2007年02月11日
祈りは大切だけど・・・。
今は、ほっと一息、穏やかな時間を過ごしています。
やっぱり、ここは、僕の心の故郷

この街にいるだけで
全ての余分な力が抜けていく感じです。
心の底から平穏を感じるというか、
きっと、こういった、ゆる~い、穏やかな気持ちを
「幸せ」と呼ぶんだろうなぁ~と思います

最近、普段の放送局の仕事に加えて
仕事が空いた時間に
ナカトリモチとしてのお勤めが続いていたので
自分を振り返る時間が持てないまま、
かなり余裕のない、忙しい日々を過ごしていました。
ここ数年、空前のスピリチュアルブームで
精神世界や、僕たちがしっかりと受け継ぐべき日本人としての心の問題が
注目されるのは
神社神職でもあるナカトリモチの僕にとっても
大変喜ばしいことなのですが・・・。
「医者半分、ユタ半分」
・・・と言われるほど、沖縄では何かあったときに
ユタと呼ばれる女性霊能者に頼ることが多いような気がします。
そして、ここ最近の僕のナカトリモチとしてのお勤めは・・・というと、
普段は色々な問題を相談される側である
ユタの女性たちからの相談事が
連日のように続いていたんです。
なんだか、ヘンな感じでしょ
たかだか30年ちょっとしか生きていない若造が
何故、そんな偉そうなことできるんだ・・・と
人生経験豊富なご年配の方の中には
快く思わない方もいらっしゃるかも知れません・・・。
でも、成り行きでそうなっている以上、
僕は自分のお勤めを果たすのみなので
その時、その時にできる最善の対応をさせて頂いています。
ナカトリモチである以前に、
僕も悩み多き一人の生身の人間であるように、
ユタと呼ばれる女性たちも、また
当然、自分の人生に葛藤し
悩んで立ち止まることだってあるでしょう。
でも、一概に「ユタ」と言っても
本当に十人十色で
もっと「喝っ!!!」を入れたくなるような
考え方の人もいらっしゃいます。
どうも、全ての問題や物事を
「見えないもの」や「祈り」に依存し過ぎている傾向があるからです
あるユタの女性は、とても純粋な心の持ち主なのですが
最近、子宮がんと診断され、かなり動揺していた様子でした。
女性としては、かなりショックなことですし、
命に関わる問題だとしたら尚更です。
本来なら、即、手術する病院を
情報を駆使して徹底的に調べて
早めに入院するはずなのですが、
「○○という神社にお祈りに行けば、きっと治るはず・・・」と
全てを「祈り」で解決しようとします
誰だって、普通に冷静に考えれば
それが間違いだと気づくはずなのですが
中途半端に、そして見えない世界や神社の意味を
自分勝手な解釈でしか捉えていないため
益々、自身を窮地に追いやっている様子が伝わってきました。
そういった間違った頑固(がんこ)の「がん」は、「ガン」に通じます。
色々な原因はあるにせよ、
彼女の病気は、きっと、そのような思い癖を治して欲しい・・・という
大自然からのメッセージではないかと思います。
勿論、こういった方ばかりではありませんし、
逆に尊敬できる立派な人格のユタの方もいらっしゃいますけど、
これまで僕のところに相談に来られたユタの方の多くが
自分たちの相談者に対して
「○○御嶽(うたき)で祈ったほうが良い」とか
「聖地巡りをしなさい」だとか、
ちょっと筋違いなメッセージを伝えている場合が多いような気がします。
そして、それを純粋に信じてしまう人が多いのも事実。
ユタ自身も、そしてユタに頼る人も
早く、その「見えないもの依存」の域から脱して欲しいなぁ~と
願っています。
僕は、「祈ること」が無意味だとは、全く思いません。
だけど、熱心に祈るくらいの
何かしらの動機や想いがあるのであれば、
自ら動いて最善を尽くしてみればいいのに・・・と思いませんか?
人事を尽くして天命を待つ・・・とは、
まさにこのことで
順序が逆のパターンが多すぎるような気がします。
何かあると、すぐに「祈り」。
何かあると、すぐに「ユタ」。
僕は、これは
沖縄の信仰の篤さの良いところでもあり、
悪いところでもあると思っています。
結局、最後は
自分自身で決断し、行動に移していくのが
それぞれの人生を歩むことに繋がるのですから・・・。
昨日の土曜サプリのコーナー、
「神社参拝あれこれ」でもお伝えしたんですが、
御嶽や、神社、お寺など聖地と呼ばれる場所は
身勝手なお願い事を叶えてくれたり、
運気をUPさせてくれる魔法のような場所ではありません。
普段忘れがちな大自然の恵みや人の優しさに感謝し、
自分自身の心違いや思い違いを見つめ直す場所なんです。
ここ最近、それを意識せざるを得ない
ナカトリモチのお勤めが続いていたので
僕も、ほんの少しの間、
心の故郷・伊勢でエネルギーチャージをするつもりです
明日は、伊勢時代の神職仲間の結婚式♪
今の穏やかな気持ちの状態で
親友の新たな人生の門出を祝福してきますね~!
仕事が空いた時間に
ナカトリモチとしてのお勤めが続いていたので
自分を振り返る時間が持てないまま、
かなり余裕のない、忙しい日々を過ごしていました。
ここ数年、空前のスピリチュアルブームで
精神世界や、僕たちがしっかりと受け継ぐべき日本人としての心の問題が
注目されるのは
神社神職でもあるナカトリモチの僕にとっても
大変喜ばしいことなのですが・・・。
「医者半分、ユタ半分」
・・・と言われるほど、沖縄では何かあったときに
ユタと呼ばれる女性霊能者に頼ることが多いような気がします。
そして、ここ最近の僕のナカトリモチとしてのお勤めは・・・というと、
普段は色々な問題を相談される側である
ユタの女性たちからの相談事が
連日のように続いていたんです。
なんだか、ヘンな感じでしょ

