2006年11月02日
言霊(ことだま)。

ブログ更新をしておらず、
「大丈夫ですか?」
「何かあったのですか?」
という心配メールを
送って下さった方々、
本当にスミマセンでした。
特に何があったという訳ではなく、
先週、福岡から帰ってきて
休んだ分の仕事がたてこんでいたのと、
「なんとな~く」、パソコン画面に
向かう気分ではなかったので
仕事以外はパソコンと対面するのも
止めていたんです。
ただ、それだけの理由なんですが、
ほんっと、気分屋で申し訳ありません・・・。
今日は、土曜サプリの取材で
浦添市にある食堂にお邪魔したのですが、
ここのナーベラーウブシー(へちまの味噌蒸し煮込み)、
「今まで沖縄で食べたナーベラーウブシーの中で一番!!」と
思える美味しさでしたよ~!
詳しくは、今週放送の土曜サプリ
「それゆけ!タツノリ!」のコーナーをお聞き下さいね。
・・・と前置きが長くなりましたが、
ここ一週間、ブログ更新をしなくても
心に残る出来事は色々あったので
その中でも印象的だったことを一つご紹介しましょう。
ここ最近、同じアナウンス室の仲間・
小林真樹子アナウンサーのブログのコメント欄に
明らかに誹謗・中傷と思われる同じ人物の書き込みが続いていて
アナウンス室のメンバーも心を痛めていたんです。
僕はこの一週間、
パソコン画面を覗くことが少なかったので
そういった状況になっていることに
最近気づいたのですが、
誹謗・中傷の書き込みをしている人に対しては
「一方的でしか物事を見る事ができない可哀想な人だな~」と
個人的には思います。
書き込みの言葉は丁寧で
真っ当な文章を書いているように思えますし、
もしかしたら叱咤激励のつもりでコメントしたのかも知れませんが、
読んでいて不快になってしまうような
「見えない心のトゲ」をひしひしと感じるコメントでした。
言葉は丁寧で、言わんとすることもごもっとも・・・。
だけど、一番大切な人間としてのマナーが足りないな・・・と感じたのは
言いたいことがあるのなら、
ブログでも、手紙でも実名を出して
正々堂々と意見を言うのが
人と人、心と心の交流というものではないでしょうか。
コメントも理路整然としていて、立派にみえる意見の割には、
内容と書き込んだ本人の人格が
比例していないなぁ~と感じました。
言葉にしても、文章にしても
その人の人柄や心というものは
なんとなく伝わってくるものです。
以前、このブログで
僕が日記のコメント欄を削除した理由を書いたのですが、
僕たちは会社員として、「琉球放送」という社名を背負って、
しかも実名で、不特定多数の人に情報を発信しています。
そのことをみんな、しっかりと自覚しながら
日々、起こった出来事や感じることをブログという形で
公開していますし、
コメントをする立場の人は、ほとんどが心優しい温かい人ばかりなのですが、
ごく稀に匿名や
ハンドルネームで誹謗・中傷を書き込むという卑怯な方法をとる人がいて
その人の意見まで公開されてしまうという、
ブログのシステムが
個人的には「公平ではないなぁ~」と思っていたので
僕の場合は、ブログからコメント機能は削除しています。
正々堂々と意見したいことがあるのなら
メールで誠心誠意、受け付けようと思うからです。
アナウンス室の仲間をかばう訳ではありませんが、
小林アナは、陰でどれだけ見えない努力をしていることか・・・。
それは、ただ単にアナウンス技術の努力だけではなく
1人の人間として、
周囲に気を配り、温かさをそっと届け、和ませるような
並々ならぬ努力。
これは近くで仕事をしていないと分からないことです。
そして、誰もが出来ることではありません。
僕は、逆に小林アナの
さりげない気配りや穏やかさを学びたいくらいですから・・・。
アナウンサーである前に
人間としての優しさや穏やかさ、ひたむきさ・・・
そういった見えない人間力が豊かだからこそ、
小林アナが多くのファンから支持されているのだと僕は思います。
アナウンサーは、
どうしてもテレビ画面やラジオの声だけという
断片的な部分でしか
視聴者やリスナーの皆さんとの接点はありませんし、
逆にいえば、それだけで
全ての人格を判断されてしまう
ある種、厳しい職業なのかも知れません。
でも、そういった厳しさも受け止めた上で
僕たちは日々、仕事をしています。
だから、正直、小林アナのブログに
心ない書き込みをした人の内容を見て
「ほんの一部の断片的な部分しか見ていない、僻みなんだろうなぁ~」と
思ってしまいました。
言葉って、たとえ文字でも見えない力が宿るもので
それを僕たち神社の人間は、
「言霊」(ことだま)と呼んでいます。
どんな言葉であれ、人間が発した言葉には、
