RBCアナウンサー山野本竜規の「ナカトリモチ日記」

神社の神職は神と人との間を取り持つ「ナカトリモチ」。 神職資格を持つRBCアナウンサー山野本竜規が、仕事の 裏側からプライベートまで日々の出来事を皆さんにお届けします。
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2007年10月11日

宗教霊。

宗教霊。ここ最近、「ありがとうございます」を連発する人たちに
出会う機会が多くありました。

この「ありがとう」という感謝の言葉は
確かにお互いのコミュニケーションを
円滑にするためには欠かせない言葉のひとつです。

言葉には、「言霊」(ことだま)と言って
その言葉自体にエネルギーが宿っているので
なるべくなら、普段から
清々しい言葉を発するよう心がけたいものです。

でも、意味もなく連発するのは、
いかがなものかと思います。

写真の本は、「気になります、このことば」という本で
僕がアナウンサーになりたての頃に
間違った言葉使いをしていないかどうか確かめるために
よく利用していた本です。

さて、僕が今、気になっている言葉が、
件の「ありがとう」の連発。

先日、ある経営者の方が仕事のことで
僕のところに相談に来られたのですが
開口一番、
いくら「ありがとう」という言葉を使っても全く運が良くならないんです・・・とのこと。

??????

僕も一体、何のことやら、最初は、よく理解できませんでした。

話を聞くと、その方は、ある人のススメで
「ありがとう」という言葉をずっと使い続けていたら、
運が良くなったり、奇跡が起きる・・・というような話を聞いて
それを真に受けて、
何かあったら「ありがとう」を連発していたそうです。

人に何か嫌がらせを受けても、「ありがとう。」
仕事が上手くいかなくても、「ありがとう。」
体の調子が悪くなっても、「ありがとう。」
どんなときも、「ありがとう。」

これだけ、「ありがとう」を使っているのに、
どうして運が良くならないのだろうか・・・。

この奇妙な言動を勧めた人に質問しても、
「それは、ありがとうの回数が足りないから」と言われてしまったそうです。

普通の常識がある方だったら、
誰でも「何やってんの?」と、すぐに疑問に感じますよね。

いくら良い言葉だからといって、心も込めずに
TPOも考えずに、呪文のように唱えるだけで
開運を願うだなんて、
これほど身勝手で、都合の良い話はありません。

もちろん、そんな心がこもっていない上っ面の言葉に
良い言霊、エネルギーが入っているはずもありません。

でも、どうやら、この「ありがとう」を連発したら運が良くなる・・・と
考えている人たちは少なくないようです。

このブログで、霊的世界のことを書くようになってからというもの、
宗教団体関係者や
精神世界マニアのような人たちからの意味不明な書き込みや、
(全て削除しています)
「ありがとう」を連発する人たちから
やたらと「お会いしたい」という
一方的なメールを頂くことが続いています。

「山野本様。ありがとうございます。
 実はブログを拝見して、貴方様なら、
 是非、私のことを霊視して下さると信じてメールをしています。
 ありがとうございます。このメールをお読みになって下さったのなら
 必ずご連絡頂けることと信じております。ありがとうございます。」

あるいは、
「ありがとうございます。○○(県外)から来ました。
 今、琉球放送の前まで来ているのですが
 山野本さんに是非、相談に乗ってもらいたくて
 お会いできないかなと思っています。ありがとうございます。」

・・・それぞれ別の人で
上記のような内容が書かれてあって
その人の住所や連絡先などが詳しく記されてあったのですが
文章自体、かなり一方的で、配慮に欠けたものですよね。

一瞬、何かのチェーンメールかな・・・と錯覚してしまうほど
日本語として、他人の事情を全く考えない
思いやりが著しく欠けている文章です。

僕は無知なので、
その背景にある詳しい団体とか、教義のことなどは全く分かりませんが、
ここまで来たら、ある種の宗教団体と変わりありません。
「ありがとう教」みたいな団体があるのでしょうか・・・。

もし、あるのだとしたら、
何故、その教義を信じて色々実行しているのに
余計なことで悩んだり、心が幸せになれずに悶々としているのでしょう・・・。

もしかしたら、本来の教義は、崇高なものかも知れません。
でも、もし、
その「ありがとう」を連発することに効果があるのであれば、
僕のところになんか相談に来なくても良いはず。

勿論僕は、こんな身勝手な人たちのために
貴重な時間を割くことなんて出来ないので
今後も、このようなメールや連絡が来たとしても
一切、お返事は致しかねます。

もし、メールを出されたご本人が、
このブログを読んでいらっしゃるのであれば
そういった理由なので、ご了承下さい。

「何かにすがれば、運が開ける・・・。」

最初にご紹介した、相談に来られた方の場合は、
言霊を本当の意味ではなく間違った解釈をして、
そのエネルギーにあやかろうとしていただけなので
これでは運が開けるどころか、
「一所懸命、生きることを怠ける」という
更なる因果を背負うことになります。