たかだか30年ちょっとしか生きていない若造が
何故、そんな偉そうなことできるんだ・・・と
人生経験豊富なご年配の方の中には
快く思わない方もいらっしゃるかも知れません・・・。
でも、成り行きでそうなっている以上、
僕は自分のお勤めを果たすのみなので
その時、その時にできる最善の対応をさせて頂いています。
ナカトリモチである以前に、
僕も悩み多き一人の生身の人間であるように、
ユタと呼ばれる女性たちも、また
当然、自分の人生に葛藤し
悩んで立ち止まることだってあるでしょう。
でも、一概に「ユタ」と言っても
本当に十人十色で
もっと「喝っ!!!」を入れたくなるような
考え方の人もいらっしゃいます。
どうも、全ての問題や物事を
「見えないもの」や「祈り」に依存し過ぎている傾向があるからです

あるユタの女性は、とても純粋な心の持ち主なのですが
最近、子宮がんと診断され、かなり動揺していた様子でした。
女性としては、かなりショックなことですし、
命に関わる問題だとしたら尚更です。
本来なら、即、手術する病院を
情報を駆使して徹底的に調べて
早めに入院するはずなのですが、
「○○という神社にお祈りに行けば、きっと治るはず・・・」と
全てを「祈り」で解決しようとします

誰だって、普通に冷静に考えれば
それが間違いだと気づくはずなのですが
中途半端に、そして見えない世界や神社の意味を
自分勝手な解釈でしか捉えていないため
益々、自身を窮地に追いやっている様子が伝わってきました。
そういった間違った頑固(がんこ)の「がん」は、「ガン」に通じます。
色々な原因はあるにせよ、
彼女の病気は、きっと、そのような思い癖を治して欲しい・・・という
大自然からのメッセージではないかと思います。
勿論、こういった方ばかりではありませんし、
逆に尊敬できる立派な人格のユタの方もいらっしゃいますけど、
これまで僕のところに相談に来られたユタの方の多くが
自分たちの相談者に対して
「○○御嶽(うたき)で祈ったほうが良い」とか
「聖地巡りをしなさい」だとか、
ちょっと筋違いなメッセージを伝えている場合が多いような気がします。
そして、それを純粋に信じてしまう人が多いのも事実。
ユタ自身も、そしてユタに頼る人も
早く、その「見えないもの依存」の域から脱して欲しいなぁ~と
願っています。
僕は、「祈ること」が無意味だとは、全く思いません。
だけど、熱心に祈るくらいの
何かしらの動機や想いがあるのであれば、
自ら動いて最善を尽くしてみればいいのに・・・と思いませんか?
人事を尽くして天命を待つ・・・とは、
まさにこのことで
順序が逆のパターンが多すぎるような気がします。
何かあると、すぐに「祈り」。
何かあると、すぐに「ユタ」。
僕は、これは
沖縄の信仰の篤さの良いところでもあり、
悪いところでもあると思っています。
結局、最後は
自分自身で決断し、行動に移していくのが
それぞれの人生を歩むことに繋がるのですから・・・。
昨日の土曜サプリのコーナー、
「神社参拝あれこれ」でもお伝えしたんですが、
御嶽や、神社、お寺など聖地と呼ばれる場所は
身勝手なお願い事を叶えてくれたり、
運気をUPさせてくれる魔法のような場所ではありません。
普段忘れがちな大自然の恵みや人の優しさに感謝し、
自分自身の心違いや思い違いを見つめ直す場所なんです。
ここ最近、それを意識せざるを得ない
ナカトリモチのお勤めが続いていたので
僕も、ほんの少しの間、
心の故郷・伊勢でエネルギーチャージをするつもりです

明日は、伊勢時代の神職仲間の結婚式♪
今の穏やかな気持ちの状態で
親友の新たな人生の門出を祝福してきますね~!
Posted by 山野本 竜規 at 00:38
│スピリチュアル&神社