2006年09月27日
名前の不思議~逆鱗~。
元RBCアナウンサーの玉城美智子さんに
「今度会うときまでに、
自分の名前の由来について考えてくること。」
という宿題を出されました。
僕の名前は「竜規」(たつのり)。
命名したのは両親ではなく、
親戚でお寺の住職をしている叔父です。
僕は辰年生まれ。
だから名前に「竜」が入っています。
僕の実家が神社で、親戚の家がお寺・・・。
なんだか、ヘンテコな関係ですが、
命名してくれたお寺の住職である叔父は
姓名判断の分野にも長けていたのでしょう。
「竜」が力強く天に昇るように
「規則正しく」、まっすぐな信念を持って生きてほしい・・・。
きっと、そのような想いが込められているのだと思います。
この名前のお陰でしょうか・・・。
たった30年の人生ですが、
僕は命に関わるような色々な災難を無事に潜り抜けてくることができました。
その例を書き出したら
子供の頃の病気のことから始まり
数々の交通事故など
枚挙にいとまがないくらい多すぎて
自分でもビックリしてしまいます
ここ数年の出来事では
真冬の凍結した山の雪道を車で走行中、
スリップして20mの崖下に何度も回転しながら転落。
頑丈なジープ型の車は大破したのですが
僕は傷1つなく全く無事だったんです。
今、思い返してみても
命を落としていたであろう・・・と感じるくらい
ひどい事故で、どうして無傷だったのか
「???」だらけなくらい・・・
だから、いざという時の運は、
とても強いのだと実感しています。
十二ある干支のうち、
架空の動物は「龍」、つまり辰年だけ。
「辰年はもともと生まれ持った運の強さがあるのだ・・・」と
命名してくれた叔父に聞いたことがあります。
そして、こんなことも話してくれました。
「逆鱗に触れる」という言葉があるけれど、
その逆鱗って、
龍のウロコの中で一枚だけ逆さを向いているものがあり、
そのことを指す。
そして、その逆鱗を触ると
龍は怒り狂ったように暴れ出すことから、この言葉が生まれたんだよ。
つまり、人間、誰の心の中にでも「逆鱗」があって
それを触れられると
我を失うくらい怒ったり、反発したりするものがある。
逆に言えば、それは
その人が自分なりの信念を持って生きている証拠なんだろうね。
ちょうど僕が
理不尽な出来事や納得できない出来事ばかりが続いて悶々と過ごし
人と対立ばかりしていた時期に聞いた言葉だったので、
とても心の奥底に響き渡りました。
そう、人間、それぞれの「逆鱗」、
つまり信念や生き様をしっかりと持って生きているもので、
それは人によって違うもの。
たとえば、
「バカ」という言葉には何とも思わなくても
「アホ」という言葉には
何故だか分からないけど怒りがこみ上げてくる人だっているでしょうし、
その逆だってあります。
以前の僕であれば、その逆鱗は
理不尽な言動、人を裏切る行為、平気で他の人を蹴落とすことに対して
必要以上に怒りが沸いてきて
我を忘れたかのように理性を失い
相手が誰であろうが、よくケンカをしていたものです。
裏を返すと、
僕は、それだけ人を裏切ることが大嫌い。
理不尽なことも大嫌い。
「自分だけが。。。」という人も大嫌い・・・だったのでしょう。
今でも、それらが好きではありませんが
以前ほど怒ることもなくなりました。
でもそれは、自分の信念を無くした・・・という訳ではありません。
世の中、皆、それぞれが
それぞれの価値観を「良し」と思って生きています。
だから、僕は自分が良しと思う道を進めばいいだけであって
必要以上に
相手に自分の価値観を押し付けたり、干渉することもないのかな・・・と
穏やかに考える自分がいます。
そう思っていると、「くだらない」と思えることに
いちいち目くじらを立てて怒ることも少なくなりました。
きっと、今後も僕の逆鱗は
何かのきっかけで
弾けることもあるかも知れませんが、
それはそれで良いのではないでしょうか。
嬉しさも、楽しさも、悲しさも、怒りも・・・
全てが僕の人生の経験に必要なことですからね
僕は生まれながらにして
とても繊細な「逆鱗」を持っています。
だけど、これからも
この「逆鱗」を大切に持ち続けて
自分の信念をまっすぐ、だけど柔らかに、
貫いていきたいと思っています
みなさんも、
ご自身の名前の由来、
一度、じっくり考えてみるのもいいかも知れませんね
なんだか、ヘンテコな関係ですが、
命名してくれたお寺の住職である叔父は
姓名判断の分野にも長けていたのでしょう。
「竜」が力強く天に昇るように
「規則正しく」、まっすぐな信念を持って生きてほしい・・・。
きっと、そのような想いが込められているのだと思います。
この名前のお陰でしょうか・・・。
たった30年の人生ですが、
僕は命に関わるような色々な災難を無事に潜り抜けてくることができました。
その例を書き出したら
子供の頃の病気のことから始まり
数々の交通事故など
枚挙にいとまがないくらい多すぎて
自分でもビックリしてしまいます

