2008年10月20日
逃げる人。
北中城村の高台にあるフレンチレストラン、
グラン・ブルーで夜遅くまでユンタク三昧。
景色が最高に良くて
料理も値段の割にボリュームがあって美味しい
カジュアルなレストランなので
おススメですよ~

それにしても、本当に楽しかったです

ユンタクは、レストランだけでは止まらず、
那覇に戻って
深夜まで営業しているコーヒーショップで
更に盛り上がり・・・。
いやぁ~、やっぱり、
色々な価値観を共有できる
心の友たちと過ごす時間は
良いものですねぇ~。
ここ最近、普通の霊視依頼とは別に
「知人や身内が変になってしまった・・・。」という
緊急のSOSを発する
霊視相談依頼が頻発していて
ちょっと疲れ気味だったので
心友たちとのユンタクは、
心の救いになりましたね~。
季節の変わり目だからでしょうか・・・。
必ず春や秋になると、
「変なものが視える、聞こえる」と
騒ぎ立てる人が続出して
それに翻弄される周囲の人が
僕のところに駆け込んでくるような出来事が
毎年の恒例になってきています。
先週だけでも、そのような相談依頼が6件。
ある方は、
「神様の声が聞こえるから眠れない・・・。
どうすれば、これは、収まるのでしょうか・・・。」と
真剣に悩んでおられるようでしたが、
霊的世界の通訳をさせて頂いている
僕が言うのも変な話ですが、
人間に、神様の声なんて
聞こえるはずがありません。
何故なら、僕たち人間に、
偉大な大自然のエネルギー体である
尊い「神」と呼ばれる声は、
あまりにも神々しくて偉大すぎて
直接には届かないものだからです。
その大自然のエネルギーの意思を伝えるために、
中継ぎ役のエネルギー体が存在し、
その中継ぎを幾度となく経て
僕たちのような霊的世界の通訳に
メッセージが伝えられます。
でも、その上の上の上の、遥か上には
大自然の偉大なメッセージを伝える
この世で「神」と呼ばれるエネルギー体の存在と
しっかり繋がっているのも事実です。
「神の声が聞こえた」という霊能者や、
自称・霊感の強い人は、沢山います。
でも、正確に言えば、
それは神の声ではなく、
その声を、メッセージを
何度も何度も他の見えない
エネルギー体が中継ぎをして、
人間が感知できる程度のレベルに
合わせて伝えられたものです。
神の声を直接聞けるほどの魂であれば、
この世に、人間として
存在することはありませんから・・・。
そして、その感度も、
受け取るメッセージも
全てその人の人間性、
魂の質によって変わってくるものです。
だからこそ、
霊能者というのは、霊的世界の勉強もさることながら
その能力以上に、
人間性を一番、大切にしなければいけないのですが、
残念ながら、ここの部分が
欠けている人も多く見受けられます。
「神の声が聞こえた、視えた」と
騒ぎ立てて、
悩んでいるはずなのに、
どこか自慢げに話すような人は、
ただの妄想か、
同じ低い波長に同調した
未浄化霊や低級霊の声を聞いて
「神のメッセージ」と勘違いしているのでしょう。
そして、そういう人に限って
現実逃避をする癖があります。
定職に就かなかったり、
ひきこもりだったり、
対人関係や夫婦生活に悩んでいたり・・・と
何かしらのストレスを抱えている方が
現実逃避の手段の一つとして選ぶのが
「視えた、聞こえた」と騒ぐような
言動に繋がる場合が多いんです。
勿論、生きていれば、
誰だって、同じような問題にぶつかり、
悩むものですし、
真っ当な人であれば
迷いながらも、悩みながらも
それを一歩、一歩、乗り越えて
逞しくなっていくものです。
だけど、心が弱い人というのは
現実の生活では、
自分に自信がないから
視えない世界に頼って
「私は特別。」「他の人とは違う能力がある。」と
思い込んで
なんとか、自分自身を守ろうとするケースが
多いような気がします。
これまでの霊視相談で出会った
自称・霊感の強い人、
自称・ユタになるべきとお告げがあった人、
自称・視えないものが聞こえる、視えると騒ぐ人、
その9割近くが
ただの現実逃避から
虚言、妄想をするような
自分の人生から「逃げる人」でした。
「私は、霊感が強いので
やっぱり霊能者、ユタになるべきでしょうか・・・。」と
もっともらしい相談を
僕のところに持ちかけてこられる方とも
これまで大勢接してきましたが
ハッキリ言って、
そんな下らないことを言っている暇があったら、
現実の生活と
しっかり向き合う努力をしたほうが
よっぽど魂の研鑽になると思うのです。
というより、
目の前にある生活すら
まともにできないような人に
霊的世界の通訳なんて、
絶対に務まりませんし、
中途半端にやるべきことではありません。
そういう人は、
「視える、聞こえる」と騒ぎたてて
神懸かったかのような言動をとったり、