因果というと、これまた
怖ろしい言葉の響きのように聞こえますが、
要するに、自分で蒔いた種は、自分で刈り取る・・・という
ごくごく自然の法則に従っているだけのこと。

きっと、色々大変な想いをされて、
何でもいいから、何かにすがりたかったのかも知れません。
でも、結局は、その人の人生。
自分自身で考えて問題を解決していくしかないんです。

「ありがとう」という言葉は、確かに素晴らしい。
僕も大好きな言葉ですし、
人から言われたら素直に嬉しい言葉です。

だけど、どんな言葉でも、どんな行動でも、
そこに一所懸命な想いや、優しさや、感謝の気持ちが込められていなかったら
全て無意味なことです。

これは、お経や祝詞にも言えること。

神職時代、
「祝詞を奏上するときは、特に気を引き締めて心を込めて奏上するように・・・」と
厳しく指導されましたが、これにも理由があります。

実は、生前、「ありがたい」と信じきっていた
お経や祝詞を日課としていた人たちが
いざ亡くなって、何かの理由で、
この世に留まってしまった場合(未浄化霊になってしまった場合)、
「お経、祝詞はありがたいもの」と思って
どこかでお経や祝詞があげられると、スッと集まってくるんです。

ところがどっこい・・・。

ふたを開けてみれば、いくらお経や祝詞を側で聞いていても
自分達は救われないじゃないか・・・。
ちっとも、楽にはならないじゃないか・・・。
なんで、明るい光の世界に行けないのだろう・・・。

そうやって悶々と悩んで、彷徨って、
また次の場所へ・・・と浮遊することになります。

これは、生前、何かしらの宗教団体に所属していた人に多い
所謂、「宗教霊」という未浄化霊たちです。

「自分たちは正しい教義の通りにお経や祝詞やお布施をしてきたのに、
 なんで、光の世界に行けないのか・・・」

僕は、時々、個人セッションや霊視の中で、
相談者と一緒に来られた宗教霊たちが
不安そうな表情で、そのように訴えかけてくる様子を見て
とても切なくなることがあります。

その時点で、
「あっ、この方は、何か特別な宗教を信じてらっしゃる方なんだな・・・」と分かりますが
別に、どんな宗教を信じようが、その本人の自由なので
そこまで言及することはありません。

でも、一緒について来られた宗教霊たちの存在は
お伝えすることがあります。

これも「類は友を呼ぶ」という法則そのもので
お経や祝詞や何かの教義のみを信じきって、
現実を直視せずに一所懸命生きることを怠けた・・・という
低い波長を持っているから。

それは、他力本願な生き方だったり、
何かの教義に固執して妄信し過ぎたり・・・と
その人によってそれぞれですが、
形は違えども、根本は同じです。

お経や祝詞も、結局は、どれだけ心を込めて奏上するか・・・によります。
そして逆に言えば、むやみやたらに
一般の方がお経や祝詞を奏上するのは、
危険な行為でもあるんです。

勿論、お寺の住職さんや、僕たちのような神社の神職の中でも
気持ちを込めたお経や祝詞が奏上できなくて
ちゃんとした浄化の手助けが出来ない人だっています。

逆に、お経や祝詞を全く知らない方でも
普段から一所懸命に自分の人生を明るく、逞しく生きている方なら
そういった姿を見ているだけで、
未浄化霊たちは、
「自分たちは何をやっているんだろう、この人を見習わなければ・・・」と
その人の懸命な姿に感動し、浄化していく場合だってよくあることです。

怪しい霊能者や宗教団体関係者が
「先祖供養」と称して高いお金を要求して、
お祓いやお炊き上げをすることがありますが
そういったことは、全く必要ありません。

身内や親しい人が亡くなられて、
その人の魂の浄化を心から願っているのであれば
僕たち生きている人間が、
今、この一瞬一瞬を懸命に生きている姿を見せることこそが
一番の供養になるからです。

僕は宗教を否定している訳でもないし、
何か特定の団体の教義がダメだと言っている訳でもありません。

ただ、霊的世界のことをお伝えすることと宗教は、
やっぱり全く別だと感じています。

言霊の本当の意味を理解できたら、
きっと、その人の生き方も、
もっと明るい方向へ変わっていくでしょう。

全ての基本は、
「心を込めて一所懸命になること」なのですから・・・。
そして、出来れば、悲壮感を漂わさずに
明るく笑顔で生きていけたら素敵ですねピース


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Posted by 山野本 竜規 at 08:03│Comments(0)スピリチュアル&神社
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