2007年10月01日
理不尽さの向こうには・・・。
時々、同じような質問メッセージを頂くことがあります。
それは、「あなたは若いのに何故、そこまで霊的世界の真理や
人が何十年かけて理解するはずの心の奥底を見抜けるのですか。」
というもの。
おおよそ、ご年配の方からの質問です。
この質問には、僕、即答できますよ。
それは、若いうちから、
お陰様で他の人よりも少し多めに
世の中の理不尽さというものを、経験させて頂いたから。
勿論、それ以上の経験をされてこられた方々も
大勢いらっしゃるかと思いますが、
その経験から何を学ぶかで、その後は大きく変わってくるものです。
僕の場合はその、有り余るほどの負のエネルギーを早い時期に
上手く、自分の人生の糧として
消化することができたと思っています。
写真は、その理不尽さの渦中にいたときに
いつも心の中で自問自答を繰り返していた神社。
懐かしいなぁ~。
自分の力では、どうすることも出来ない世の中の理不尽さなんて
本当にいくらでもあります。
「なんで、自分だけ?」「なんで、こんなに素直に正直に真っ当に生きてるのに?」
「なんで、あんな嫌な奴が上手くいくの?」「なんで、世の中、平等じゃないの?」
「なんで、この世の中、こんなに理不尽なんだろう・・・」
この「なんで?」という過去の理不尽さがなかったら、
霊能者として、そしてアナウンサーとしての今の僕は、
ここにはいません。
テレビアニメ・一休さんのキャラクターの中に
「どちて坊や」という、何でも疑問を持って
「どちて?」「どちて?」と質問しまくる男の子がいましたが、
僕も、子供の頃から、
この「どちて坊や」と同じだったそうです。
納得いかないことがあると、「なんでや?」と大人たちに対して
質問して、その答えが納得いくまで引き下がらない
厄介な子供だったそうです・・・
そんな子供だったから、
大人になっても「間違ってる」「おかしい」と思ったことは
相手が誰だろうが、どんな偉い人であろうが、お構いなし。
当然、最初の社会人生活は、
人と衝突ばかりで「失敗」してしまいますよね・・・。
夢と希望を持って仕事をやっていこうと
心に決めた新社会人の僕にとっては、
ちょっと辛い出来事でした。
過去に所属していた組織の中で、
人の失敗を皆で寄ってたかって責め立てたり、
責任を取るはずの立場である管理職が
みんなで言い訳をして責任逃れをしたり、
いじめられている人を見てみぬフリをしたり、
かと思えば、
そういった心が下品な人たちが
おおよそ上の立場の役職や、仕事で上手に引き立てられる
いびつな組織の構造に
堪えられなくなった時期がありました。
僕は我慢が出来ないタイプなので、
真正面からぶつかって、衝突ばかりしていたので
トラブルメーカーでもありましたが、
結局、お互い感情的になるばかりで
何の解決策にもならないし、雰囲気も良くなるはずありませんよね・・・。
子供に「いじめはいけない」と教えながら
大人である側の社会の構造が、このようなものだから
そりゃ、前途有望なはずの
子供や若者だって心が歪んでくるのも当たり前。
「仕事自体は大好きだけど、きっと、このままこの場所にいたら、
僕自身の心が歪んでダメになってしまう・・・」
そう感じたのと、やるべきことは、やり尽くした・・・という想いから、
一度目の転職を決意した次第です。
とことん戦い抜いたので、ほとんど悔いはありませんでしたが
唯一、納得いかなかったのが、やっぱり
「世の中、なんで、こんなに理不尽なんだろう・・・」という想い。
「正しいことを、正しい」と言って、なんで通用しないんだろう・・・。
そういった強い想いが残っていたので、
色々な本を読んだり、人の話しを聴いたり、専門の勉強をしてみたり・・・と
とにかく必死でした。
あれから、もう何年も経っていますが
今の僕が同じ立場、同じ環境にいるとしたら、おそらく昔のように
強く反発もしなければ、かと言って、見て見ぬフリもしないでしょう。
ただ、もっと、穏やかに楽しく仕事ができる方法を見出して
のんびりやっていると思います。
