RBCアナウンサー山野本竜規の「ナカトリモチ日記」

神社の神職は神と人との間を取り持つ「ナカトリモチ」。 神職資格を持つRBCアナウンサー山野本竜規が、仕事の 裏側からプライベートまで日々の出来事を皆さんにお届けします。
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2007年11月29日

言っても無駄、理解できないから。

言っても無駄、理解できないから。今日の沖縄地方は、灰色の雲に覆われて
強風が吹いているので
いつも以上に肌寒く感じます雪

この厚い雲の上では
明るい太陽の光が
燦々と降り注いでいるのですが
人間の心も曇っていれば、
他の人からの善意の言葉や
霊的世界からの明るいメッセージは
届きにくいものですダウン

実は、昨日、
そのようなことを実感する出来事がありました。

仕事と仕事の合間に少し時間ができたので
あるスタッフの身内のことについて
ほんの少しだけセッションをしたのですが
霊的世界にチャンネルをつなぐと、
「本人にメッセージを伝えても、今の生き方、心の状態では
 こちらの意志は伝わらないから、言っても無駄です」と
ハッキリ言われてしまいました雷

普段からお世話になっているスタッフの身内のことですから
出来れば、僕も何かしらのメッセージをお伝えして
お役に立ちたかったのですが
霊的世界から、そのようなメッセージが届いてしまっては
それ以上、僕の霊視もやりようがありません。

実は、そのスタッフが相談のために僕の隣に座ったときから
「なんか、いつもの個人セッションの時の感覚と違うな~」と
不思議な違和感を感じていて
霊視も、いつも通りクリアに読み取ることができず
「僕の体調が悪いからかな・・・」と思っていたのですが
相手の守護霊様に意識を集中した途端、
「メッセージを伝えても・・・」と言われてしまったんです。

僕の霊視を通した個人セッションの場合、
時々、こういったことがあります。

軽い気持ちでセッションを受けるような人や
逆に「能力を試してやろう!」という猜疑心がある人、
そして、霊的世界の真理を理解しようとせず
都合の良い答えやメッセージだけを求めようとする依存心の強い人。
または、うつ病などの心の病気の症状が顕著な人。

最近は僕も、「来る者拒まず」といった考えは止めて
「分かる人」や、「ある程度理解できそうだな・・・」という人だけに
こういったメッセージをお伝えするようにしているので
上記のような人と
個人セッションで接する機会は減ってきましたが
相談者以外の第三者の霊視をするときは
まだまだ、このようなケースがよくあります。

そして、おおよそ、そういった心持ちの人の場合は、
霊視ができたとしても、守護霊様や霊的世界から
「今は、まだ早い」とか「今は、理解できないから言う必要がない」と
一喝されてしまう場合がほとんどです。

これらは、守護霊様たちの大きな愛情からくる
厳しい言葉でもあるのですが
その意志を伝えなければいけないナカトリモチの僕も、
かなり言いづらいことなんです。

ましてや相手が、いつもお世話になっている
性格が良いスタッフだったら尚更、
そのスタッフのことではなく、
身内のことだとしても、言いづらいもの。

でも、そこで曖昧な表現をして逃げるのは
正直に霊的世界からのメッセージを伝えていないことになるので
今回も、敢えて、ありのままをお伝えしました。

守護霊様からの問題解決のメッセージは、
本当にシンプルで的を射たものなのですが
受け取る側の人間の
間違った常識や風習、習慣、思い癖などが
そのメッセージを拒絶してしまう場合があります。

または、拒絶までいかなくても
どうしても「常識」という曖昧な価値観を刷り込まれているために
なかなか勇気が持てず、実行に移せない場合もあります。

昨日は、仕事が終わったあと
月に一度の霊的世界のことをお伝えする勉強会の日でした。

そこでも、参加者から色々な質問があるのですが
信仰心に篤い人が多い沖縄の場合、
女性1人残されて、その他に身内が誰もいない
ご先祖様の位牌をどうしたらいいのか・・・とか
祝詞やお経は唱えるべきなのか・・・などと言った
普段の生活の中に潜む「間違った常識」の
ひとつひとつを、丁寧に説明していく作業が必要でした。

