RBCアナウンサー山野本竜規の「ナカトリモチ日記」

神社の神職は神と人との間を取り持つ「ナカトリモチ」。 神職資格を持つRBCアナウンサー山野本竜規が、仕事の 裏側からプライベートまで日々の出来事を皆さんにお届けします。
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2006年10月25日

転機。









突然ですが、写真に写っているのは
僕が普段から愛用している
CDコンポ、ラジカセ、ドライヤー、デジカメ・・・。

だけど、さきほど
福岡から沖縄の家に戻ってきたら
全部、壊れてしまっていましたダウン

おまけに、いつも愛用していた
お気に入りのデジカメは、
福岡から沖縄に戻ってくる途中の飛行機の窓から
桜島の噴火口とその噴煙を撮影した瞬間、
ピクリとも動かず、フリーズ状態・・・汗

一体、何が起こったのでしょうか。。。

以前の日記にも書きましたが、
身の回りの機器が壊れるのは
人生の良い転機になる。。。
と聞いたことがあり、
僕にとってはまさにその通りの出来事が起こっていたんです。

実は3日前に、
心筋梗塞の後遺症と
その他の合併症の悪化で入院していた
父の容態が急に悪くなり、
「命が消えかけそうな状態だ・・・」という連絡が家族から入り、
僕は急遽、実家に戻ることになったんです。

病院の先生からも、
「もう今回は・・・」という宣告を受けていたらしいので
僕もある程度の覚悟は決めて飛行機に飛び乗ったのですが、
僕自身、「本当に冷たい人間だなぁ~」と感じたのは、
父の死を現実のものとして受け入れなければならない時
真っ先に頭の中に浮かんだのは、
「父とお別れするんだ」という悲しみよりも
「この先、実家の神社の経営をどうしようか・・・」という
現実問題のことを考えている自分がいたことです。

病院に駆けつけて数日が経ち、
父はなんとか会話できる状態にまで回復したので
これまで遠慮して
僕の胸の内に秘めていたことを伝えて
親子の会話をしっかりしてきたところです。

沖縄で生活することが決まったとき、
僕は長男ですが、
これからずっと沖縄で生活するつもりで
たとえ父が亡くなったとしても
実家の神社は、1つ違いの弟が継ぐ・・・という確認をして
沖縄にやって来ました。

だけど、実際、
父はまだ心のどこかで
「実家の神社を継いでくれるのではないか・・・」という期待をしていたので
どうしても、僕名義の土地とか、財産とか、
僕にとっては一切不要なものを残そうとしていたんです。

これも子供の将来を真剣に想う
親の愛情深さだとは充分承知していますが、
厳しい言い方をしてしまえば、
こういったことって、親のエゴ以外、何物でもありません。

きっと、これをご覧になっている
多くの親の立場の皆さんは、
「親の気持ちも苦労も分からずに、何、子供が偉そうなことを言っているんだ。」と
感じる方もいらっしゃることでしょう。

だけど、たとえ血の繋がっている家族であったとしても
その人の人生は、最終的に自分自身が決めるもの。

勿論、親への感謝を忘れたわけではありません。
これまで無条件に、どんなワガママも受け入れて
赤ちゃんの頃から、愛情いっぱいに育ててくれたのですから・・・。

でも、人生の先輩として、進むべき道や、
将来についてのアドバイスはできたとしても
決して、子供の人生に
親やその他の肉親が介入できるものではないと思うんです。

だから僕は、
両親や家族に育ててもらった愛情を
今度は自分に合った方法、自分なりの人生の歩み方で
仕事や社会貢献を通して
恩返しできたらいいな・・・と思って沖縄にやってきました。

今回、父が再び病気で倒れて回復してから
そのことをしっかり話してきました。

今度は、頑固な父も、ようやく納得したようです。

決して、家族が嫌いな訳ではなく、
むしろ大好きだからこそ、
自分の信じる人生を歩んでいるんだ・・・ということ。

そして、僕は実家には戻らず
沖縄で生活しながら人の役に立つ仕事をしていく・・・ということ。

不必要な「物質」は一切要らない・・・ということ。

そして、最後に
家族は離れていても、どんなことでも協力できる強い味方である・・・ということ。



普段、父とは照れくさくて
こういった深い話は出来ずにいたのですが、
いつ父の命が消えてしまうのか分からない・・・という現実を
目の当たりにすると、
今、僕が伝えるべきことや
今できる本当の親孝行とは何か・・・真剣に考えざるを得ない状況だったんです。

現在、父の容態は安定して回復しているので
僕は病院をあとにして沖縄に戻ってきました。

結果的に、親子の本音をしっかり伝え合って
また家族の絆が一歩深まったので
父は大変な思いをしましたが
これも1つの大きな良い転機になったと思っています。

普段、一緒に暮らしている家族でも
家族の存在が当たり前過ぎて、
なかなか本音が言えなかったり
衝突することを恐れて
お互いが遠慮してお互いの関心がなくなっていたり・・・と
それぞれの家族の問題点があると思います。

でも、時間が経てば、
自然の流れで親は亡くなり、
家族の人数も減っていくものです。

いつまでも同じ形ではいられないんだ・・・と実感すると、
今、お互いができることは何なのか、
おのずと見えてくるのではないでしょうか。

最近、皆さん、家族の誰かと本音でお話しましたか?

僕は、父を傷つけることを覚悟で
もう一歩深く話をしたことで
結果的に
お互いの意思疎通ができて良かったと思っています。

沖縄の僕の家に戻ってきて
壊れた身の回りの機器を眺めていると、
人生、これから、また新しいスタートなんだなぁ~」と
不思議な力が沸いてきましたキラキラ 

お父さん、お母さん、これまで頑張ってきた分、
これからは決して無理せず、
自分の人生をゆっくり楽しんで下さい。
遠い沖縄から、応援しているからね~チョキ


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Posted by 山野本 竜規 at 20:11 │プライベート