なんで、そんな悠長に構えることができるようになったのか・・・。
やっぱり、霊的世界からの声をしっかり理解できる
心の基礎ができたからだと思います。
基本的に僕は、他の人のことを
霊的世界からのメッセージを通して理解できても
自分自身のことは、ほとんど分かりません。
・・・というより、教えてもくれません。
いくら自分の人生で迷って霊的世界の人たちに尋ねても
「うまくいくときはいく。いかないときはいかない。」という
シンプルなメッセージしか伝えてもらえません。
だから、その点に関しては、霊視が出来る霊能者であったとしても、
思い、悩みながら自分の人生を歩もうとする
皆さんと何も変わりないんです。
だけど、ひとつ、違うことがあるとしたら、
それは、霊的世界を知ることによって見えてくる
「人の生き方」や「考え方」が随分変わってくる・・・
ということでしょうか。
「世の中、なんでこんなに理不尽なことだらけなんだろう・・・」
昔、あれほどまでに疑問に感じて、許せなかった
「理不尽さ」というものも、
実は、そこまで忌み嫌うものでもなかったんです。
ある時、同じように感じている方から仕事の相談を受け、
その方の霊視を通して
僕も霊的世界から教えてもらったことがあります。
人の魂は、その魂の質を上げるために何度もこの世に生まれ変わるそうです。
何故、何度も生まれ変わるのか・・・。
それは、最終的に1つの大きな光(霊的世界)の一部になるため。
この世に生まれれば、皆「個」というものを持つが、
向こうの世界では、みんな1つなんだそうです。
そういった1つの光の塊の集団(グループソウル)が無数にあり、
その無数の集団も、やがて、もっと大きな1つの光になるべく
生まれ変わりを繰り返し、魂を磨いていく・・・。
そして、この世に生まれると、
その中で理不尽さや、思い通りにいかないことを通して
魂は悩み、苦しんで、その結果、キレイに磨かれるものだそうです。
もちろん、途中で挫折してしまう魂も中にはいるけど、
理不尽さを学ぶことは、人が生きていく上で、誰もが避けて通れない
1つの難関だと思って頂ければ、
少しは「理不尽さ」の理由がご理解頂けますでしょうか。
この世の中に、良い人だけではなく、
「こんちきしょうっ!!!」と思える人がいたり、
そういう人たちが権力を持っている場合が多いのも、そのためだそうです。
そして、何より、人は誰でも過去を遡れば、
同じように人に迷惑をかけて、そして、かけられながら成長し合ってきているので
遠くて長い魂の生まれ変わりの歴史から見れば、
「どんな人の魂でも、みな、平等だ・・・」とのこと。
もし、この世のことだけ、今のことだけを見つめていれば、
そりゃ、納得もいかないし、腹も立つし、
「世の中、理不尽で不公平だっ!!!」と生きている間中、
ずっと恨みつらみの辛い心で生活する悲しい人生になってしまいます。
こういったことを理解するのには、かなりの時間を要すると思います。
勿論、霊的感性が優れている理解力のある方や
魂が成熟している方であれば、
すんなり受け止めることができるものですが
なかなか、普通に、これを受け止めるとなると大変だと思うから。
僕自身、何の経験もなく、
ただ「理不尽だ!!!」と衝突ばかりしていた20代の頃だったら、
こんなこと言われても、心に響かなかったと思うんです。
人は、経験によってのみ成長できるもの。
そして、そのためには自分以外の「人」がいないと成長できません。
それが、たとえ失敗した経験であろうが、
遠回りのように感じる経験であろうが
その全ての経験が無駄ではなく、人の魂を成長させてくれるものです。
色々な経験を重ねてこそ、理解できる
生き方というのも無数にあります。
その際、実際の年齢なんて、全く関係ありません。
どんなに若くても、どんなに年齢を重ねていても
時間の長短ではなく、どれだけ懸命に生きてきたか・・・。
その魂の記憶、経験こそが、全てを理解する礎になります。
ここまでお伝えしたら、
なんとなく見えてくるものがありませんか?
