RBCアナウンサー山野本竜規の「ナカトリモチ日記」

神社の神職は神と人との間を取り持つ「ナカトリモチ」。 神職資格を持つRBCアナウンサー山野本竜規が、仕事の 裏側からプライベートまで日々の出来事を皆さんにお届けします。
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2008年05月13日

熊野回顧。

今回、久しぶりに訪れた熊野三山。
写真は、僕が個人的に大好きな
大斎原(おおゆのはら)という場所で
もともと熊野本宮大社があった場所。

世界遺産に認定されて
あり得ないほど観光客が増えた熊野本宮ですが
この場所を知る人は案外少なく
僕は、いつもここで1時間位は
のんびり過ごしています。



大斎原は、清流・熊野川のすぐそばにあって
明治時代までは、ここが熊野本宮大社の建物があったのですが
大洪水によって、そのほとんどが流されてしまい、
本宮の建物は、その場所から
ほんの少し離れた高台に移されました。

大斎原は、今は、ひっそりと
その面影を残しています。

まるで、沖縄の御嶽(うたき)のように
建物がない聖地そのもの。

僕が前回、熊野本宮を訪れたのは
世界遺産に登録されたすぐ後だったので
やっぱり人は多かったのですが、
今回、改めて熊野本宮へ行ってみると、
ちょっと残念な気持ちになりました。

本宮の境内って、
本当に神聖で神々しい空気が漂っているはずなのに
昼間は、観光客でごったがえしているし、
怪しい宗教団体の人たちが
お経か祝詞のようなものを唱えながら
拝殿前を陣取っているし、
とにかく、以前の熊野本宮のエネルギーとは
まったく違っていました。

僻地に人が訪れるのは、それはそれで良いことだと思いますが
やっぱり、ここは、僻地にある聖地。

あまりにも汚れた人のエネルギーが
境内に充満していたので、ささっと参拝を済ませて
逃げるように、
川沿いの大斎原まで下りて行きました。

熊野回顧。

あれだけ、わんさかいた人たちも
たった5分歩いたところにある
大斎原には、全く関心を示していないようで
僕が行った時は、
誰一人として参拝者はいませんでした。

ちょっと残念な気持ちで、
大斎原の建物があった拝殿前で参拝を終えると、
どこからともなく、温かいエネルギーが流れてきて
ゆっくり語りかけてきます。

「昼ではなく、朝に来られよ。」

そう、昼間は、あまりにも人が多くて
たとえ神聖な神社の境内だとしても
いつもよりは、エネルギーも汚れてしまうものです。

特に「熊野古道」で有名になった熊野三山は
連日、多くの人が訪れるようになったので
これまでのような参拝方法だと
逆に疲れてしまう・・・ということを、すっかり忘れていました。

そして、今朝、日が昇ると同時に
もう一度、熊野本宮大社に参拝に出かけると
いつもの、あの、
神々しいエネルギーに満ち溢れた境内に戻っていました。

熊野回顧。

夜に雨が降ったので、空気も澄んでいて
新緑の季節にふさわしい青々とした森の匂いが漂い、
太陽の光が降り注ぎ、
とても穏やかで、おおらかな熊野本宮大社の境内。

この厳かなエネルギーが流れる場所を
独り占めです。

ゆっくり参拝を終えて、少しのんびりして
参道を下り、鳥居を出たところで
ようやく、次の参拝客の観光バスが到着したので
「こういうタイミングって絶妙だな・・・」と
感謝の気持ちでいっぱいになりました。

神社参拝は、
しないより、したほうが良いに決まっています。

だけど、何度も言いますが、
神社という場所は
必死な形相で、個人的なお願い事をする
都合の良い場所ではありません。

日々の生活の反省をする場所です。

自分の心をしっかり見つめ直し、反省して
次へ進むためのエネルギーチャージの場所です。

自分を変える努力もせずに
「神様、どうか、お願いします!」と神頼みをしたところで、
そして、
怪しい宗教団体が拝殿前を陣取って
必死な形相で祝詞やお経を唱えたところで
大自然のエネルギーに、
その一方的な想いが届くはずもありません。

そんなご都合主義の人たちのために
神社は存在するのではありません。

今回、大斎原で、温かいエネルギーたちの語りを聞いていると
「人はいかに、自分のことだけしか考えていないのか。」
「もっと、周囲に目を向け、自然に目を向け、
 平和に目を向ける人間が増えて欲しい・・・。」と
しきりに語りかけてこられましたよ。

大自然は、本当に色々なことを教えてくれます。

今回の熊野訪問では、
世界遺産人気で汚れてしまったエネルギーを垣間見て
複雑な心境にもなりましたが、
こういった悪い流れさえ、しっかりと受け止め
良いエネルギーを発し続ける大自然の偉大さに
改めて心打たれました。

人は本当に、身勝手なものです。

だけど、そんな身勝手な人たちが
少しずつでも周囲の人のことを思いやり始めたら
きっと、本来持っていた
清々しいエネルギーに満ち溢れた
別人に変わっていくことでしょう。

神社という聖域は、
個人的な願い事を必死にする場所ではありません。

日々の生活の反省、今後の目標を掲げて努力するように
気持ちを切り替える場所です。

どうぞ、みなさんも勘違いなさらず、
聖域での身の置き方を、もう一度考え直して下さい。





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Posted by 山野本 竜規 at 17:23 │スピリチュアル&神社