RBCアナウンサー山野本竜規の「ナカトリモチ日記」

神社の神職は神と人との間を取り持つ「ナカトリモチ」。 神職資格を持つRBCアナウンサー山野本竜規が、仕事の 裏側からプライベートまで日々の出来事を皆さんにお届けします。
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2006年07月11日

物がない家。

物がない家。 物がない家。
写真は僕の家の中です。
タイトル通り、自分でもキョロキョロビックリキョロキョロするくらい物がありません・・・。

今の家には生活で必要な最低限のものしか置いていません。
たとえば、冷蔵庫や電子レンジ、小さな食器棚、同じく小さな本棚、
テレビ、洗濯機、一人用のテーブル。
大きな家財道具といえば、そのくらいで、
あとはただ単に部屋のスペースを持て余してるだけ。
とにかくスッキリしすぎるくらい物がないんです汗

物がない家。相棒は、約8年連れ添っている、この観葉植物ふたば →  →  →  →  → 今まで、色々な観葉植物を部屋のあちこちに置いたり、
引越しする度に新しいものを買い換えたりしたけれども
どれも長くて2~3年で枯れてしまい、
植物育てるのも大変だなぁ~と思っていたのですが、
この植物だけは、何度引越しをしようとも、
そしてどんな場所に行っても、ずっと元気でいてくれるんですキラキラ ふたばキラキラ 
そんなこんなで、とうとう本土から海を渡って
沖縄でも一緒に生活することになりました♪
これからもヨロシクね~GOOD

さっ、植物の話はさておき、このあまりの物のなさに
僕の家を訪れた友人からは「殺風景すぎる!」と怒られてしまうし、
実際、その友人が僕の家に来ても何もなさ過ぎて居場所がなく落ち着かなかったそうで、
「ここにソファー置いて、あっちの部屋にはベッドを置いて・・・」と
あれこれ部屋のコーディネートの仕方を教わったものの・・・。

結局は、ベッドを置くのも「場所を取るので邪魔だ!」と思ってしまうし、
(根っからの布団派なのですチョキ
ソファーは「あったらあったで便利だろうな・・・」と少しだけ心が揺らぐも、
運ぶのも面倒だし、そこまで必要だと現段階では思っていないので
未だに買わず仕舞い・・・。

何故、ここまで物に執着がないのか、
そして飾り立てることにあまり興味がないのか、
それまで深く考えたことがなかったのですが
伊勢で生活をしていた時、なんとな~くその答えのヒントが分かった
出来事があったのを思い出しました。

当時、会う人、会う人、思い出せないくらい大勢の人に
同じ事を言われていたんですよ・・・。

物に執着がないのは、心に迷いがない証拠です!!!

三重県・伊勢市は、
「日本人の心の故郷」と言われ、江戸時代には誰もが
「一生に一度はお伊勢参りをしたい」と思う憧れの場所だったんです。
目指す場所は伊勢神宮。
まるで街全体が神域のような、神社と森と川以外、
ほとんど何もない街です。
だけど僕は、何故だか分かりませんが、この街がとても気に入っていました。

物がない家。 物がない家。

僕はそこで神社神職の資格を取得するための勉強をしていたのですが、
やっぱり街全体が神域のようなものなので
全国各地から色々な見えない世界!?とチャンネルがつながる人たちが
集まってくるんです。

物がない家。

僕は勉強が休みの日は、よく神社を散歩したり、街を散策したり、
お正月の忙しい時期はずっと伊勢神宮内で奉職しっぱなしだったので
そういう人たちと遭遇する確率が非常に高く、
これまたどういうワケか、そういう人たちがよく話しかけてくるんですよ。
そして、必ずそういう人たちに言われていたのが、先ほどの言葉。

物がない家。

そういう人たちから僕を見た場合、
どうやらすぐに「神社の人間だ!」ということが分かる人が多いらしく、
開口一番、「あなたの心には迷いがないですね!」と言われることが
ほとんどでした。

いやいや、当の本人は、
「今日の晩ご飯、何食べようかなぁ~食事」から始まり
「この先、どんな人生になるんだろうな・・・ダッシュ」という
ちょっと深刻な迷いまで心の中では色々渦巻いているはずなのですが、
言われてみれば、そのような、
考えたところで今何かが変わるわけではない無駄なことは面倒になって
すぐに「なんとかなるんじゃないっ♪」と開き直ってしまう癖があったんです。

将来のことをしっかり考えるのはとても大切なことですけど、
あまり深刻に考えすぎて思い悩むよりも
今の時間をしっかり過ごすことのほうが、
なんとな~く時間を愛おしく思って使っている感じがしませんか?

