明るい未来」や、人の心の在り方そのものを表現した
まさに魂の浄化のお手伝いの見本のようなもの。

何も、わざわざ
特別な祈祷やお祈り、先祖供養などしなくても
僕たちが「キレイ」「美しい」「楽しい」と思うような
明るい心持ちで日々を過ごしていれば
そのピュアな心のエネルギーに触発されて
この世を旅立った魂たちも、「早く浄化しよう!」と
それぞれのステージで頑張れるものです。

全ての想像力を働かせて、考えてみて下さい。

もし、死を迎え、自分の肉体が無くなって魂の状態だけになった時、
残してきた大切な家族や恋人や親友たちに、
あなたが望むことは何ですか?

大事なお金を沢山使って
無意味なお祈りや祈祷や先祖供養をしてもらったり、
借金してまで豪華なお墓や仏壇を作ってもらうことですか?

それとも、「可哀想ね」「可哀想ね」と
ただ単に同情してもらうことでしょうか?

もし、それを望むのであれば、
その程度の人格、魂のレベルだということです。

僕だったら、残してきた大切な人たちが
大金をつぎこんで祈祷や先祖供養などをしてしまったら
とても悲しくなりますし、
「なんで、そのお金を自分たちの幸せのために使わないんだろう」と切なくなります。

また、いつまでも
「可哀想ね」「可哀想ね」と想い続けられたら
僕の場合、
「あなたのほうが、いつまでも悲しい想いから抜け出せなくて可哀想ね」と
悲しくなってしまうでしょう。

僕が安心して自分の行くべき世界に旅立てるとしたら、
残してきた大切な人たちが、悲しみを乗り越えて
「キレイね~」「楽しいね~」「美しいね~」「美味しいね~」と
色々なものに感動して、しっかり生きている
明るい姿を見届けたときでしょう。

きっと、ほとんどの人が同じ気持ちだと思います。

だったら、本当の鎮魂の意味や、魂の浄化のお手伝いを
どういう心構えでやらなければいけないのか、
簡単に理解できるはずですよね。

ユタに頼んで、代わりにウートートーしてもらうことが
先祖供養でしょうか。

または、霊能者や宗教団体に頼んで
実体のない祈祷や先祖供養をしてもらうことが鎮魂でしょうか?

御嶽や、聖地巡礼をしてお祈りや、お供え物をすることが
魂の浄化のお手伝いでしょうか?

はたまた、いつまでも悲しみに暮れて
暗い気持ちで過ごし、故人に同情ばかりしているのが
供養につながるのかどうか・・・。

全ては、その人の心の動機、気持ち次第。

あとは、このブログを読んで下さっている
皆さん自身の良識にお任せします。

これからイルミネーションがキレイに夜空を彩る季節です。

どうぞ、皆さん自身の
「真・善・美」の感性を大切にして、
おおいに感動されて下さいキラキラ 



*注*
 このブログのメッセージ欄を通して、または会社の電話を通しての
 霊視や個人セッション、勉強会の申し込み等は
 一切受け付けておりませんので、どうぞ、ご了承下さい。


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Posted by 山野本 竜規 at 06:50 │スピリチュアル&神社