誤解のないようにお伝えしますが、
古くからの風習や伝統を守るのは
とても大切なことです。

それを承知の上で、お伝えします。

僕は、沖縄の風習のことは勉強中で、
まだ詳しいことはよく分かりませんが
少なくとも、人は位牌を守るためだけに
生きているわけではありません。

ご先祖様を大切に想う、その気持ちさえあれば
たとえ男であろうが、女であろうが
誰がご先祖様の位牌を御守りしても大丈夫です。

そして、その位牌を御守りできなくなったとしても
そのご先祖様を想う気持ちさえあれば
位牌を処分したところで、何の問題もありません。

まっ、批判したり、怒ったりする人がいたとしたら、
そういった間違った価値観を刷り込まれてきた
周囲の人や、
「位牌さえ守っていればよい」という思い込みで亡くなった
未浄化の先祖霊たちでしょう。

でも、もしそんな未浄化霊がいたとしたら、
生きている僕たちが
「そんなことに執着しないで、早く行くべき世界に行って下さい!」と
強く諫めるほどでないといけません。

何度でも言いますが、ご先祖様を想う感謝の気持ちさえあれば
位牌も必要ないですし、仏壇も必要ないですし、
祝詞をあげる必要も、お経をあげる必要も、全くありません。

こういった仏壇や位牌やお墓は、
故人を想うときに、よりその想いを強めるための
現世とこの世の通信機のようなものです。

大流行した「千の風になって」の歌詞の通り。

実は、勉強会の時、
仏壇のことで悩んでおられた1人残された女性を
少し霊視してみると、彼女のご先祖様たちが
しきりに頭を下げて謝っている光景が視えてきました。

「たかだか「位牌」とか「仏壇」という「物質」のために、
 自分たちの子孫が、ここまで悩み苦しむ姿を見ているのが
 本当にやるせない。今まで間違った価値観を教えてきたことを
 ここでお詫びしたい。
 この子には、仏壇や位牌なんか気にせず、
 自分の人生をしっかり生きて欲しい。」

肉体を捨てて、魂だけになったご先祖様たちは
それぞれの理解度で、霊的世界の真理に目覚めていく課程で
「物質に執着することが、いかに無駄なことか」ということを
悟っていきます。

生前、「位牌や仏壇はしっかり守っていかなかればいけない」と
信じてならなかった人や、それを他の人たちに強要してきた人でも、
魂だけになれば、「物質ではなく、気持ちが大切だった」
ということに気づく魂がほとんどです。

たまに、それに気づかず、いつまでも
「ウートートー(お祈り)が足りない」「仏壇が立派ではない」と
文句を言い続ける未浄化霊もいますが、
死後も、そんな惨めな生活は送りたくないですよね。

祝詞や、お経をあげることも、
以前、このブログでご紹介したように
むやみやたらに、あげるのは逆に危険な行為です。

また、そういった仏壇や位牌や
祝詞やお経、仏像などの処分の方法にしても
「もう自分には必要ありませんから。しっかり自分の力で生きていきます。」という
感謝と自立の気持ちを伝えて、
お焚き上げなり、普通のゴミとして処分するので十分です。

所詮は「物質」ですから。

そうすることによって不幸になることも、
何か悪いことが起こることも全くありませんし
むしろ、その逆で、「自分の力で生きていく」と決めた
その強くて明るいエネルギーが、
益々、幸せになる要素を引き寄せてくれるものです。

結局、霊的世界からの応援を受けにくい
人間の心を覆っている灰色の雲って
「今まで当たり前」と思って育ってきた間違った常識であったり、
心の想い癖であったり、人の善意に気づくことができない、
今ある幸せに気づくことすらできない
乏しい感性そのものかも知れません。

その灰色の雲を取り去って、太陽が燦々と降り注ぐような
明るい心持ちにするには、
やっぱり、それぞれが苦しみ、悲しみ、もがいた中で
人の優しさだったり、今ある幸せに
自分から気づいていくしかありません。

守護霊様は、その瞬間をずっと見守っています。

何が正しくて、何が間違いなのか・・・。

それは、みなさん1人1人が
色々な体験や勉強をしながら、
みなさん自身が作り出していく「良識」の中から
判断できていくものです。

心の曇りを少しでも晴れやかにできるように
明るく生きていきたいものですよね。


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Posted by 山野本 竜規 at 13:02 │スピリチュアル&神社