RBCアナウンサー山野本竜規の「ナカトリモチ日記」

神社の神職は神と人との間を取り持つ「ナカトリモチ」。 神職資格を持つRBCアナウンサー山野本竜規が、仕事の 裏側からプライベートまで日々の出来事を皆さんにお届けします。
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2006年09月21日

ちょっとマジメな仕事の話。

ちょっとマジメな仕事の話。最近、ブログを読んで下さっている方から
質問のメールが届くことが多く、
その中に「山野本さんの放送に対する、
その信念ってどこから生まれてくるのですか?」という
内容を複数の方から頂きました。

写真は、昔、僕が以前勤めていた放送局にいた頃に書いたニュース原稿、
そして、今でも僕が大切にしている宝物です。
いやっ、正確に言えば
「この時の気持ちをずっと忘れないでいよう」という
想いが強いのかも知れません。
原稿の内容は「ひき逃げ事故」。

僕はRBCで働く前、
アナウンサー以外の仕事で報道記者をやっていたことがあります。

スタッフも少なかったので
事件や事故が起これば一人で車を運転し現場に駆けつけ、
カメラと三脚を担いで現場の映像を撮影し、取材をして
原稿を書いて、映像を編集し、ニュースで伝える・・・という
全ての作業をやっていました。

当時、県警・司法記者クラブのキャップをしていたので
事件や事故など突発の取材が多く
心落ち着かない日々を送っていましたが、
それ以上に、
「人」としての心が痛むような、葛藤の連続だったような気がします。

だって、事件や事故が起これば
いち早く現場に駆けつけて
カメラで撮影しなければいけないのですから。
・・・それが、どんな状況だとしても。

中には交通事故で亡くなられた人の残された家族が
まだ現場にいる場合だってあります。

そんな尋常ではない精神状態にある身内の人や親しい人たちに
見ず知らずの他人であるマスコミ関係者が
傷ついた心の中にズカズカ土足で入り込み、マイクを向けたり
眩しいライトをたいてカメラをまわしたり・・・。
普通に考えれば、
「正常な人間としての情はないのか!?」と思ってしまいますよね。

でも、「情報を送り出す側の人間も心を痛めている。」ということも
ほんの少しだけでも理解して頂けたら幸いです。

何故、そこまでして、いち早く情報を伝えなければいけないのか・・・。
何故、そこまでして、心に傷を負った人にマイクを向けるのか・・・。
何故、そこまでして、悲惨な映像をカメラにおさめようとするのか・・・。

マスコミの人間でも意見がそれぞれ分かれるところですが
少なくとも僕は
「その情報を必要としている人が一人でもいる限り、
できるだけ詳しい情報を正確に伝えることが役目である。」と
半分自分に言い聞かせながらも、
時には心で泣きながら、その感情をグッと我慢して
悲惨な現場に立ち会ってきました。

「他社よりも早く情報を伝えるために、そこまでして
 当事者に話を聞いたりするなんて正常な人間がすることじゃない。
 情報を一番取りした会社の自己満足ではないだろうか。」

そんなことばかりが頭をよぎり、自分のやっている事が
正しいことなのかどうかすら分からなくなった時期すらありました。

そんなある日、「ひき逃げ事故」の一報が入り
一人でカメラを担いで現場に駆けつけると・・・。

ひき逃げに遭った女性は既に亡くなっていて
そこには亡くなった女性の弟さんがいらっしゃいました。

愛する家族の突然の死を受け入れられないで
呆然と立ち尽くしている弟さんに、僕は話を聞かなくてはいけません。

それもこれも仕事のために。
この情報を必要としている見えない誰かのために・・・。

仕事とはいえ、弟さんに話しかけるのには本当に勇気が要りました。

 僕「あの・・・。ご家族の方ですか?」
 弟「そうですけど。ひき逃げの事故、情報として流すんですか?」
 僕「そうです。まだ犯人捕まってませんし。」
 弟「本当だったら無神経なあんたを今すぐにでも
   殴りたいところだけど、この事故、
   情報として流す意味が本当にあるんだったら質問に答えるよ。」
 僕「ありがとうございます・・・」

もし、僕が逆の立場だったら同じ心境でしょうね。

でも、悲しさと、やるせない怒りを抑えながらも
冷静な判断で取材に協力してくれた弟さんのお陰で
すみやかに職場に戻ることができ、
原稿を書き、
すぐに情報として伝えることができたのでした。

それでもなお、
僕の心は「ここまでする必要はあるのだろうか・・・。」という
罪悪感に苛まれていたのですが、
数時間後、その情報を見た人から
「ひき逃げした車の特徴と同じ車が近くに停まっている」と
警察に通報があり、
犯人はその後、逮捕されました。

そして亡くなった女性の友達という人からも
職場に連絡が入り、
「テレビのニュースを見て友達の死を知りました。
これから旅行に出かける予定だったのですが、
すぐにキャンセルしたので最後のお別れができます。」という
お礼の言葉を頂くことができました。

僕はそれまで、
「競争してまで情報を伝えて何の意味があるのか」と、
本当に自分の仕事内容が正しいのか
迷っていたのですが
「その情報を必要としている人が一人でもいる限り・・・」
そのような自分の信念が
少なくとも間違いではないということを
弟さんの冷静な対応や亡くなった女性の友人の電話で
確認することができました。

だからといって、
いつでもどこでも人の心に土足で踏み込む訳ではありません。

今でさえも、
これが本当に正しいやり方だったのか、
もっと他の方法がなかったのだろうか・・・とふと思うことがあります。

交通事故の現場に行けば、
鉄に似たような流血の臭いがします。

殺人事件の現場に行けば、
残された家族の無念な心と表情と接することになります。

火災現場に行けば・・・。
自然災害現場に行けば・・・。
殺人事件裁判に行けば・・・。

毎回、毎回心が痛むことには変わりありません。

そしてどんな事象にしても、
そこには必ず「人」がいます。

当事者 →伝える人間 →情報を見聞きする人・・・。

映像や活字だけでは見えてこない
現場の空気や
そのような「見えない人の心」をリレーで運びながら
物事の本質を理解し合うことこそ、
そこに「情報を発信する」という
大きな意義があるのだと思います。

全てのマスコミ関係者がそのように感じている訳ではありませんが
少なくとも僕はこのような確固たる気持ちを持って
仕事に臨むようにしています。

そして、僕が心の中で願っていることは
痛ましい事件・事故などを現場やニューススタジオから伝えながらも、
「情報を必要としている人以外の人たちの心にも
何らかの有意義なメッセージが届きますように。」と、
・・・いつもそのような願いを込めて伝えているつもりです。

悲惨な映像、痛ましい事件・事故など
テレビや新聞で目にする様々な映像や活字から
「運転には自分も気をつけよう。」とか
「物騒な世の中が少しでも良くなればいいな。」とか
そういったちょっとしたことを
感じ取って頂くだけでいいんです。

対岸の火事とは思わず、
みなさん一人ひとりの心の中に
何か感じることがあれば、それだけで
僕たち伝える側の役割の一部を果たしていることにもなります。

普段目にする映像、活字・・・全てに
みなさんに向けられた有意義なメッセージがこめられているんですよ。

僕がいつもブログで
「放送の時に何らかのメッセージが伝わりますように」という気持ちで
仕事に臨む・・・と書いている理由、
これで少しはご理解頂けましたでしょうか。

葛藤の日々を送っていた報道記者時代は
僕にとって、とても大変でしたけど
今でも仕事の軸になっている貴重な経験でした。

これからも、あの時の気持ちは忘れずにいようと思っています。


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Posted by 山野本 竜規 at 03:54 │仕事