見えない力が宿り、それは巡りめぐって
いつか自分に返ってくるものだから、
出来れば、日々、良い言葉を使っていきたいものですよね。
それだけ、言葉は大切なもの。
勿論、ブログで公開される文章にも、
そして、それに付随するコメントにも、
見えない力がこもっています。
少なくとも僕たちRBCのアナウンサーは
放送にしても、ブログにしても
そういった気持ちで情報発信をしているつもりです。
言霊の大切さを
改めて実感した一週間でした。
小林真樹子アナウンサーのブログのコメント欄に
明らかに誹謗・中傷と思われる同じ人物の書き込みが続いていて
アナウンス室のメンバーも心を痛めていたんです。
僕はこの一週間、
パソコン画面を覗くことが少なかったので
そういった状況になっていることに
最近気づいたのですが、
誹謗・中傷の書き込みをしている人に対しては
「一方的でしか物事を見る事ができない可哀想な人だな~」と
個人的には思います。
書き込みの言葉は丁寧で
真っ当な文章を書いているように思えますし、
もしかしたら叱咤激励のつもりでコメントしたのかも知れませんが、
読んでいて不快になってしまうような
「見えない心のトゲ」をひしひしと感じるコメントでした。
言葉は丁寧で、言わんとすることもごもっとも・・・。
だけど、一番大切な人間としてのマナーが足りないな・・・と感じたのは
言いたいことがあるのなら、
ブログでも、手紙でも実名を出して
正々堂々と意見を言うのが
人と人、心と心の交流というものではないでしょうか。
コメントも理路整然としていて、立派にみえる意見の割には、
内容と書き込んだ本人の人格が
比例していないなぁ~と感じました。
言葉にしても、文章にしても
その人の人柄や心というものは
なんとなく伝わってくるものです。
以前、このブログで
僕が日記のコメント欄を削除した理由を書いたのですが、
僕たちは会社員として、「琉球放送」という社名を背負って、
しかも実名で、不特定多数の人に情報を発信しています。
そのことをみんな、しっかりと自覚しながら
日々、起こった出来事や感じることをブログという形で
公開していますし、
コメントをする立場の人は、ほとんどが心優しい温かい人ばかりなのですが、
ごく稀に匿名や
ハンドルネームで誹謗・中傷を書き込むという卑怯な方法をとる人がいて
その人の意見まで公開されてしまうという、
ブログのシステムが
個人的には「公平ではないなぁ~」と思っていたので
僕の場合は、ブログからコメント機能は削除しています。
正々堂々と意見したいことがあるのなら
メールで誠心誠意、受け付けようと思うからです。
アナウンス室の仲間をかばう訳ではありませんが、
小林アナは、陰でどれだけ見えない努力をしていることか・・・。
それは、ただ単にアナウンス技術の努力だけではなく
1人の人間として、
周囲に気を配り、温かさをそっと届け、和ませるような
並々ならぬ努力。
これは近くで仕事をしていないと分からないことです。
そして、誰もが出来ることではありません。
僕は、逆に小林アナの
さりげない気配りや穏やかさを学びたいくらいですから・・・。
アナウンサーである前に
人間としての優しさや穏やかさ、ひたむきさ・・・
そういった見えない人間力が豊かだからこそ、
小林アナが多くのファンから支持されているのだと僕は思います。
アナウンサーは、
どうしてもテレビ画面やラジオの声だけという
断片的な部分でしか
視聴者やリスナーの皆さんとの接点はありませんし、
逆にいえば、それだけで
全ての人格を判断されてしまう
ある種、厳しい職業なのかも知れません。
でも、そういった厳しさも受け止めた上で
僕たちは日々、仕事をしています。
だから、正直、小林アナのブログに
心ない書き込みをした人の内容を見て
「ほんの一部の断片的な部分しか見ていない、僻みなんだろうなぁ~」と
思ってしまいました。
言葉って、たとえ文字でも見えない力が宿るもので
それを僕たち神社の人間は、
「言霊」(ことだま)と呼んでいます。
どんな言葉であれ、人間が発した言葉には、
見えない力が宿り、それは巡りめぐって
いつか自分に返ってくるものだから、
出来れば、日々、良い言葉を使っていきたいものですよね。
それだけ、言葉は大切なもの。
勿論、ブログで公開される文章にも、
そして、それに付随するコメントにも、
見えない力がこもっています。
少なくとも僕たちRBCのアナウンサーは
放送にしても、ブログにしても
そういった気持ちで情報発信をしているつもりです。
言霊の大切さを
改めて実感した一週間でした。
Posted by 山野本 竜規 at 22:05
│プライベート