意味不明な言葉を発するような
ケースも多いのですが、
それは、何かが憑いているのではなく
意識していようが、無意識だろうが、
「私を分かって!」「この心の辛さに気付いて!」
という心情を
別の表現方法で、パフォーマンスとして
演じている場合がほとんどです。
だから、周囲にいる方は、
その言動に翻弄されてはいけません。
「何かが視える、聞こえる!!!」
そう言って、その人が奇行を取り始めたら
「あぁ、そうねぇ~。」と
軽く受け流す程度で十分。
たとえ、失神するような
過度なパフォーマンスだとしても
命を取られるようなことなんて
ありません。
根本は、「私を分かって欲しい!」
「現状を打開したいけど、
今の情けない自分を認めたくない!」と
心の中で
悲鳴を上げているだけなのですから・・・。
その心情は、本当に辛いものです。
思い通りの自分になれない、
惨めな自分を認めるのも怖い・・・。
これほど、切なく、大変な心の状態でいれば
誰だって、現実から逃げたくなるのも
十分、理解できます。
だけど、どんな惨めな自分であったとしても
それを受け止めないことには、
何も始りません。
どんな人生であったとしても
最後まで生き抜くことに
この世を生きていく意義があるのですから
惨めな想い、もどかしい想いも、
魂が成長するためには
立派な糧となるはずです。
だから、周囲の人は、
その辛い心情に想いを馳せることはできても、
決して、過剰に反応したり、
心配したりしてはいけないのです。
あくまで平然と、
毅然とした態度で接するのが
本当の優しさ。
逃げる人というのは、
それだけ、心の辛さを抱えた人です。
だけど、いつまでも
逃げてばかりはいられませんし、
最終的には、自分自身で
立ち上がるしかありません。
僕が、うつ病の方や、
現実逃避ばかりしている方の
霊視依頼を一切お受けしないのは、
そういった理由からなのです。
今は逃げている人でも、
いつか、必ず、立ち止まって
現実を直視しなければいけない
時期が訪れます。
だから、辛いかも知れませんが
見守る側の方も、
逃げる人自身も、
もっと、おおらかに、
流れのままに生きていきましょう。
逃げる人も、また、
大きな愛情を学ぶための
通過点にいるだけなのですから・・・
*注*
このブログのメッセージ欄を通して、または会社の電話を通しての
霊視や個人セッション、勉強会の申し込み、質問、要望等は
一切受け付けておりませんので、どうぞ、ご了承下さい。
那覇に戻って
深夜まで営業しているコーヒーショップで
更に盛り上がり・・・。
いやぁ~、やっぱり、
色々な価値観を共有できる
心の友たちと過ごす時間は
良いものですねぇ~。
ここ最近、普通の霊視依頼とは別に
「知人や身内が変になってしまった・・・。」という
緊急のSOSを発する
霊視相談依頼が頻発していて
ちょっと疲れ気味だったので
心友たちとのユンタクは、
心の救いになりましたね~。
季節の変わり目だからでしょうか・・・。
必ず春や秋になると、
「変なものが視える、聞こえる」と
騒ぎ立てる人が続出して
それに翻弄される周囲の人が
僕のところに駆け込んでくるような出来事が
毎年の恒例になってきています。
先週だけでも、そのような相談依頼が6件。
ある方は、
「神様の声が聞こえるから眠れない・・・。
どうすれば、これは、収まるのでしょうか・・・。」と
真剣に悩んでおられるようでしたが、
霊的世界の通訳をさせて頂いている
僕が言うのも変な話ですが、
人間に、神様の声なんて
聞こえるはずがありません。
何故なら、僕たち人間に、
偉大な大自然のエネルギー体である
尊い「神」と呼ばれる声は、
あまりにも神々しくて偉大すぎて
直接には届かないものだからです。
その大自然のエネルギーの意思を伝えるために、
中継ぎ役のエネルギー体が存在し、
その中継ぎを幾度となく経て
僕たちのような霊的世界の通訳に
メッセージが伝えられます。
でも、その上の上の上の、遥か上には
大自然の偉大なメッセージを伝える
この世で「神」と呼ばれるエネルギー体の存在と
しっかり繋がっているのも事実です。
「神の声が聞こえた」という霊能者や、
自称・霊感の強い人は、沢山います。
でも、正確に言えば、
それは神の声ではなく、
その声を、メッセージを
何度も何度も他の見えない
エネルギー体が中継ぎをして、
人間が感知できる程度のレベルに
合わせて伝えられたものです。
神の声を直接聞けるほどの魂であれば、
この世に、人間として
存在することはありませんから・・・。
そして、その感度も、
受け取るメッセージも
全てその人の人間性、
魂の質によって変わってくるものです。
だからこそ、
霊能者というのは、霊的世界の勉強もさることながら
その能力以上に、
