2007年01月05日
忘不了。~ Lost in time ~
職場にメールが届き、今日、本当に久しぶりに電話で話をしました!
その友達は
今から10年ほど前、僕が学生時代に同じゼミを履修していた
中国からの留学生・劉(りゅう)君(36)。
偶然、インターネット検索で僕のブログを見つけてくれて
メールをくれたそうです

劉君は今、貿易関係の仕事で故郷の中国ではなく、
遠く離れたスペインに住んでいて、メールには
スペインの自宅の庭に咲き乱れている花の画像が添付されていました。
当時、僕たちが所属していたゼミは
中国の古い漢文の研究をする
いかにも実社会で役に立ちそうもないような分野で、
毎日、毎日、コムズカシイ漢文と辞書と睨めっこしながら
卒論も、ほとんどが手書きの漢文・・・。
あれだけ、中国語と漢文に向き合っていたはずなのに
今となっては、そのほとんどの記憶が抜け去っています・・・
僕たちは、2人とも偶然にも
働きながら学校に通っていた新聞奨学生でもあったので
共通する話題も多く、親しみもあったせいか
とても仲良くなって、よく一緒につるんでいました。
でも、大学2年の終わり頃、
中国に住んでいる劉君のご両親が
突然の交通事故で亡くなられて
彼は、やむを得ず中国に帰国することになったんです。
一人っ子だった劉君は、
中国では、かなり裕福な家庭で育ったにも関わらず
両親の支援を断って
自ら新聞奨学生として働きながら留学費用と学費を捻出し、
大好きな日本での学生生活を謳歌していたはずなのに
突然の事故で両親を失い、
父親が経営する残された会社と家を
一人で背負っていかなければなりません。
そんな状況の劉君に
僕は安易な慰めの言葉もかけられず、何かできる訳でもなく
ただ帰国までの時間を
できるだけ楽しく過ごすことくらいしかできませんでした。
彼のスゴイところは
普通だったら、うろたえて泣きそうになるような状況の時でさえも
常に穏やかな笑顔で周囲の人と接していたこと。
いざ帰国という時、僕は成田空港まで
劉君を見送りに行きましたが、最後まで彼は穏やかな笑顔でした。
あれから10年が経ち、
まさに昨日、その劉君からメールが届いていたので
僕の驚きも相当なものでしたよ。
僕は直ぐに、自宅と携帯の連絡先を書いてメールを返信したら
時差の関係もあって、先ほど真夜中の3時頃に
劉君から電話がかかってきました。
彼の話によると、
帰国後は頼れる身内もなく、お金目当てに近寄ってくる人たちを跳ねのけながら
残された会社の経営をし
今は海外に拠点を移して頑張っている様子。
孤独と戦い続けた日々だったそうです。
だけど、どんなに辛い状況になったとしても
愛情いっぱいに育ててくれた両親の記憶や
苦労しながらも楽しい日本での学生生活のことを思い出しながら
乗り切ってきたそうです。
彼が何故、ずっと笑顔でいられたのか・・・。
実は、学生時代
教授に怒られようが、仕事と勉強の両立が難しくて忙しかろうが
いつもヘラヘラしていた僕の笑顔を見て
「自分もどんな時でも笑顔でいよう」と思ってくれていた・・・と話してくれました。
僕なんかの間抜けな笑顔の真似なんて、しなくても良かったのに・・・。
でも、その言葉を聞いて、僕は照れ臭い反面、
とても嬉しかったですね
こんな立派な心の友がいることは
僕にとっても自慢です。
いつかまた、再会したときに
今度は僕が、劉君の笑顔に勇気づけられることだと思います。
ほんっとに、次、会うのが楽しみ
「ブログやってて、良かったなぁ~」と思う今日この頃です。
劉君、お互い、これからも変わらず
学生時代の頃のように笑顔で頑張ろうね
遠く離れたスペインに住んでいて、メールには
スペインの自宅の庭に咲き乱れている花の画像が添付されていました。
当時、僕たちが所属していたゼミは
中国の古い漢文の研究をする
いかにも実社会で役に立ちそうもないような分野で、
毎日、毎日、コムズカシイ漢文と辞書と睨めっこしながら
卒論も、ほとんどが手書きの漢文・・・。
あれだけ、中国語と漢文に向き合っていたはずなのに
今となっては、そのほとんどの記憶が抜け去っています・・・

僕たちは、2人とも偶然にも
働きながら学校に通っていた新聞奨学生でもあったので
共通する話題も多く、親しみもあったせいか
とても仲良くなって、よく一緒につるんでいました。
でも、大学2年の終わり頃、
中国に住んでいる劉君のご両親が
突然の交通事故で亡くなられて
彼は、やむを得ず中国に帰国することになったんです。
一人っ子だった劉君は、
中国では、かなり裕福な家庭で育ったにも関わらず
両親の支援を断って
自ら新聞奨学生として働きながら留学費用と学費を捻出し、
大好きな日本での学生生活を謳歌していたはずなのに
突然の事故で両親を失い、
父親が経営する残された会社と家を
一人で背負っていかなければなりません。
そんな状況の劉君に
僕は安易な慰めの言葉もかけられず、何かできる訳でもなく
ただ帰国までの時間を
できるだけ楽しく過ごすことくらいしかできませんでした。
彼のスゴイところは
普通だったら、うろたえて泣きそうになるような状況の時でさえも
常に穏やかな笑顔で周囲の人と接していたこと。
いざ帰国という時、僕は成田空港まで
劉君を見送りに行きましたが、最後まで彼は穏やかな笑顔でした。
あれから10年が経ち、
まさに昨日、その劉君からメールが届いていたので
僕の驚きも相当なものでしたよ。
僕は直ぐに、自宅と携帯の連絡先を書いてメールを返信したら
時差の関係もあって、先ほど真夜中の3時頃に
劉君から電話がかかってきました。
彼の話によると、
帰国後は頼れる身内もなく、お金目当てに近寄ってくる人たちを跳ねのけながら
残された会社の経営をし
今は海外に拠点を移して頑張っている様子。
孤独と戦い続けた日々だったそうです。
だけど、どんなに辛い状況になったとしても
愛情いっぱいに育ててくれた両親の記憶や
苦労しながらも楽しい日本での学生生活のことを思い出しながら
乗り切ってきたそうです。
彼が何故、ずっと笑顔でいられたのか・・・。
実は、学生時代
教授に怒られようが、仕事と勉強の両立が難しくて忙しかろうが
いつもヘラヘラしていた僕の笑顔を見て
「自分もどんな時でも笑顔でいよう」と思ってくれていた・・・と話してくれました。
僕なんかの間抜けな笑顔の真似なんて、しなくても良かったのに・・・。
でも、その言葉を聞いて、僕は照れ臭い反面、
とても嬉しかったですね

こんな立派な心の友がいることは
僕にとっても自慢です。
いつかまた、再会したときに
今度は僕が、劉君の笑顔に勇気づけられることだと思います。
ほんっとに、次、会うのが楽しみ

「ブログやってて、良かったなぁ~」と思う今日この頃です。
劉君、お互い、これからも変わらず
学生時代の頃のように笑顔で頑張ろうね

Posted by 山野本 竜規 at 05:03
│プライベート