周囲にいる「こんちきしょうっ!」と思える嫌な人、
「なんで?と思える理不尽な出来事」、
「この組織、腐ってる・・・」と嘆き悲しむ出来事など・・・。
全て、僕たちの心を強くしてくれる研磨剤であり、
自分が大切にしたいものが鮮明に見えてくる瞬間でもあります。
そして、「こんちきしょうっ!」と思える人なんて、
どんな組織にも必ず1人や2人はいるものです。
「間違ってる!」と思える事実や
「理不尽だ!」と感じる出来事、人、組織なんて
どんな場所でも、会社でも、人の集まりでも
必ず存在するものです。
もし、その現状に耐えられないのであれば
やるだけのことはやって
無理せず離れてしまうのも1つの方法。
これは、逃げることではありませんから。
また、そこで頑張ることができると思ったら
その中で、いかに心を荒立たせず、
自分のやるべき道を見据えることができるのか・・・。
それさえ考えていれば、自然と穏やかになれるもの。
そりゃ、こんちきしょう!な人はどこにでもいるし、
ちょっとは腹が立つでしょうけど、
そんな時は、周囲の仲間たちが、
あなたの悩みを共有してくれるでしょう。
僕は、普段から「愚痴は言うのはよくない」と
このブログでも何度も書いていますが
本当に心の許せる仲間だったら、
先に「これから嫌なこと話すけどゴメンね」と謝罪して
愚痴をこぼすのもありだと思います。
勿論、聞いてもらったら「ありがとう!」の言葉も忘れずに
実際、僕自身もそうしてますから
理不尽さの渦中にいる方、
またはそれを直視できないでいる方、
きっと、色々な方がいらっしゃるかと思います。
でも、その理不尽さの向こうには、
きっと穏やかな心地良い世界が待っているはずです。
そこに辿り着くためには、正直、時間がかかるかも知れません。
人によっては、すぐにその心境から抜け出せる場合もあるでしょうし、
一生かけても、その心境から抜け出せない場合があるかも知れません。
全ては、その人の生き方次第。
理不尽さの向こうには、
何が本当に大切なものなのか、
そして、どんな生き方を心がければいいのか・・・
少しずつ見えてくるものが、きっとあるはずですよ
お陰様で他の人よりも少し多めに
世の中の理不尽さというものを、経験させて頂いたから。
勿論、それ以上の経験をされてこられた方々も
大勢いらっしゃるかと思いますが、
その経験から何を学ぶかで、その後は大きく変わってくるものです。
僕の場合はその、有り余るほどの負のエネルギーを早い時期に
上手く、自分の人生の糧として
消化することができたと思っています。
写真は、その理不尽さの渦中にいたときに
いつも心の中で自問自答を繰り返していた神社。
懐かしいなぁ~。
自分の力では、どうすることも出来ない世の中の理不尽さなんて
本当にいくらでもあります。
「なんで、自分だけ?」「なんで、こんなに素直に正直に真っ当に生きてるのに?」
「なんで、あんな嫌な奴が上手くいくの?」「なんで、世の中、平等じゃないの?」
「なんで、この世の中、こんなに理不尽なんだろう・・・」
この「なんで?」という過去の理不尽さがなかったら、
霊能者として、そしてアナウンサーとしての今の僕は、
ここにはいません。
テレビアニメ・一休さんのキャラクターの中に
「どちて坊や」という、何でも疑問を持って
「どちて?」「どちて?」と質問しまくる男の子がいましたが、
僕も、子供の頃から、
この「どちて坊や」と同じだったそうです。
納得いかないことがあると、「なんでや?」と大人たちに対して
質問して、その答えが納得いくまで引き下がらない
厄介な子供だったそうです・・・

そんな子供だったから、
大人になっても「間違ってる」「おかしい」と思ったことは
相手が誰だろうが、どんな偉い人であろうが、お構いなし。
当然、最初の社会人生活は、
人と衝突ばかりで「失敗」してしまいますよね・・・。
夢と希望を持って仕事をやっていこうと
心に決めた新社会人の僕にとっては、
ちょっと辛い出来事でした。
過去に所属していた組織の中で、
人の失敗を皆で寄ってたかって責め立てたり、
