2008年03月04日
陰陽師だった。

脈略もなく感じることがあります。
年に一度は、必ず伊勢に戻りたくなるのも、
そして日本庭園を眺めてボ~っとしたくなるのも
「和」の心が、しっかり僕の中に根付いているからです。
特に、伊勢、奈良は、僕が大好きな街。
古い神社仏閣や遺跡以外は、特に何もないのですが
とてもホッとするのは何故なんでしょう・・・。
僕は霊能者として、
過去世の話を興味本位だけで取り上げるのは控えていますが
伊勢や奈良は、僕の魂のルーツでもあるので
ほんの少しだけ、ご紹介しておきましょう。
皆さんにも経験があるかと思いますが、
日本国内にしても、海外にしても、
初めて行った場所なのに、何故だか懐かしく感じたり
なんとなく地理が分かったり、
とても居心地が良くて、その場所を離れたくなかったり・・・という
不思議な感覚を体感する場合があります。
伊勢にいる時も、そして奈良に行った時も
同じような感覚でした。
でも、僕は、そういったことを感覚として捉えたとしても
あまり深く考えるタイプの人間ではないので
「まっ、自分と相性が合う土地なんだろうな・・・。」という
程度にしか考えていませんでした。
それに、僕は霊能者ではありますが、
自分のこととなると霊視しようにも、
うまく霊的世界とのコンタクトはとれませんし
いちいち過去世だの、魂のつながりだの・・・と結び付けるような
精神世界マニアのような真似はしたくなかったので
敢えて、そのことにも触れずに過ごしてきました。
だって、過去世なんて、人として生まれてきた以上、
幾度となく魂の再生を繰り返している場合が多いので
挙げたらきりがないですし、
僕も必要ならば、霊視相談の相手に
今、一番影響を与えている過去世をお伝えすることがありますが
それも本当に必要な場合のみです。
だけど、今年の1月に東京で
ある霊能者の方とお会いしてお話を聞いたり、
沖縄でも、友達でもある霊能者と
ユンタクしていると
全く接点のない2人が、僕の過去世を見事に言い当てたので
こればかりは、しっかりと向き合わなければいけませんでした。
共通していたのは、
奈良の陰陽師と、伊勢の神職。
まっ、昔から、何度も何度も
同じようなことをやっていた訳です
生活環境も全く違い、接点すらない2人の霊能者が
同じビジョンを見ているのですから
間違いないのですが
奈良時代は、神社仏閣建立の際、
仏像や御神体に魂を吹き込み、街全体に結界を張って
色々な禍から都を守る
呪術系の作業を得意とする陰陽師だったようです。
その話を聞いている最中、
僕も自分の過去世に意識を集中して霊視してみると
ようやく、その様子が見えてきました。
当時、日本の中心だった奈良の都では
疫病や餓えが蔓延していて
神社仏閣を建てることによって
街に結界を張る動きがあったようです。
当時の僕!?自身の本心は、
外国の文化である仏教が入ってくるのは反対だったようですが
「仏像が結界の役割になってくれるのなら、
そして、それで多くの人が救われるのなら・・・」と
とにかく必死に、御霊入れの作業を行っていました。
その念力たるや、凄まじい気迫で
他の者を寄せ付けないほどのパワーを秘めていたそうです。
未だに、「ちょっと近寄りがたい雰囲気」を
醸し出しているのも
もしかしたら、そういった名残なのかも・・・
アナウンサーとしては、損なんだけどなぁ~。
格好は、長い髪に、白装束、
まさに、このナカトリモチ日記の写真のような衣装に
黒い烏帽子(えぼし)を被っています。
きっと、奈良に行くとホッとするのも、
自分自身が命を懸けて守り抜いた地域だったからでしょう。
そして、またまた違う時代。
今度は、伊勢で、神職をやっていました。
僕は歴史的な知識は一切ないので
2人の霊能者の話と
僕自身の霊視で見えたことでしか判断できませんが、
伊勢の神社では、当時、一般的な祭式を担当する神職と、
その裏で、呪術や祈祷をして
大地のエネルギーと交信する
古典的なシャーマンのような神職がいたようで
僕は、後者のほうだったようです。
まっ、過去世においても、
同じようなことをずっとやっているので
今、アナウンサー業の傍ら、
霊能者としての活動をやっていても不思議ではありませんね。
僕は、未だに陰陽師という言葉を聞いても
どういった人たちなのかはピンと来ませんが
見えない何かと交信して、その力を
世のため、人のために使っていたのは事実でしょうから、
そういった魂の記憶が
今の僕の中にも、しっかり刻みこまれているのかも知れません。
きっと、時々、ムショ~に
「和風のもの」に触れたくなるのは、
「あの時の、純粋な心、人のお役に立つという心を忘れないように!」という
自分自身に対するメッセージなのでしょう。
僕が和を求めるのは、
自分が霊的世界の道具であることを
ついつい「大変だな・・・」と感じてしまう時に多いような気がします。
時には、「和」の文化に
どっぷり浸かって、自分を見つめ直してみるのも
僕にとっては良いのかも知れません。
また、時間がとれたら、心の故郷に戻りますね~
*注*
このブログのメッセージ欄を通して、または会社の電話を通しての
霊視や個人セッション、勉強会の申し込み、質問、要望等は
一切受け付けておりませんので、どうぞ、ご了承下さい。
過去世の話を興味本位だけで取り上げるのは控えていますが
伊勢や奈良は、僕の魂のルーツでもあるので
ほんの少しだけ、ご紹介しておきましょう。
皆さんにも経験があるかと思いますが、
日本国内にしても、海外にしても、
初めて行った場所なのに、何故だか懐かしく感じたり
なんとなく地理が分かったり、
とても居心地が良くて、その場所を離れたくなかったり・・・という
不思議な感覚を体感する場合があります。
伊勢にいる時も、そして奈良に行った時も
同じような感覚でした。
でも、僕は、そういったことを感覚として捉えたとしても
あまり深く考えるタイプの人間ではないので
「まっ、自分と相性が合う土地なんだろうな・・・。」という
程度にしか考えていませんでした。
それに、僕は霊能者ではありますが、
自分のこととなると霊視しようにも、
うまく霊的世界とのコンタクトはとれませんし
いちいち過去世だの、魂のつながりだの・・・と結び付けるような
精神世界マニアのような真似はしたくなかったので
敢えて、そのことにも触れずに過ごしてきました。
だって、過去世なんて、人として生まれてきた以上、
幾度となく魂の再生を繰り返している場合が多いので
挙げたらきりがないですし、
僕も必要ならば、霊視相談の相手に
今、一番影響を与えている過去世をお伝えすることがありますが
それも本当に必要な場合のみです。
だけど、今年の1月に東京で
ある霊能者の方とお会いしてお話を聞いたり、
沖縄でも、友達でもある霊能者と
ユンタクしていると
全く接点のない2人が、僕の過去世を見事に言い当てたので
こればかりは、しっかりと向き合わなければいけませんでした。
共通していたのは、
奈良の陰陽師と、伊勢の神職。
まっ、昔から、何度も何度も
同じようなことをやっていた訳です