ここ数年の出来事では
真冬の凍結した山の雪道を車で走行中、
スリップして20mの崖下に何度も回転しながら転落。
頑丈なジープ型の車は大破したのですが
僕は傷1つなく全く無事だったんです。
今、思い返してみても
命を落としていたであろう・・・と感じるくらい
ひどい事故で、どうして無傷だったのか
「???」だらけなくらい・・・

だから、いざという時の運は、
とても強いのだと実感しています。
十二ある干支のうち、
架空の動物は「龍」、つまり辰年だけ。
「辰年はもともと生まれ持った運の強さがあるのだ・・・」と
命名してくれた叔父に聞いたことがあります。
そして、こんなことも話してくれました。
「逆鱗に触れる」という言葉があるけれど、
その逆鱗って、
龍のウロコの中で一枚だけ逆さを向いているものがあり、
そのことを指す。
そして、その逆鱗を触ると
龍は怒り狂ったように暴れ出すことから、この言葉が生まれたんだよ。
つまり、人間、誰の心の中にでも「逆鱗」があって
それを触れられると
我を失うくらい怒ったり、反発したりするものがある。
逆に言えば、それは
その人が自分なりの信念を持って生きている証拠なんだろうね。
ちょうど僕が
理不尽な出来事や納得できない出来事ばかりが続いて悶々と過ごし
人と対立ばかりしていた時期に聞いた言葉だったので、
とても心の奥底に響き渡りました。
そう、人間、それぞれの「逆鱗」、
つまり信念や生き様をしっかりと持って生きているもので、
それは人によって違うもの。
たとえば、
「バカ」という言葉には何とも思わなくても
「アホ」という言葉には
何故だか分からないけど怒りがこみ上げてくる人だっているでしょうし、
その逆だってあります。
以前の僕であれば、その逆鱗は
理不尽な言動、人を裏切る行為、平気で他の人を蹴落とすことに対して
必要以上に怒りが沸いてきて
我を忘れたかのように理性を失い
相手が誰であろうが、よくケンカをしていたものです。
裏を返すと、
僕は、それだけ人を裏切ることが大嫌い。
理不尽なことも大嫌い。
「自分だけが。。。」という人も大嫌い・・・だったのでしょう。
今でも、それらが好きではありませんが
以前ほど怒ることもなくなりました。
でもそれは、自分の信念を無くした・・・という訳ではありません。
世の中、皆、それぞれが
それぞれの価値観を「良し」と思って生きています。
だから、僕は自分が良しと思う道を進めばいいだけであって
必要以上に
相手に自分の価値観を押し付けたり、干渉することもないのかな・・・と
穏やかに考える自分がいます。
そう思っていると、「くだらない」と思えることに
いちいち目くじらを立てて怒ることも少なくなりました。
きっと、今後も僕の逆鱗は
何かのきっかけで
弾けることもあるかも知れませんが、
それはそれで良いのではないでしょうか。
嬉しさも、楽しさも、悲しさも、怒りも・・・
全てが僕の人生の経験に必要なことですからね

僕は生まれながらにして
とても繊細な「逆鱗」を持っています。
だけど、これからも
この「逆鱗」を大切に持ち続けて
自分の信念をまっすぐ、だけど柔らかに、
貫いていきたいと思っています

みなさんも、
ご自身の名前の由来、
一度、じっくり考えてみるのもいいかも知れませんね

Posted by 山野本 竜規 at 02:54
│プライベート