責任を取るはずの立場である管理職が
みんなで言い訳をして責任逃れをしたり、
いじめられている人を見てみぬフリをしたり、
かと思えば、
そういった心が下品な人たちが
おおよそ上の立場の役職や、仕事で上手に引き立てられる
いびつな組織の構造に
堪えられなくなった時期がありました。
僕は我慢が出来ないタイプなので、
真正面からぶつかって、衝突ばかりしていたので
トラブルメーカーでもありましたが、
結局、お互い感情的になるばかりで
何の解決策にもならないし、雰囲気も良くなるはずありませんよね・・・。
子供に「いじめはいけない」と教えながら
大人である側の社会の構造が、このようなものだから
そりゃ、前途有望なはずの
子供や若者だって心が歪んでくるのも当たり前。
「仕事自体は大好きだけど、きっと、このままこの場所にいたら、
僕自身の心が歪んでダメになってしまう・・・」
そう感じたのと、やるべきことは、やり尽くした・・・という想いから、
一度目の転職を決意した次第です。
とことん戦い抜いたので、ほとんど悔いはありませんでしたが
唯一、納得いかなかったのが、やっぱり
「世の中、なんで、こんなに理不尽なんだろう・・・」という想い。
「正しいことを、正しい」と言って、なんで通用しないんだろう・・・。
そういった強い想いが残っていたので、
色々な本を読んだり、人の話しを聴いたり、専門の勉強をしてみたり・・・と
とにかく必死でした。
あれから、もう何年も経っていますが
今の僕が同じ立場、同じ環境にいるとしたら、おそらく昔のように
強く反発もしなければ、かと言って、見て見ぬフリもしないでしょう。
ただ、もっと、穏やかに楽しく仕事ができる方法を見出して
のんびりやっていると思います。
なんで、そんな悠長に構えることができるようになったのか・・・。
やっぱり、霊的世界からの声をしっかり理解できる
心の基礎ができたからだと思います。
基本的に僕は、他の人のことを
霊的世界からのメッセージを通して理解できても
自分自身のことは、ほとんど分かりません。
・・・というより、教えてもくれません。
いくら自分の人生で迷って霊的世界の人たちに尋ねても
「うまくいくときはいく。いかないときはいかない。」という
シンプルなメッセージしか伝えてもらえません。
だから、その点に関しては、霊視が出来る霊能者であったとしても、
思い、悩みながら自分の人生を歩もうとする
皆さんと何も変わりないんです。
だけど、ひとつ、違うことがあるとしたら、
それは、霊的世界を知ることによって見えてくる
「人の生き方」や「考え方」が随分変わってくる・・・
ということでしょうか。
「世の中、なんでこんなに理不尽なことだらけなんだろう・・・」
昔、あれほどまでに疑問に感じて、許せなかった
「理不尽さ」というものも、
実は、そこまで忌み嫌うものでもなかったんです。
ある時、同じように感じている方から仕事の相談を受け、
その方の霊視を通して
僕も霊的世界から教えてもらったことがあります。
人の魂は、その魂の質を上げるために何度もこの世に生まれ変わるそうです。
何故、何度も生まれ変わるのか・・・。
それは、最終的に1つの大きな光(霊的世界)の一部になるため。
この世に生まれれば、皆「個」というものを持つが、
向こうの世界では、みんな1つなんだそうです。
そういった1つの光の塊の集団(グループソウル)が無数にあり、
その無数の集団も、やがて、もっと大きな1つの光になるべく
生まれ変わりを繰り返し、魂を磨いていく・・・。
そして、この世に生まれると、
その中で理不尽さや、思い通りにいかないことを通して
魂は悩み、苦しんで、その結果、キレイに磨かれるものだそうです。
もちろん、途中で挫折してしまう魂も中にはいるけど、
理不尽さを学ぶことは、人が生きていく上で、誰もが避けて通れない
1つの難関だと思って頂ければ、
少しは「理不尽さ」の理由がご理解頂けますでしょうか。
この世の中に、良い人だけではなく、
「こんちきしょうっ!!!」と思える人がいたり、
そういう人たちが権力を持っている場合が多いのも、そのためだそうです。