だけどそれは、
「今が楽しけりゃいいやっ!」という刹那主義的な考え方ではなく、
もっと深い意味で
「出来る限りの挑戦はしてみて、あとは自然の流れにお任せします!」という
ある種、潔いよい、とてもラク~な生き方。

まっ、出来る限りの挑戦が全部できたワケではないんですけど、
僕は今まで、そうやって生きてきました。

そのことが、家に物がないのと何の関係があるのか???という
疑問が出てきますけど、伊勢時代に見聞きした情報によると、
家の中って、その人の心の状態を怖いくらい表している 」そうなんです。

物がない家。

なるほど、それも一理あるな・・・と思いました。
物がない僕の家でも、
ゴチャゴチャと洗濯物や新聞やらが散らかり始めたら
それは、「心に余裕が無くなっている」時期だったり、
逆にスッキリ整理整頓されていれば
日常生活もスッキリして迷いがない・・・という見方も出来ますよね。

逆のことを考えれば、
イライラして、心に余裕がなくなった時や
色々なことに集中できないでいる時は部屋をスッキリさせれば
物事もスムーズに進むのではないかな・・・と思っています。

人間って不思議なもので、
そういう見えないバイオリズムみたいなものを体で感じているようで
学生時代、試験勉強がはかどらず、切羽詰まった状態の時に限って
ムショ~に部屋の掃除をしたくなったり・・・ということってありませんでしたか?

神社での生活の基本は、朝起きたら先ず掃除なんです。
蒸し暑い夏だろうが、寒い冬だろうが、毎日同じことの繰り返しで
人一倍、面倒臭がり屋の僕は
「昨日も同じところ掃除したのに・・・」とついつい思ってしまうこともありましたが、
これには、先人の尊い教えがしっかり詰まっているんですよ。

「掃除をすることによって、自分の心を見つめ直すという心の掃除もしているんだ。
そして、その新鮮な気持ちで新しい一日を過ごさなければいけないな・・・」と
自分なりに解釈していました。

世の中広いし、色々な考え方の人がいて当たり前なので
どの考え方が正しいってことも言えないし、どの考え方も間違いではないのですが、
僕自身、この伊勢時代の体験って、
今振り返ってみると本当に貴重だったなぁ~と感じています。

僕は、所謂、今流行りの「スピリチュアルな世界」については
神社の人間なので、「あってもおかしくはないなぁ~」と思っていますが、
かといって、全てを鵜呑みにしているワケではありません。
沖縄にも有名!?な格言がありますよね。
病気の時は「医者半分、ユタ半分」でしたっけ???

僕は、現実社会を生きている生身の人間なので、
楽しいことも、嬉しいことも、逆に辛いことも、悔しいことも、悲しいことも
全てを経験して迷いながらも一歩一歩前へ進むことに
生きている意義があると思っています。

きっと、僕の今の心境は、色々な不安はあるにせよ、
自分の信じる道をまっすぐに進んでいるスッキリした状態なんでしょうね。
だからこそ、部屋には余計なものが何もない・・・汗
伊勢時代の経験を信じたいと思っています。

だけど、もっと良い部屋のコーディネートの方法、
快適な過ごし方があったらどんどん取り入れたいので
今度時間があるときにでも家具屋さんに立ち寄ってみようかと思っています♪

みなさんの家の中は、どんな状態ですか?


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Posted by 山野本 竜規 at 02:29│Comments(0)スピリチュアル&神社
 
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