人間性を一番、大切にしなければいけないのですが、
残念ながら、ここの部分が
欠けている人も多く見受けられます。
「神の声が聞こえた、視えた」と
騒ぎ立てて、
悩んでいるはずなのに、
どこか自慢げに話すような人は、
ただの妄想か、
同じ低い波長に同調した
未浄化霊や低級霊の声を聞いて
「神のメッセージ」と勘違いしているのでしょう。
そして、そういう人に限って
現実逃避をする癖があります。
定職に就かなかったり、
ひきこもりだったり、
対人関係や夫婦生活に悩んでいたり・・・と
何かしらのストレスを抱えている方が
現実逃避の手段の一つとして選ぶのが
「視えた、聞こえた」と騒ぐような
言動に繋がる場合が多いんです。
勿論、生きていれば、
誰だって、同じような問題にぶつかり、
悩むものですし、
真っ当な人であれば
迷いながらも、悩みながらも
それを一歩、一歩、乗り越えて
逞しくなっていくものです。
だけど、心が弱い人というのは
現実の生活では、
自分に自信がないから
視えない世界に頼って
「私は特別。」「他の人とは違う能力がある。」と
思い込んで
なんとか、自分自身を守ろうとするケースが
多いような気がします。
これまでの霊視相談で出会った
自称・霊感の強い人、
自称・ユタになるべきとお告げがあった人、
自称・視えないものが聞こえる、視えると騒ぐ人、
その9割近くが
ただの現実逃避から
虚言、妄想をするような
自分の人生から「逃げる人」でした。
「私は、霊感が強いので
やっぱり霊能者、ユタになるべきでしょうか・・・。」と
もっともらしい相談を
僕のところに持ちかけてこられる方とも
これまで大勢接してきましたが
ハッキリ言って、
そんな下らないことを言っている暇があったら、
現実の生活と
しっかり向き合う努力をしたほうが
よっぽど魂の研鑽になると思うのです。
というより、
目の前にある生活すら
まともにできないような人に
霊的世界の通訳なんて、
絶対に務まりませんし、
中途半端にやるべきことではありません。
そういう人は、
「視える、聞こえる」と騒ぎたてて
神懸かったかのような言動をとったり、
意味不明な言葉を発するような
ケースも多いのですが、
それは、何かが憑いているのではなく
意識していようが、無意識だろうが、
「私を分かって!」「この心の辛さに気付いて!」
という心情を
別の表現方法で、パフォーマンスとして
演じている場合がほとんどです。
だから、周囲にいる方は、
その言動に翻弄されてはいけません。
「何かが視える、聞こえる!!!」
そう言って、その人が奇行を取り始めたら
「あぁ、そうねぇ~。」と
軽く受け流す程度で十分。
たとえ、失神するような
過度なパフォーマンスだとしても
命を取られるようなことなんて
ありません。
根本は、「私を分かって欲しい!」
「現状を打開したいけど、
今の情けない自分を認めたくない!」と
心の中で
悲鳴を上げているだけなのですから・・・。
その心情は、本当に辛いものです。
思い通りの自分になれない、
惨めな自分を認めるのも怖い・・・。
これほど、切なく、大変な心の状態でいれば
誰だって、現実から逃げたくなるのも
十分、理解できます。
だけど、どんな惨めな自分であったとしても
それを受け止めないことには、
何も始りません。
どんな人生であったとしても
最後まで生き抜くことに
この世を生きていく意義があるのですから
惨めな想い、もどかしい想いも、
魂が成長するためには
立派な糧となるはずです。
だから、周囲の人は、
その辛い心情に想いを馳せることはできても、
決して、過剰に反応したり、
心配したりしてはいけないのです。
あくまで平然と、
毅然とした態度で接するのが
本当の優しさ。
逃げる人というのは、
それだけ、心の辛さを抱えた人です。
だけど、いつまでも
逃げてばかりはいられませんし、
最終的には、自分自身で
立ち上がるしかありません。
僕が、うつ病の方や、
現実逃避ばかりしている方の
霊視依頼を一切お受けしないのは、
そういった理由からなのです。
今は逃げている人でも、
いつか、必ず、立ち止まって
現実を直視しなければいけない
時期が訪れます。
だから、辛いかも知れませんが
見守る側の方も、
逃げる人自身も、
もっと、おおらかに、
流れのままに生きていきましょう。
逃げる人も、また、
大きな愛情を学ぶための
通過点にいるだけなのですから・・・

*注*
このブログのメッセージ欄を通して、または会社の電話を通しての
霊視や個人セッション、勉強会の申し込み、質問、要望等は
一切受け付けておりませんので、どうぞ、ご了承下さい。
Posted by 山野本 竜規 at 05:56
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