そして、何より、人は誰でも過去を遡れば、
同じように人に迷惑をかけて、そして、かけられながら成長し合ってきているので
遠くて長い魂の生まれ変わりの歴史から見れば、
「どんな人の魂でも、みな、平等だ・・・」とのこと。
もし、この世のことだけ、今のことだけを見つめていれば、
そりゃ、納得もいかないし、腹も立つし、
「世の中、理不尽で不公平だっ!!!」と生きている間中、
ずっと恨みつらみの辛い心で生活する悲しい人生になってしまいます。
こういったことを理解するのには、かなりの時間を要すると思います。
勿論、霊的感性が優れている理解力のある方や
魂が成熟している方であれば、
すんなり受け止めることができるものですが
なかなか、普通に、これを受け止めるとなると大変だと思うから。
僕自身、何の経験もなく、
ただ「理不尽だ!!!」と衝突ばかりしていた20代の頃だったら、
こんなこと言われても、心に響かなかったと思うんです。
人は、経験によってのみ成長できるもの。
そして、そのためには自分以外の「人」がいないと成長できません。
それが、たとえ失敗した経験であろうが、
遠回りのように感じる経験であろうが
その全ての経験が無駄ではなく、人の魂を成長させてくれるものです。
色々な経験を重ねてこそ、理解できる
生き方というのも無数にあります。
その際、実際の年齢なんて、全く関係ありません。
どんなに若くても、どんなに年齢を重ねていても
時間の長短ではなく、どれだけ懸命に生きてきたか・・・。
その魂の記憶、経験こそが、全てを理解する礎になります。
ここまでお伝えしたら、
なんとなく見えてくるものがありませんか?
周囲にいる「こんちきしょうっ!」と思える嫌な人、
「なんで?と思える理不尽な出来事」、
「この組織、腐ってる・・・」と嘆き悲しむ出来事など・・・。
全て、僕たちの心を強くしてくれる研磨剤であり、
自分が大切にしたいものが鮮明に見えてくる瞬間でもあります。
そして、「こんちきしょうっ!」と思える人なんて、
どんな組織にも必ず1人や2人はいるものです。
「間違ってる!」と思える事実や
「理不尽だ!」と感じる出来事、人、組織なんて
どんな場所でも、会社でも、人の集まりでも
必ず存在するものです。
もし、その現状に耐えられないのであれば
やるだけのことはやって
無理せず離れてしまうのも1つの方法。
これは、逃げることではありませんから。
また、そこで頑張ることができると思ったら
その中で、いかに心を荒立たせず、
自分のやるべき道を見据えることができるのか・・・。
それさえ考えていれば、自然と穏やかになれるもの。
そりゃ、こんちきしょう!な人はどこにでもいるし、
ちょっとは腹が立つでしょうけど、
そんな時は、周囲の仲間たちが、
あなたの悩みを共有してくれるでしょう。
僕は、普段から「愚痴は言うのはよくない」と
このブログでも何度も書いていますが
本当に心の許せる仲間だったら、
先に「これから嫌なこと話すけどゴメンね」と謝罪して
愚痴をこぼすのもありだと思います。
勿論、聞いてもらったら「ありがとう!」の言葉も忘れずに

実際、僕自身もそうしてますから

理不尽さの渦中にいる方、
またはそれを直視できないでいる方、
きっと、色々な方がいらっしゃるかと思います。
でも、その理不尽さの向こうには、
きっと穏やかな心地良い世界が待っているはずです。
そこに辿り着くためには、正直、時間がかかるかも知れません。
人によっては、すぐにその心境から抜け出せる場合もあるでしょうし、
一生かけても、その心境から抜け出せない場合があるかも知れません。
全ては、その人の生き方次第。
理不尽さの向こうには、
何が本当に大切なものなのか、
そして、どんな生き方を心がければいいのか・・・
少しずつ見えてくるものが、きっとあるはずですよ

Posted by 山野本 竜規 at 15:32│Comments(0)
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