生活環境も全く違い、接点すらない2人の霊能者が
同じビジョンを見ているのですから
間違いないのですが
奈良時代は、神社仏閣建立の際、
仏像や御神体に魂を吹き込み、街全体に結界を張って
色々な禍から都を守る
呪術系の作業を得意とする陰陽師だったようです。
その話を聞いている最中、
僕も自分の過去世に意識を集中して霊視してみると
ようやく、その様子が見えてきました。
当時、日本の中心だった奈良の都では
疫病や餓えが蔓延していて
神社仏閣を建てることによって
街に結界を張る動きがあったようです。
当時の僕!?自身の本心は、
外国の文化である仏教が入ってくるのは反対だったようですが
「仏像が結界の役割になってくれるのなら、
そして、それで多くの人が救われるのなら・・・」と
とにかく必死に、御霊入れの作業を行っていました。
その念力たるや、凄まじい気迫で
他の者を寄せ付けないほどのパワーを秘めていたそうです。
未だに、「ちょっと近寄りがたい雰囲気」を
醸し出しているのも
もしかしたら、そういった名残なのかも・・・

アナウンサーとしては、損なんだけどなぁ~。
格好は、長い髪に、白装束、
まさに、このナカトリモチ日記の写真のような衣装に
黒い烏帽子(えぼし)を被っています。
きっと、奈良に行くとホッとするのも、
自分自身が命を懸けて守り抜いた地域だったからでしょう。
そして、またまた違う時代。
今度は、伊勢で、神職をやっていました。
僕は歴史的な知識は一切ないので
2人の霊能者の話と
僕自身の霊視で見えたことでしか判断できませんが、
伊勢の神社では、当時、一般的な祭式を担当する神職と、
その裏で、呪術や祈祷をして
大地のエネルギーと交信する
古典的なシャーマンのような神職がいたようで
僕は、後者のほうだったようです。
まっ、過去世においても、
同じようなことをずっとやっているので
今、アナウンサー業の傍ら、
霊能者としての活動をやっていても不思議ではありませんね。
僕は、未だに陰陽師という言葉を聞いても
どういった人たちなのかはピンと来ませんが
見えない何かと交信して、その力を
世のため、人のために使っていたのは事実でしょうから、
そういった魂の記憶が
今の僕の中にも、しっかり刻みこまれているのかも知れません。
きっと、時々、ムショ~に
「和風のもの」に触れたくなるのは、
「あの時の、純粋な心、人のお役に立つという心を忘れないように!」という
自分自身に対するメッセージなのでしょう。
僕が和を求めるのは、
自分が霊的世界の道具であることを
ついつい「大変だな・・・」と感じてしまう時に多いような気がします。
時には、「和」の文化に
どっぷり浸かって、自分を見つめ直してみるのも
僕にとっては良いのかも知れません。
また、時間がとれたら、心の故郷に戻りますね~

*注*
このブログのメッセージ欄を通して、または会社の電話を通しての
霊視や個人セッション、勉強会の申し込み、質問、要望等は
一切受け付けておりませんので、どうぞ、ご了承下さい。
Posted by 山野本 竜規 at 06:03
│スピリチュアル&神社